資治通鑑原文5847文字(46/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5 5/24-劉義隆-7/2・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 4/24-姚興-5/25 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29【できごと】 北魏は劉裕の後秦討伐をどのように考えていたでしょうか。崔浩が拓跋嗣に話しています。「後秦では到底劉裕には勝てません。あれは漢の献帝にとっての曹操のようなものです。ただ北に赫連勃勃がいる以上統治は安定しないでしょうし、その勃勃も所詮粗暴なだけの小者。関中獲得のために、陛下はただ座して待っておられれば良いのです」と。この話を聞き、拓跋嗣はその通りだ、と大いに笑っています。 洛陽を落とした劉裕のもとには乞伏熾磐が後秦討伐に参与したい、と申し出、劉裕もそれを受け入れています。そして西進。途中王鎮悪が独断で突っ走って要衝の潼関を前に敗走という珍事も起こりましたが、その要衝も抜き、ついに長安へ。長安はただでさえ内憂に悩まされていたところに漢中から、襄陽からの各方面軍にも牽制を受けており、そこにさらに本軍の到着です。なすすべもなく長安は陥落しました。ただこのとき北魏軍が洛陽の東にある虎牢と言う城を奪ったとも書かれており、どうも、思ったより劉裕が動員した軍の規模は大きくなさそうです。この点について一つ、面白い話を載せておきます。この後秦討伐軍ですが、「どのくらいの規模であったかの情報が、一切載りません」。ともあれ姚泓は捕らえられ建康にて処刑されました。ここに後秦が滅びます。 さて、この長安陥落。周辺諸国はどう感じたことでしょう。一番面白いのは沮渠蒙遜で、この事態に対して激怒しています。たぶん旨いところをぶんどれなかったことに対して怒ったのでしょう。赫連勃勃のもとには劉裕から使者がよこされており、赫連勃勃はその対応をカンペ丸暗記という荒技で乗り切り、劉裕を唸らせています。そして西秦は実際にどの程度長安陥落に貢献できたのか不明です。あと例によって吐谷渾を攻撃して王の吐谷渾樹洛干を死に追いやりましたが、そのあとを継いだ吐谷渾阿柴が名君であり、その勢力を却って強盛にした、と書かれます。 また、ここで西涼の李暠が死亡、息子の李歆が立ちましたが、残念ながら父親ほどの統制力は持ち合わせておらず、以降西涼は沮渠蒙遜にボコされることになります。あわれ。 と言うわけで劉裕、長安獲得。天下統一まであと一歩、ですねっ☆