【415年12月】資治通鑑原文4287文字(87/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5 劉義隆-7/2・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興▲ 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29【できごと】 北魏は拓跋珪が最強の将そのものであったため、なかなか配下将が目立ちませんでした。ここで特筆に値する将が二名出ます。叔孫建と、于栗磾です。ここで北燕とのいざこざもあったりもしますが、大局が動くほどではありませんでした。 西秦と北涼は幾度かの戦いの末、ここで和睦。その目的は、まあ後秦領のぶんどりと見て差し支えないでしょう。姚興は病気を理由に中央から離れようとしますが、ここで姚弼が、今度は姚興の暗殺をもくろみます。これはもうどうしようもありません。ついに姚弼を自殺させると、そのまま姚興も死亡。姚泓があとを継ぎましたが、その権威は父と兄のおかげでどん底です。夏や西秦がひっきりなしに攻めてくるほか、次々と内乱が勃発。この頃姚碩徳は既に亡く、姚泓は叔父の姚緒に頼り、その内乱を鎮圧させました。 この事態を受け、誰が動くでしょうか。劉裕です。大規模な北伐の軍を編成し、建康には嫡子の劉義符を置き、襄陽から、寿春から、彭城から、果てには漢中それぞれから軍を発し、侵攻。このとき、あえて総大将を司馬徳文としました。王鎮悪や檀道済を先鋒とし、自身は一度先祖の故郷たる彭城にて先祖「と設定されていた」劉交、すなわち劉邦の弟、および「早期に引退を申し出、大権に与ろうとしなかった」張良を祀ります。そして彭城には三男の劉義隆を置き、さらに北上。黄河南岸にまで出ます。このとき黄河が北魏との勢力境界線となっており、これはもう北魏に対する示威行動にも等しいものでした。「後秦攻めを邪魔したらお前らに襲いかかるからな」というわけです。このため北魏は散発的な妨害行為しかできず、劉裕の進軍を許します。 一方、先発隊です。錚々たる名将たちに攻められてしまえば、洛陽の守りなど紙切れに過ぎません。あっという間に陥落。ここで司馬徳文に晋の先帝らの陵墓を修復させます。桓温のようにいち将軍ではなく、皇帝の弟によるものです。これを成し遂げた劉裕の功績は未曾有のものであるとして、宋書武帝紀は「劉裕くんの功績ヤバい!」と褒めちぎる安帝陛下のお言葉が長々と載ります。ただしこれは劉裕の配下、傅亮の筆によるもの。文武揃ってのパフォーマンス、絶好調です。