2026年の5月上旬、岐阜県可児郡(かにぐん)御嵩町(みたけちょう)にある上恵土城址(かみえどじょうし)を訪れました。築城年代等は不明ですが、戦国時代の15世紀末頃には荏土城(えどじょう)と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになったようです。天正10年(1582年)頃、織田信忠の家臣である長谷川五郎右衛門が城主でしたが、本能寺の変の後、長谷川五郎右衛門は上恵土城の南にある大森城の奥村又八郎と共に、上恵土城の北にある兼山城の森長可(もりながよし)を攻めますが、森長可に反撃され落城したと伝わるようです。木曽川と可児川に挟まれた丘陵にある平城で、城址の南側に東西に20m程の土塁がありますが、高さは1mもないようでした。土塁は途中で切れていましたが、現在残されている土地から推測すると、少なくとも土塁は50m程はあったように見えました。また、城址の北西の民家の敷地と思われる一画に、長谷川五郎右衛門供養碑が建っており、ラスパ御嵩側の西から供養碑の一画に入ることができました。おそらく私有地の一画に供養碑を建てていると思いますが、外部の人間でも参拝できるようにしてくれているようで、大変ありがたかったです。ありがとうございました。お城→ mylist/37297571