高森山は『山と高原地図』(昭文社)の「金剛・葛城・紀泉高原」巻にはルートが収録されておらず、昭和から平成の中頃にかけては、一般的な「登山の対象」としてはほとんど顧みられない山でした。 当時の登山書籍やガイドブックで対象外とされていた、あるいは登山者が少なかった背景には、主に3つの理由があります。 1. 「紀泉縦走路」のルートから外れていた [1] 和泉山脈を東西に歩く有名なロングトレイル「紀泉縦走コース」は、一般的に「犬鳴山」や「大福山」を経て、最終的に「雲山峰」から南海電鉄の六十谷駅や紀伊駅(和歌山側)、あるいは孝子駅(大阪側)へ下るルートが主流でした。高森山はそのさらに西端の端に位置していたため、縦走のメインルートからは完全に外れた存在でした。 [1] 2. かつての軍事要塞地(由良要塞)としての歴史 高森山やその周辺の深山・加太エリアは、明治時代から太平洋戦争終戦まで、大阪湾を守るための「由良要塞(深山重砲兵連隊など)」の軍事機密地帯でした。 戦後の放置と荒廃:終戦によって解放されたものの、昭和期には旧軍の遺構(砲台跡や弾薬庫跡)が藪の中に埋もれ、道が荒れ果てていたため、一般のハイカーが気軽に立ち入る場所ではありませんでした。 地形図の空白:戦前・戦後は軍事上の理由から正確な道が隠されていた名残もあり、一般の登山ガイド本がわざわざコースとして紹介するメリットが薄かったのです。 3. 平成後期からの「森林公園整備」と「大阪50山」による再評価この山が登山対象として注目され始めたのは、平成の後期(2000年代以降)になってからです。和歌山市による整備:高森山周辺が「市町村民の森(大川森林公園)」として徐々にハイキング道や展望台が整備され、格段に歩きやすくなりました。「大阪50山」の選定:大阪府山岳連盟などが選定した「大阪50山」に高森山が名を連ねたことで、「大阪府の最南端・最西端の山」という明確なキャラクターが与えられ、ピークハント(完登)を目指す登山者が一気に訪れるようになりました。