「ゴーストギア」をご存じだろうか? 海洋プラスチックごみ問題というと、多くの人がまず思い浮かべるのは、ペットボトルやレジ袋、食品包装など、私たちの日常生活から出るごみだろう。しかし、海に流出するプラスチックごみの中で、実は大きな割合を占めているものの一つが、漁業で使われる網やロープ、浮きなどの漁具だ。 漁業を支え、私たちの食卓に魚介類を届けるために欠かせない漁具。その漁具がいったん海に流出し、放置・漂流するようになると、今度は海の生き物を傷つけ、生態系を脅かす存在に変わってしまう。こうした持ち主を失った漁具は、世界的に「ゴーストギア」と呼ばれている。 ゴーストギアが特に危険なのは、それがもともと「魚を捕るため」に作られた道具だからだ。海中に漂う網やロープは、漁業者の手を離れた後も、魚やカニ、ウミガメ、海鳥などを捕獲し続ける。これが「ゴーストフィッシング」、すなわち幽霊漁業と呼ばれる現象だ。誰も漁獲しないまま、生き物だけが捕まり、傷つき、命を落としていく。 被害はそれだけにとどまらない。海底に沈んだ網はサンゴ礁や藻場に絡みつき、海の生き物たちのすみかを破壊する。漂流するロープや網が船のスクリューに絡まれば、海難事故の原因にもなる。さらに、現在使われている漁具の多くはプラスチック製であるため、海中で長い年月をかけて劣化し、マイクロプラスチックを放出し続ける。ゴーストギアは単なる「海のごみ」ではなく、生態系、水産資源、観光業、海上交通、さらには人間社会そのものに影響を及ぼす複合的な環境問題なのである。 WWFジャパンは2023年から、全国各地で「ゴーストギア調査隊」を展開し、海中にどのような漁具がどれほど残されているのか、その実態把握を進めている。その調査の中で、長崎県五島市では、長さ約300メートルにも及ぶ巨大な網が発見された。網は海底のサンゴに絡まり、水面近くまで立ち上がるような状態で漂流していたという。その回収には地元の漁業者やダイバーが協力し、約1週間の作業と100万円近い費用を要した。 この事例は、ゴーストギア問題の難しさを端的に示している。海の中に危険な漁具があることが分かっても、それを見つけ、引き上げ、陸上で処分するには、多くの人手と技術、そして費用が必要になる。しかも現在の制度では、海中の漁具を回収した人が、その処分費用まで負担しなければならないケースも少なくない。 背景には、日本の漁業が抱える構造的な課題もある。漁業者の高齢化、収益の悪化、産業廃棄物処理費用の上昇などにより、漁具の管理や回収に十分なコストをかけることが難しくなっている地域も多い。ゴーストギア問題は、単に漁業者の責任を問えば済む問題ではない。水産資源を利用する社会全体で、どのような仕組みを作るのかが問われている。 WWFジャパンの笘野哲史氏は、まず重要なのは、失われた漁具を把握する仕組みを作ることだと指摘する。例えば台湾では、漁業者が漁具を紛失した場合、3日以内に当局へ届け出る制度が整備されている。これにより、どこで、どのような漁具が、どのような状況で失われたのかという情報が共有され、回収活動や被害防止につなげることができる。 一方、日本には、漁具の紛失を全国的に報告する制度がまだ整っていない。そのため、どれほどの漁具が海に流出しているのか、どの海域でどのような種類のゴーストギアが発生しやすいのかについても、推計に頼らざるを得ない。台風や荒天によるやむを得ない流出であっても、情報が速やかに共有されれば、回収の可能性は高まり、他の漁業者への被害も減らすことができる。 もちろん、対策は単純ではない。世界では、生分解性素材の漁具を導入したり、漁具の構造を規制したりする取り組みも議論されているが、日本の漁業には、地域ごとの自然環境や対象魚種に応じて発展してきた多様な漁法がある。網の形状、強度、目合い、設置方法は、魚種や海流、海底地形に合わせて工夫されており、その多くは漁師たちが長年の経験と知恵によって築き上げてきたものだ。 そのため、一律に「この漁具は禁止」「この構造は使えない」と規制することは、漁業そのものに大きな影響を与えかねない。海の環境を守るための対策が、地域の漁業を過度に圧迫してしまえば、持続可能な解決にはならない。必要なのは、漁具の価値と漁業者の知恵を尊重しながら、地域ごとの実態に即した対策を積み重ねていくことだ。 今回のセーブアースでは、WWFジャパンでゴーストギア問題に取り組む笘野哲史氏をゲストに迎え、環境ジャーナリストの井田徹治とキャスターの新井麻希が、海を脅かすゴーストギアの実態と、その解決に向けた道筋を議論する。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)