北魏南侵! 洛陽陥落【夕刊シチ 5月31日号 422年07月】

北魏南侵! 洛陽陥落【夕刊シチ 5月31日号 422年07月】

【422年07月】資治通鑑原文4013文字(100/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/12-陶淵明-6/5 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1・準メインキャスト 4/28-赫連勃勃-6/3 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/11-拓跋嗣-6/1 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 劉宋と北魏は、なにせ大国同士です。このため互いに使者を交わしていました――これまでは。明元帝、武帝の死を聞くと、いきなり使者を捕まえます。「使者の礼がなっていない」。名目こそこうなっていますが、まぁ北伐時に舐められた意趣返しでしょう。明元帝のこの動きを崔浩が「損害に対してメリットが少なすぎます」と諌めますが、聴きません。大軍を編成し、洛陽を、青州を攻撃させます。この戦いは基本的に北魏有利に進むのですが、王鎮悪の副官であった毛徳祖をはじめとした宋の現地将らが奮戦、その作戦進行の鈍さに明元帝を激怒させています。さらにこの動きを受け、檀道済をはじめとした中枢将らが軍備を整えた上で北上。青州については各地を大いに荒らされこそしたものの守り抜きましたが、最終的に洛陽をはじめとした黄河南岸域を広く失陥、毛徳祖ら守将もほぼ捕らわれました。こうして北魏の前線基地と化した洛陽には于栗磾が配され、青州を睨む地域には叔孫建や刁雍が配されます。明元帝は新たに獲得した領土を巡幸したのち、平城に帰還しました。また、こうした動きを受けて山間の蛮と呼ばれる部族らが北魏に朝貢をなしました。これは建康と荊州とを分かつ山塊、大別山脈に毒入りの錐が埋め込まれたようなものです。 こうした事態を受け、徐羨之、傅亮、謝晦は、国土を失った責任を取るとして自らを弾劾すべく申し出ましたが、少帝はこれを不問としました。この事態につけ込んで三名を離間しようとする動きもありましたが、あっさりと退けられています。 ここしばらく夏と北燕の話がありませんが、この年もやはりありません。北涼と西秦が引き続き干戈を交えていますが、こうした中乞伏熾磐は、各地の情勢をひと通り見回した上で北魏への臣従を誓うことにしました。 五胡西方の最終局面は、夏を真ん中に置き、夏と北涼が結び、西秦と北魏が結ぶ、と言う状態です。仇池については、ちょっとよくわかりません。ともあれ北魏にしてみれば、とにもかくにも夏が目障りで仕方がない、と言う状況になっているわけです。ただし、ここから事態が動くのは拓跋燾、即ち、太武帝が即位してから、となります。

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