【368年06月】資治通鑑原文848文字(329/365位)【登場人物】・メインキャスト 3/4-慕容垂-5/3 3/8-桓温-4/9 3/15-苻堅-4/22 3/20-王猛-4/11 3/26-謝安-4/22 3/29-謝玄-4/25・準メインキャスト 2/14-拓跋什翼犍-4/13 3/17-姚萇-5/1 3/24-呂光-5/7 4/3-慕容徳-5/13【できごと】 五公の乱は、結局のところ苻堅の抱える将帥らの能力のお披露目くらいの結果になった印象です。苻双・苻武・苻柳は各将の活躍により皆斬られました。残った苻廋もまた捕まり、長安に連行されました。ここで苻堅がなぜ反乱を起こしたのかと聞けば、苻廋は「兄弟らが皆反乱を起こしたため、自分もこのままでは殺されてしまうと思い、乱を企てました」と語っています。と言うわけで苻生の弟らによる「初めの」宗族反乱が終結します。初めの、ですから、まだまだ続きます。ここで苻堅は苻廋の子に爵位を継がせて祭祀を継続させましたが、自分の弟である苻双の祭祀は断絶させました。 前秦が大きく揺れる中、前燕では皇族や大臣らが自身の封地に小作人を抱え込むことで国に税が満足に収められなくなる、といった事態を招いていました。この状態を憎んだ悦綰が「小作人を解放して国家の用に充てるべきです」と進言。採用、施行され始めたところ、しかし悦綰が急死したため中断されました。ちなみにこの措置によって悦綰は皇族らより恨まれるようになったとわざわざ特記されており、資治通鑑も「本当にただの過労でござるかぁ〜?」的な疑念を隠しきれなかったようです。 こうした揺らぎが北で起こる中、桓温は北府軍の長になったばかりの郗愔を会稽、言ってみれば晋における南東の安全地帯の長官に左遷、自身が北府軍の軍権を、西府軍と共に掌握することに成功しています。すでに郗超が桓温の配下にいた事は語った通りですが、この郗超、父親の筆跡を真似ることに長けており、郗愔が桓温に宛てて「一緒に前燕をやっつけましょう!」と書いた手紙を破棄のうえ「私に北府の任は重いので桓温殿に後事を託します」と捏造し、前線から追いやったのです。こうして桓温は満を辞して前燕討伐の軍を興すに至りました。この起兵は、他ならぬ郗超より「いま軍を興しても、到底軍資が足りません!」という反対を受けてこそいたのですが、桓温は聞く耳を持ちません。 こうして桓温一世一代の大博打、よく呼ばれる名に言うところの、枋頭の戦いが幕を開けるのです。