劉裕即位! 南朝の始まり【夕刊シチ 5月28日号 419年09月】

劉裕即位! 南朝の始まり【夕刊シチ 5月28日号 419年09月】

【419年09月】資治通鑑原文2207文字(206/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/7-劉裕-5/30 5/12-陶淵明-6/5 5/25-劉義隆-7/2・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 劉裕、王に。もはや完全に曹操親子、司馬師親子と同じルートです。明確に違うのは、自らの君主をすでに手にかけていること。そのうえでさらに恭帝に禅譲の詔勅を書かせました。この時恭帝は「桓玄の時に滅んでいたはずが永らえただけだ」と、粛然と劉裕から押し付けられた草稿を清書しました。そして、禅譲の儀。このとき劉裕の即位を喜ぶ謝晦の隣で、徐広という人物が人目もはばからず号泣しています。いわく「わしにとっては今この瞬間、仕えていた国が滅んだのだ」。同じことは曹丕の即位の時にも陳羣が言っています。これは儒者の気骨か、皇帝の度量のアピールか。それぞれの物語の基準に応じて解釈するのが良いのでしょう。恭帝は零陵王とされ、また北魏以外の各国には官位をばらまきます。 劉裕の子供たち、甥たちも次々と王位につきます。そしてこの流れで劉裕の即位を見ることの叶わなかった劉穆之の爵位追贈もなされ、合わせてここで「穆之が死んでから、俺は軽んじられるようになった」という劉裕のボヤキが載せられます。司馬光さん、たぶん劉穆之への追贈、このボヤキをねじ込むために入れています。劉裕の即位にケチをつける気満々です。そしてさらに司馬光さんは、ここに拓跋嗣のコメントを載せます。いわく、「俺はこれまで天なぞ信じていなかったが、ここに来て初めて信じる気になった」と。 めでたく劉宋が立ちました。この頃北はどうでしょうか。沮渠蒙遜が西秦に攻め込んだので、これを好機と李歆が北涼に攻撃を仕掛けようとします。臣下や、母親までもが李歆を止めますが、聞きません。こうして李歆は出撃。すると沮渠蒙遜、ある程度まで西涼軍を引き付け、後戻りができなくなるタイミングで転進、西涼軍に襲いかかり、大破します。この戦いで李歆は戦死。沮渠蒙遜は西涼の都も一気に陥落させました。ここで沮渠蒙遜は城への略奪を禁じ、また人士らを厚遇します。中でも李歆の母、尹氏の気骨は、沮渠蒙遜より大いに賞賛されるところとなりました。西涼は残党がさらに西に逃れはしましたが、ここに、ほぼ滅んだと言っていいでしょう。十六国、残るは北涼、西秦、夏、北燕。……意外と残ってますね?

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46364504