悪魔立つ! 劉勃勃独立【夕刊シチ 5月15日号 407年05月】

悪魔立つ! 劉勃勃独立【夕刊シチ 5月15日号 407年05月】

資治通鑑原文3563文字(117/365位)【登場人物】・メインキャスト 4/7-拓跋珪-5/17 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1【できごと】 晋内部での政権再編が進みます。安帝の弟司馬徳文、のちの恭帝が司徒につけられ、劉裕は車騎将軍に昇格。このあたりで桓玄打倒軍の首魁たちの間に権力争いが生じていたことが書かれています。この政争を劉裕は劉穆之からの助言を受け、巧みに泳ぎ抜きました。一方で蜀遠征が上手く進みません。そこで劉裕、劉道規を総取締とし、劉牢之の息子である劉敬宣に軍を率いさせ、第二次遠征を開始させました。なお劉敬宣は司馬休之と共に南燕に亡命していたため対桓玄戦で武勲を立てておらず、劉裕はここで箔をつけさせようとした、と書かれます。 北魏では、この年も功臣たちをこれでもかと処刑しています。この頃既に錯乱が始まっていたのではないか、と思わされます。 さて、後秦です。涼州統治が不安定である以上、北魏と事を構えるのは悪手。そこで北魏と手を組むことにしました。すると、これが最悪の結果を招きます。居候・劉勃勃。劉勃勃にとり北魏は不倶戴天の敵です。このため両国の和親に激怒し、折しも柔然が後秦に献上しようと運搬していた馬八千を奪った上で独立しました。夏の建国です。 こうして自立した劉勃勃は南涼と同盟を組もうと申し出ましたが拒絶されたため襲撃、大破しています。この大敗のせいでここから南涼が衰退し始めます。天災にすぎる。 後燕では引き続き慕容熙が苻氏の葬儀を盛大に執り行っていました。こうした乱脈ぶりにいい加減キレたのが馮跋でした。慕容熙が葬儀のため龍城から出払っている隙をついて決起。嫌がる慕容雲を強引に盟主に担ぎ出します。これを聞いた慕容熙は鎮圧のため龍城に戻りますが、攻め落とせません。遂には軍を放り出して逃亡。慕容雲は逃げ隠れしていた慕容熙を見つけ出すと処刑し、自身が即位します。ところで慕容雲は高氏から慕容氏に養子入りした身でした。このため即位すると自身の姓を高に戻します。王の姓が代わったわけですから、以降が北燕となります。 南燕では慕容超が後秦に残した母と妻を取り戻すべく、韓范を後秦に遣わせ、おそらく長安より引き連れられていたのであろう太樂の芸人百二十人を後秦に献上、その上で臣従を誓いました。このため姚興も求めに応じます。この紐帯は、劉裕の南燕討伐における鍵となるのです。

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