建康激震! 盧循逆襲【夕刊シチ 5月18日号 410年03月】

建康激震! 盧循逆襲【夕刊シチ 5月18日号 410年03月】

【410年03月】資治通鑑原文5698文字(50/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 檀道済-6/14【できごと】 五斗米道は周到でした。既に書いた通り、譙縱とも連携をとった。これが西から迫り、自身は南から。途中の郡主らはなすすべなく破れるか、逃亡。その中のひとりには劉裕の同志、何無忌もいました。こうした要将の敗死を受け、劉裕は最精鋭の軍だけを率いて急速南下。旧南燕領については韓范に統治を任じ、劉穆之に補佐をさせましたが、間もなくして「韓范の謀反が露見し処刑されました」。ホントカナア? 劉裕自身はなんとか建康に間に合いますが、南燕戦で兵は疲弊、建康の人々は恐慌状態です。こうした中劉毅が迎撃に出ると言い出します。ここで劉裕が「お前じゃ無理だ」と言い出したので、劉毅、制止を振り切り出征、そして大敗。五斗米道を更に勢いづかせました。しかし盧循は心配性で、ここで攻撃に躊躇を見せます。この躊躇が結果として劉裕に迎撃準備を整えさせるだけの猶予を与え、結局盧循は攻略が不可能と判断、撤収を開始しました。ただし、このとき西方に軍を発します。狙うは劉道規の守る江陵です。このとき蜀から譙縱軍が迫っていた江陵は東西両面から攻撃を受ける状態に。しかし劉道規、この絶体絶命の窮地を、北からの魯宗之の助けも借り、突破。このときの配下将に、のちに武名を轟かせる檀道済がいました。 建康も、江陵も失敗。盧循、本拠地に戻るしかありません。しかし劉裕もまた周到でした。建康から海沿いで、つまり盧循が過去にとった経路を用いて別働隊を派遣。盧循が拠点としていた番禺城を陥落させていました。帰る場所を失った盧循は更に西方に逃亡、徐道覆は途上で討ち取られます。こうして劉裕は絶体絶命の危機を、その豪腕でぶち抜くのでした。 夏と後秦の戦いはどこまでも夏優勢に進みます。そうした中、後秦からひとりの士人が夏に帰服しました。王買徳と言います。王買徳は「まだ秦は滅ぼせないので時を待つべきです」といい、劉勃勃に気に入られ、召し入れられることになります。 柔然は北魏と戦い、敗れると、郁久路社侖が敗走中に死亡。弟の郁久路斛律が可汗となりました。またこの頃南涼は北涼や吐谷渾よりの蚕食を頻繁に受けています。盛衰は無常ですね。

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46324674