最近、半籐一利って人の戦争を中心とした日本近代史の本を数冊読んだの。半籐さんは超有名な日本海海戦にして、陰の凄いエピソードを書いてくれてたわ。バルチック艦隊がウラジオストックに入港するためには対馬海峡と津軽海峡と宗谷海峡の3か所を通過する可能性があり、どこで待ち伏せするかというのが当時最大の賭けだったってことはそれこそ有名な話だけど、もとより日本海軍の力量では、3か所に分散して待ち構えるなんてことでは到底勝てる訳がなく、まとまって掛からなければそれこそ大本営で東郷大将が豪語した"必ず撃滅しもっす!"なんてできっこなかったのね。そこでどこを通過するかを予測することが超重要なことだったのね。頭のいい秋山参謀は地球をほぼ3分の2周して遠路はるばるやってくるバルチック艦隊は燃料や食料の面からも隊員の士気の面からも最短距離の対馬海峡に来るはずだと、早くから結論を出していて、連合艦隊の大方針になっていったんだけれど、予測した決戦の日を超えても敵艦隊は姿を見せず、みんなが焦りだしたのね。頭のいい秋山参謀などは落ち着かず、いてもたってもいられなくなって、"宗谷海峡へ急行しよう!"なんて言い出すのね。そこへ行くと東郷司令長官は肝が据わっていて、"今更動いたところで敵の尻を追いかけることになり、取り逃がすのは必定だからここで待つ"とがんばったの。でも、その流石の胆力の東郷司令も敵の行動があまりにも遅いのに業を煮やし、参謀長以下大多数の参謀の意見具申に従って、明日、宗谷海峡へ移動する旨の命令を発令すると約束しちゃうの。これが海戦の2日前、ここで動いていたら、完勝のチャンスは無かったんだわ。この沈痛な決断をしていた連合艦隊旗艦・戦艦三笠の司令室に血相を変えて飛び込んできた人がいたの。この人こそ第2艦隊参謀長の藤井較一大佐で、大将や中将や少将など偉いさんがいっぱい集まっている中で、東郷司令に"決してここを離れてはいけない"って直談判したの。彼は当時としては天才的な数理シミュレーションをやって、絶対に対馬海峡を通るっていう結論を出していたのよ。秋山参謀も頭がいいけど、彼の場合は直感的閃きよるものだけど、藤井大佐の場合はサイエンスだったのね。そして、東郷司令はついに"良く分った、ここで待とう"と言ったの。そうしたら何とその未明、哨戒中の信濃丸から有名な「敵艦見ユ」の無電が飛び込んできたのね。