慕容垂死亡! 復讐の末【夕刊シチ 5月3日号 395年12月】

慕容垂死亡! 復讐の末【夕刊シチ 5月3日号 395年12月】

通鑑4052文字(98/365位)【登場人物】・メイン 3/4-慕容垂▲ 4/7-拓跋珪-5/17・準メイン 3/24-呂光-5/7 4/3-慕容徳-5/13 4/9-桓玄-5/11 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25【できごと】 参合陂の敗戦は、後燕にとり致命的な権威の沮喪でした。リベンジを図るため平規という重臣に兵力集めを任じれば、その平規が出先で反旗を翻します。自らが出向いて平規を南方に追いやると、慕容垂、そのまま北魏に、速やかに、静かに進軍。一気に北魏の都であった平城を陥落。この事態を拓跋珪がどう認識したかは不明ですが、司馬光さんはここで拓跋珪が慌てふためき、恐れ錯乱していてほしい、という願望をだだ漏れとしています。なので、そう書いてます。司馬光さんは偉大だと思うんですが、時々やらかす願望に基づいた史料選定にはちょっと冷静になったほうがいいんじゃないかなって思います。 去年までの病はどうした、という感じの慕容垂ですが、実際のところガソリンは底をついていました。平城を陥落させたところで帰還、途上で参合陂に寄り、未だ葬りきれないままであった燕軍兵の死体を見て慟哭、危篤に陥り、そのまま死亡します。なおその後を継いだ慕容宝でしたが、慕容垂の当時の正妃からは素質を疑われていました。なので慕容宝は即位したそばからこの正妃を自殺に追い込みます。うーんこの。その後慕容宝は乱政を連発し、民心が一気に離れたと書かれますが、ここはまぁ北魏側からのプロパガンダも多少は疑っていいところでしょう。そんな北魏では、拓跋珪が皇帝に即位。さらに拓跋珪は後燕への侵攻を開始。并州を落とし、太行山脈を越え、各地を攻撃。そしてこの過程で崔宏を獲得しています。余談ですが拓跋珪の即位直前にその母である賀氏が死亡しています。偶然ですね!  晋では孝武帝が寵愛していた夫人に「ババアお払い箱にするねwww」と放言、恨まれた夫人により殺された「と言うことになっている」事件が起こっています。ここの資治通鑑の記事はうっすらと司馬道子による暗殺を疑っているふいんきですが、敢えて直言はしていません。「真相は明らかとならなかった」で濁しています。ともあれここから晋は旧孝武帝派と司馬道子派の対立が激化します。つまり、劉裕登場のマエフリです。 中央があまりに賑やかすぎる年でしたが、ここでついに呂光が涼王を名乗りました。ただ禿髪烏孤は「いややばいでしょこの国」と独りごちていたりもします。段業の北涼と共に、南涼も、確実に萌芽の時を待っています。と言うか呂光さんの振るまい、錯乱しているようにしか見えなくて悲惨です。

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