「原爆の子の像」モデルの少女 親指の先にのるほどの小さな折り鶴に込めた願い そして兄の思い

「原爆の子の像」モデルの少女 親指の先にのるほどの小さな折り鶴に込めた願い そして兄の思い

広島に原爆が投下されてから10年後に、白血病により12歳でこの世を去った少女がいました。福岡市の劇団は毎年少女の体験を元にした朗読劇を上演しています。今年初めて少女の兄が劇を鑑賞しました。◆被爆後12歳で亡くなった少女8月6日から8月9日までの4日間、福岡市で毎年上演される朗読劇があります。朗読劇「折り鶴の少女~サダコ~」は、芸能事務所の「アクティブハカタ」が公演し今年で20回目を迎えました。劇場に朗読が響きます。「のろわしい原爆のつめあとは、またも10年前に被ばくしたいち中学生の生命を奪い、今年で十四人目の犠牲者を出した。この中学生は佐々木禎子さん、12歳」朗読劇の主人公・佐々木禎子さんは、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった少女です。2歳の時に被爆し、10年後に白血病を発症。12歳の若さでこの世を去りました。禎子さんは「鶴を折れば願いが叶う」と信じて白血病と闘いました。朗読劇「鶴を千羽折ると、願いごとがかなうんじゃと」「えっ、ほんま?」「そんならうち、千羽折ろう!」◆少女の人生を朗読劇に朗読劇は、禎子さんの生涯を描いた絵本をもとに作られました。代表を務める伊集院さんは、終戦後も続いた市民の苦しみを伝えたいと公演を続けています。アクティブハカタ 伊集院晃生さん「使命感ということではなく、ただ禎子さんの話を伝えたい。何も力のない人間が死んでいくという禎子みたいな人の死というものは人間にとって強烈じゃないかなという意識があって」◆福岡に移り住んだ少女の家族8月7日の公演。客席には禎子さんの兄、佐々木雅弘さん(82)の姿がありました。雅弘さんは、福岡県那珂川市で約60年美容院を営んでいます。禎子さんが亡くなった後、両親やきょうだいとともに福岡へ移り住みました。禎子さんの同級生たちが募金活動を行い「原爆の子の像」が建った時には、家族に対して誹謗中傷もあったといいます。禎子さんの兄 佐々木雅弘さん(82)「『佐々木っていうのは、禎子を売り物にして金を稼ぎよるげな』って。売り物にして金を稼いでいるって言われたわけよ。これだけ苦労しているのに、なんにも分かってもらっていないということを、そこでまざまざと父は現実を見たわけね」◆少女の兄が大切に保管する妹の折り鶴雅弘さんの自宅には、禎子さんが入院中に飴や薬の包み紙で作った小さな折り鶴が1羽だけ保管されています。大人の親指の先にのるほどの小さなサイズ。鶴を折り続けた妹の気持ちを雅弘さんはこう推し量ります。禎子さんの兄 佐々木雅弘さん(82)「今になって思うけど、禎子は自分のことより親のことを思ったと思いますよ」◆少女の墓前で語った思い7月、公演を前に出演者たちは、兄の雅弘さんと一緒に福岡市内にある禎子さんの墓参りに訪れました。アクティブハカタ 伊集院晃生さん「20年間本当にお世話になりました。やっと成人式を迎えたので、ご挨拶に来ました」禎子さんの兄 佐々木雅弘さん(82)「純粋に禎子だけを語って劇にしていていただくのは、全国的に見てもここだけなんですよ。だから、永遠に続けていただきたいな」◆少女の人生が伝える「平和」のメッセージ朗読劇の中で禎子はつぶやきます。「鶴の数はもう千羽をこえているのに、なんで神様は私のことを助けてくださらないのだろう」劇は禎子さんが亡くなった3年後に、平和記念公園に「原爆の子の像」が建てられるところで幕を閉じました。「これはぼくらの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和をきずくための!」観劇した中学生「本当に苦しかったと思うし、自分では想像もできないような痛みとかもあって。それを同世代で体験されていると思うと心が苦しくなった」観劇した人「誰かが伝えたり、言っていかないと伝わらないものなので、これは」「平和への活動というか、願いを実現させていくひとつの力になるのではないかなと思いました」雅弘さんは、妹の禎子さんが病に冒されながらも最後まで失わなかった「思いやり」や「優しさ」を多くの人に持ってほしいと話しています。禎子さんの兄 佐々木雅弘さん(82)「劇の中で伝えられた禎子の心を持ち続けてほしい、そして伝え続けていってほしい」オリジナル記事を読む https://rkb.jp/contents/202308/202308087359/

http://www.nicovideo.jp/watch/so42595524