二十本の矢! 新世代たち【夕刊シチ 6月2日号 424年06月】

二十本の矢! 新世代たち【夕刊シチ 6月2日号 424年06月】

通鑑2860文字(155/365位)【登場人物】・メイン 5/12-陶淵明-6/5 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27 6/1-謝霊運-6/12・準メイン 4/28-赫連勃勃-6/3 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 徐羨之らは刺客を送り込み、金昌亭にて劉義符を暗殺しました。このとき劉義符の化け物じみたフィジカルが描写されており、生まれるのが十五年早かったら違ったんだろうな、と思わずにおれません。ちなみにこの暗殺劇に対して司馬光さんは裴子野による「武帝の教育不足が悪い」論を長々と載せます。なお裴子野は三国志に注を付したことで有名な裴松之のひ孫であり、その裴松之は、まさしくこの時代に現役真っ盛りです。 荊州の劉義隆のもとには傅亮が赴き、奉戴を申し出ました。劉義隆は躊躇しますが側近である王華の助言を受け、建康に赴き、即位します。文帝です。なお傅亮は文帝の兄たちの死に対する慟哭を見て、「我々は助からない」と確信しました。また謝晦が荊州刺史として配属されます。はっきりと見えることがあります、劉毅や司馬休之と同じパターンです。本人は「建康から脱出できた!」と喜んでいたようですが。 柔然の郁久閭大檀は明元帝の崩御を好機と見、北魏に攻めかかりますが、太武帝が自ら出撃、大破します。そのまま臣下に追撃させ、多量の資源を獲得。あまりにも鮮やかすぎるデビュー戦です。そして帰還すると、保母であった竇氏を保太后としました。これではなんのための子貴母死なのか、とツッコむのは禁句のようです。 西秦はこの年も各地を攻撃。まだまだ元気です。その西秦に脅かされ続ける吐谷渾では、王の吐谷渾阿柴が死亡しました。その死に際し、二十人の子らそれぞれに矢をもたせて折らせ、その後今度は二十本をまとめて折らせようとした、と言うエピソードが現れます。西秦との関係を思えば、極めて重いエピソードです。そのあとは弟の吐谷渾慕璝が継ぎました。 ここで、久々に夏の話が出ます。赫連勃勃は太子に才なしということで廃そうとしたところ謀反を受けました。この謀反は弟たちにより討伐され、喜んだ赫連勃勃はその中で主導的な役割を担った赫連昌を改めて太子に立てました。また北燕の話もあります。女児が男児に変わる、という怪異が起こった、とのことです。えっ、それだけ? まぁ、どちらも当人死亡後に何が起こるか、ということについて暗示しておきたいようですね。

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46385668