資治通鑑原文2680文字(163/365位)【登場人物】・メイン 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5 5/25-劉義隆-7/2・準メイン 4/28-赫連勃勃-6/3 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 劉義慶-6/23【できごと】 劉裕が関中を落として起こったこと。それは関中の民の北魏亡命でした。これについては判定が難しいところです、なにせ魏書なら普通に晋の北伐を悪事としてこのあたりを盛ってくるだけの信頼があります。とは言えむやみに疑ってもしかたがありませんので、「これは実際にあった」としておきましょう。劉裕の南燕での所業を思えば、ありえない話でもありません。 さて、ここで一度、拓跋嗣自ら北燕を攻撃。民をさらい、帰還しました。そして兵糧を南方に集め始めます。劉裕にナメられたことに対する仕返しを計画し始めたようです。この動きを察知したか、過去に劉裕に滅ぼされた刁氏の生き残り、刁雍が「晋を伐ちたい」と願い出てきました。復讐の時来たれり、というわけです。 長安の劉裕に、劉穆之死亡の報がもたらされました。実のところ、北伐は劉穆之の後方調整及び支援の賜物でした。「その死によって建康の政務が回らなくなった」とありますから、ただ事ではありません。任務を引き継いだ徐羨之は指揮官ではありません。そこで劉裕は慌てて彭城に戻ります。長安を次男の劉義真に任せ、その補佐に王鎮悪をつけて。すると、直後長安を狙ってきた赫連勃勃を前に、王鎮悪は後ろから刺されて死亡。しかも、王鎮悪を殺した将は防衛軍略の片翼を担うような立場でしたが、その暴挙が理由で、やはり処刑されます。これで関中の指揮系統はズタボロとなりました。赫連勃勃にしてみれば、勝手に関中というケーキを食べやすく切り分けてもらえたようなものです。 一方、劉裕は彭城まで帰還したところで豫章郡公から宋国公に昇格しました。ここで言う「国」とは晋の臣下でありながら、独自に朝廷を持つことが許される立場です。体面では「その絶大な権力を晋のために振るってほしい」ですが、ではその内実はどうでしょうか、というわけですね。 西秦は引き続き地味に勢力拡大、北涼はいよいよ西涼に攻撃開始。このとき李歆は晋に涼公継承を報告していますが、これは実質「助けて晋えも〜ん!」的悲鳴のように思えてなりません。晋もその承認をした、という使者は送っていますが、その本心は「まぁ遠方のことだし適当にどうぞ!」程度の感覚であったのかもしれません。