Wikipediaより1508年- 菅沼定則によって築城され、居城とされた。定則の子・菅沼定村、孫・菅沼定盈らも居城とした。1561年 - 桶狭間の戦いの後、今川氏を離反した定盈は、今川勢に攻囲され開城退去。1562年 - 定盈が夜襲で奪回するも、損壊の激しい野田城は修築に刻を費やされた。定盈は、仮本拠を大野田城に定めている。元亀2年(1571年) - 武田氏の遠江・三河侵攻において武田家臣山県昌景・小笠原信嶺らの襲来により、大野田城は大破炎上。同年12月、定盈は修築中の野田城を再び本拠としたという。なお近年では元亀2年の遠江・三河侵攻については根拠となる文書群の年代比定が再検討され、一連の経緯は天正3年の長篠の戦いの前提である可能性が指摘されている。元亀4年(1573年) - 野田城の戦い(武田家の西上作戦)。武田軍に水の手を断たれて、城主・定盈は開城降伏する。1590年 - 徳川家康が関東へ移封されると、定盈も付随。その後、吉田城に入った池田輝政の代官が新城を利用し、野田城を破却。廃城となった。