【414年01月】資治通鑑原文3387文字(128/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/18-檀道済-6/14【できごと】 劉裕の権勢はいよいよ頂点、しかしあと一人、最後の一人が待ち受けます。司馬休之です。とは言えこれまでの措置をみていると、劉裕が実権を握った後、司馬休之からどのように権勢を剥ぎ取るかの試みが続けられており、結局それがなかなか上手く行かなかった、と言う印象にもなります。と言うわけで劉裕、ついに「お前の息子が建康で悪さばかりしている、荊州に送り込むので処刑しろ」と難癖をつけました。これに逆らったら謀反と見なすぞ、と言うわけです。なかなかに無茶を仰る。 外側にだいぶ虫食いの出た後秦ですが、中もヤバい。後秦の太子は姚泓でしたが、その兄である姚弼は才覚があり、しかも姚興よりの寵愛を受けていました。それを鼻にかけなにかと姚泓を軽んじる動きを見せ始めます。折悪しく、このタイミングで姚興は病を得、寝込みました。すると姚弼、なんとクーデターを起こします。この期に及んで姚弼に対して苛烈な処断を下せない姚興は臣下から「いやいい加減もう無理でしょう!」という声を受けるのですが、反論らしき反論もなく、ただ俯くのみでした。 お隣の南涼ですが、ついに限界が来ます。配下部族が決起したため禿髪傉檀が討伐に出、都が空になったところを西秦軍に襲撃され、陥落。帰るところを失った禿髪傉檀は配下からも見放され、ほぼ単身で乞伏熾磐のもとに降伏。こうして南涼は滅びました。禿髪傉檀は西秦の公卿として取り立てられますが、一年ほどのちに毒殺されます。 こうした事態を受け、南涼の皇族たちは北魏に亡命しました。というのも拓跋氏と禿髪氏は、どうもかなり近い関係性の氏族であったそうなのです。このため拓跋嗣も彼らを受け入れ、源が同じ、ということで彼らに「源」姓を与えました。中でも源賀は、こののちの北魏の重鎮として名を知られます。また北魏は柔然、北燕それぞれに使者を送り込みました。ただこの使者は却って両国の反感を募らせるにすぎませんでした。一方、そんな柔然ではクーデターが起きます。郁久閭斛律は捕らわれ、北燕に追放。新たに甥の郁久閭歩鹿真が立ちましたが、すぐさま郁久閭斛律のいとこである郁久閭大檀に討たれ、郁久閭大檀が新たな可汗となりました。