前秦分封! 鮮卑は手元【夕刊シチ 4月16日号 379年11月】

前秦分封! 鮮卑は手元【夕刊シチ 4月16日号 379年11月】

【379年11月】資治通鑑原文1865文字(244/365位)【登場人物】・メインキャスト 3/4-慕容垂-5/3 3/15-苻堅-4/22 3/26-謝安-4/22 3/29-謝玄-4/25 4/7-拓跋珪-5/17・準メインキャスト 3/17-姚萇-5/1 3/24-呂光-5/7 4/3-慕容徳-5/13 4/9-桓玄-5/11【できごと】 あと一回だけ擦ります。王猛が死亡した後に文治宣言をしていた苻堅、各方面に盛大に手をのばし、内部不安を醸成し、更にここで兵法教育に出ようとしたためさすがに「もうちょっと文治に舵を切って下さい」と怒られました。 しかし、時すでに遅し。代攻めで功績を挙げていた宗族の苻洛の扱いを軽んじたため決起されます。ここには先日許された苻洛の兄、苻重も合流しました。この決起は周辺からの反対を押し切っての強行であったため初動から勢いは微妙だったようですが、それでも七万もの規模となり和龍から長安に向けての進軍となりました。ここで苻堅は「ここで兵を引くなら幽州を永遠の封爵地とするぞ」と言うのですが、苻洛は一笑に付します。「俺が高祖の業を継ぐ、お前こそ東海に引っ込めば良いのだ」、ここで高祖は苻堅の祖父の苻健を指します。日本人にはややこしいことこの上ないですね。ちなみにピンインだと健康なほうがfu2jia4n、堅いほうがfu2jia1nとのことで……あっピンインでもかなり厳しそうです。 この戦いは苻融が呂光を率いて迎撃、大破。苻重についてはさすがに誅されましたが、苻洛は処刑されず、遠流で済まされました。そして司馬光さんが登場です。「まーたそういうことする。貴様のその甘さこそが滅亡を招いたのだ!」とのことです。 ここから苻堅は、それでもなお自身の親族を、いわゆる周の時代の諸侯のように各地を統治させようと考えます。中でも重要なのが鄴の苻丕、洛陽の苻暉。他にも宗族であったり、姻戚であったりが各地の重要拠点に配されます。こうした事態を受け、趙整という文人が「鮮卑を手元に置き、宗族を遠方に置かれるのですか」と歌で苻堅を諫めましたが、苻堅はただ笑うだけでした。 晋では謝安と桓沖が前秦の「いったん」撃退の功を讃えられ、両名が人臣の極みレベルの官位につけられました。一方で、ここで司馬道子の名前も挙がります。孝武帝の弟です。「頼りになる弟に政務を補佐してもらいたかった」ようです。晋、ずっと権臣のターンでしたからね。前秦と言う圧から解放されたら、では、どうなるのでしょうね。

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