【414年12月】資治通鑑原文3976文字(101/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/18-檀道済-6/14 崔浩-6/29【できごと】 司馬休之周りが不穏になるのに連動してか、北魏との国境付近で司馬氏宗族による動乱が起き、その地の守りを任されていた劉敬宣が殺されたりしています。しかし劉裕はそちらを捨て置き、司馬文思周りで曖昧な態度を取る司馬休之を朝敵と設定、攻撃を仕掛けます。司馬休之はこの動きに対抗、あわせて襄陽の魯宗之もこのままでは滅ぼされる、と司馬休之に合流しました。なお劉裕は司馬休之の配下に「司馬休之以外を敵とするつもりはないので我が元に降れば誠意を示そう」と手紙を送りましたが、「お前のどこに誠意があるのだ!」と長々とした罵倒を喰らっています。この罵倒は宋書武帝紀にもまるまる載っています。隠しきれなかったのか、あるいはこれを載せることが皇帝の度量の証、としたのでしょうか。ともあれ劉裕はこの戦いで自分の娘婿を失うも、戦いそのものは完勝。司馬休之および魯宗之は後秦に亡命しました。荊州には劉裕の無能なほうの弟である劉道憐がつきましたが、実務を回したのはその臣下でした。なお宋書楽志には、劉裕の娘である劉興弟のもとに丁旿が訪問、夫の死に様を報告し、彼女を慟哭させた、という話が載っていてとてもえっちです。 北魏の官制礼制を整えた崔宏には息子がいました。崔浩と言います。既に一回名前を挙げていますけれど。このひとは天文読みに抜群の才覚を示しており、この頃からいよいよ本格的に拓跋嗣のご意見番として取り立てられるようになります。たとえば火星の動きから「間もなく後秦が滅ぶでしょう」と予言をして他者より総おこられを喰らい、黙って退く、などです。なお間もなく後秦では大干魃が起こり、崔浩を怒った皆さんは「当たってる!?」と驚いたそうです。なお三年後。 赫連勃勃は引き続き後秦を攻撃。そうした中姚興はクーデターを起こした姚弼を許してしまいました。その病もいよいよ重篤となっており、姚興の判断および病状が後秦に政情不安を引き起こしています。 北涼の沮渠蒙遜のもとには、蜀を守る朱齢石からの使者がもたらされていました。ここで沮渠蒙遜は晋と共に中原の五胡勢力、すなわち北魏や後秦の撃滅をする、と誓っています。この動きはまさしく近攻遠交。劉裕による後秦討伐の時が迫りつつあるのを感じさせられますね。