資治通鑑9176文字(12/365位)【登場人物】・メイン 4/7-拓跋珪-5/17・準メイン 3/24-呂光-5/7 4/3-慕容徳-5/13 4/9-桓玄-5/11 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 沮渠蒙遜-6/12 馮跋-6/8【できごと】 北魏、中山の衛星都市と言える信都と鄴を攻撃。信都はなんとか落とすものの、途中で慕容宝の逆襲を受けあわや大敗、という瀬戸際にまで追い込まれますが、そこから逆転。ただこのピンチが北魏本国に届くと、拓跋珪の実力を疑った諸部に叛旗を翻されています。拓跋珪の強さは凄まじいですが「強くなければ食い殺される」という現実も背負わされていたのを感じます。 後燕はグダグダです。慕容麟が慕容宝に対して非恭順的な態度を貫いたり、才能こそあったが慕容宝から愛されていなかった息子、慕容会が慕容宝に対して命令違反を繰り返したり。中山に逃げ込んだ慕容宝でしたが、瞬く間に北魏軍による包囲を受けます。ただし、ここからの中山攻めの進行は遅々としたものでした。後燕兵は降伏したら参合陂の時のように虐殺される、と恐れていたのです。この話を捕虜から聞いた拓跋珪は、思わず参合陂での虐殺主導派であった臣下の顔に唾を吹き付けました。 とは言え徐々に追い詰められ、慕容宝もじり貧です。ついに包囲の隙をついて中山を脱出、龍城に引きます。追撃してきた北魏軍は、慕容会が迎撃。これにより慕容会は驕り高ぶるようになりました。そこに慕容農らから「もう少し王に忠誠を尽くせ」と言われたので怒り、慕容農を襲撃、大けがを負わせます。これに怒った慕容宝は慕容会を攻め殺しました。この戦いで活躍した中には、のちに北燕を建てる高雲や馮跋がいました。 慕容徳はこのとき鄴で北魏の侵攻を跳ね返し続けていましたが、慕容宝が龍城に脱出したことで、完全に分断を受けていました。 晋では孝武帝の息子であった司馬徳宗が即位。安帝です。ただしこのひとは白痴レベルで意思疎通がきかなかったとされています。その上で側近のひとりに王国宝がつけられました。外地を守る王恭や殷仲堪が危ぶむのも当然でしたし、実際に王国宝誅殺の計画も練り、決起しました。この動きを受けて司馬道子は焦り、王国宝に責任をすべてなすりつけて誅殺。さらに官位で王恭らを懐柔しました。このため王恭らは、ここで兵を引きます。ただ、火種はくすぶったままでした。 後涼は西秦と戦うも失敗。この事態を受けて禿髪烏孤が王として自立。そして段業もまた周囲の推戴を受けて自立しました。この段業の陰には、のちの涼州を席巻する奸雄、沮渠蒙遜がいました。