【348年07月】 資治通鑑原文4607文字(77/365位)【登場人物】・メインキャスト 2/3-石虎▲ 3/3-冉閔-3/18 3/4-慕容垂-5/3 3/8-桓温-4/9 王羲之-3/28・準メインキャスト 2/14-慕容皝▲ 2/14-拓跋什翼犍-4/13 2/28-慕容儁-3/26【できごと】 この年の大トピックは石虎と慕容皝の死亡です。先代と同じくの、同タイミング。仲がいいですね! 前燕の継承劇はわりと円満でしたが、後趙はもう地獄です。 慕容皝は死亡の際、慕容儁に対して「慕容恪たちの補佐があれば不安はあるまい」と言い残しました。こうして慕容儁が燕王に即位。南征を決意します。ここから先、前燕は北東部の雄として一気に駆け上がります。ただ、それは結局何が原因だったのでしょうか。後趙の崩壊、以外にありえません。 石虎太子の石宣でしたが、まんまと石韜殺害は果たしました。しかし周辺から石宣による殺害計画がばれ、すぐに囚われました。石虎は石宣にあらん限りの拷問を加えた上で殺害、更にはその子たちまで。その上で、自身はショックで寝込み「なんでわしの子はこうもクズばかりなのだ! もうだめだ、年長者は信じられん」と嘆き、当時十一才の石世を太子に据えました。そして自身は天王から皇帝になります。なんだこれ。 ここで、石宣の子飼いたちは涼州に追放されました。この処遇に怒った人物がいます。梁犢と言います。梁犢は追放先の雍城で決起、鄴への帰還を旗印として突き進みます。迎撃軍はのきなみ敗北、あわや鄴に肉薄、という事態にまでなったのですが、ここで石虎は姚弋仲を召喚、撃退に充てました。姚弋仲はかなり激しく石虎を叱責したのち出征、あっさり撃退します。ジジイが強すぎる。 そして、石虎が死亡します。石世があとを受け即位こそしましたが、臣下らはみな石虎の子の中で比較的有能であった石遵を引き立て、瞬く間に石世を廃位、殺害。石遵を帝位につけました。ここで大功あったのが、石閔でした。 こうした中、晋では漢を滅ぼした桓温の名声がうなぎ登り。中央は桓温の権勢を抑え込む役割として殷浩を更に引き立てます。この対立を危ぶんだのがいわゆる書聖、王羲之でしたが、和解にはこぎ着けられませんでした。とは言えこの年はまだ蜀や寧州の反乱鎮圧に忙しく、政争は翌年以降に持ち越されます。