通鑑2383文字(187/365位)【登場人物】・メイン 5/12-陶淵明-6/5 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27 6/1-謝霊運-6/12・準メイン 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 文帝、親政体制を築きます。裴松之らをはじめとした人士を各地に派遣、各地の政務の状況をヒアリングさせました。また軍務を檀道済に委ね、中央には宰相らしい宰相は置かず、王華・王曇首・劉湛・殷景仁・謝弘微の五名を謀臣として諮問役に据えました。この状況に対し、荊州時代からの参謀役という自負心のあった王華は特にがっかりとしていました。文帝としては王華や王曇首を特に褒賞したかったようではあったのですが、「罪人を討伐しただけです」と王曇首に辞退されてしまったため、この褒賞も立ち消えとなりました。王華の褒賞も一緒に。王華さん不憫。 赫連勃勃の死は、北魏国内にも夏討伐の機運を引き起こします。ただ、夏の北ではいつまでも柔然が厄介な敵として存在しています。そこで太武帝は臣下らにどちらを先に討伐すべきかを諮問しました。多くの臣下が「先に柔然です」と言いますが、その中で崔浩のみ「柔然は倒そうとしてもすぐに逃げてなかなか倒しきれません、先に国体がグズグズとなっている夏を落とすべきです」と具申しました。すると「赫連昌に守りを固められたら、その背後から柔然に襲われるぞ?」と反論を受けますが、崔浩はここで「天運がそうなっているんです」で切り捨てました。するとこの遅々として進まない議論に太武帝は激怒し、崔浩に反対した者たちを罵倒、そして夏に向けて軍を動かします。蒲阪や陝城といった洛陽から長安に向かうためのルートを次々と陥落させました。そして太武帝自身も平城より出撃。そしてこの動きに西秦も連動します。さらに南進する太武帝の前で黄河が氷結、太武帝は労せずして黄河を渡り、統万城に到着、攻撃を開始しました。ただしこのタイミングでは城を陥落させず、周辺地域を略奪の上で統万城を離れ、そのまま関中襲撃に移り、長安を陥落させます。この事態を受け、沮渠蒙遜も、楊玄も、北魏に臣従を申し出ました。 こうした動きを受け、乞伏熾磐はいまこそ北涼を弱らせる機会と北涼に侵攻しますが、沮渠蒙遜はここで赫連昌に援軍を要請、逆に西秦軍を包囲し、撤退させています。そして西秦では離反が起こったり反乱が起こったりと、周辺を攻めてる場合なの? 状態になっていきます。西方も、なかなか落ち着きません。