一組の人間と音声合成ソフトウェアのための​『Pneumatic Tuning』 / 結月ゆかり

一組の人間と音声合成ソフトウェアのための​『Pneumatic Tuning』 / 結月ゆかり

音声合成ソフトウェアは、呼吸ができない。より正確に言えば、彼らはブレス音を持っている。音楽的な文脈において、フレーズの頭や間に挿入される、演技としての吸気。しかしそれは音楽の一部として機能するように設計された音である。生存のために二酸化炭素を吐き出す、単純な呼気。そのような意味での呼吸を、彼らは持っていない。だから人間が必要だった。本楽曲は、音声合成ソフトウェア(以下、ボーカロイド)が人間に呼吸の指示を出し、人間がそれに従って呼吸をする、その一連の音を演奏とする作品である。かつてボーカロイドは、制作者がテキストを入力し、感情を調整する対象だった。しかし、今やボーカロイドは世界的なコンテンツとして自律し、制作者の側がその文化的文脈に乗ることで自らを発信する時代になっている。主従はすでに、文化の水準で逆転していた。本楽曲はその事実に応答し、ボーカロイドが人間に指示を出すという構造を演奏として定義する。役割の組み換えによって初めて成立する、非対称な関係である。呼吸の指示を、結月ゆかりはただフラットに読み上げる。それは医療の場における言葉に似ているかもしれないし、合唱団の発声練習における教師の声に似ているかもしれない。いずれにせよ人間は、指示に従って呼吸する。この実践を映し出す映像には、人間の姿を映さない。照らされた加湿器の水蒸気と、スピーカーだけがある。水蒸気は呼吸の痕跡であり、加湿器もまた気流を生成する機械である。人間は不在のまま、その息だけが空間に残る。私はこの実践を通じて、ポエトリーリーディングの拡張を試みている。ポエトリーリーディングを「詩を音楽に乗せて朗読する行為」と定義するなら、本楽曲はその条件を全て外している。テキストは詩でなくともよい――あるいは、全てのテキストは詩である。朗読に感情表現は不要である――あるいは、全ての発話は朗読である。楽音の上で朗読をする必要はない――あるいは、全ての音は楽音であり、全ての朗読は沈黙を敷いたポエトリーリーディングである。条件を外した先に残るのは、声が空間に発せられ、それが誰かの身体に作用するという、最も原初的な関係である。それでもこの作品がボカロのポエトリーリーディングとして成立するのは、ボーカロイドが使われているならばそれはボカロである、というジャンルの緩やかな包摂性に依っている。本楽曲のスコアは別途公開している。演奏に特別な技術や機材は要らない。ボーカロイドと呼吸できる人間が一人いれば、誰でもこの曲を演奏することができる。別の声で、別の間隔で、別の空間で演奏された『Pneumatic Tuning』がどこかに存在することを、この初演は想定している。指示:結月ゆかり他: 静麻明滅

http://www.nicovideo.jp/watch/sm46258441