【6月7日号 429年03月】崔浩の神眼! 態度は最悪

【6月7日号 429年03月】崔浩の神眼! 態度は最悪

【429年03月】資治通鑑原文2987文字(152/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27 6/1-謝霊運-6/12・準メインキャスト 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋-6/8 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 前回の太武帝の沈黙、それは柔然攻撃の準備のためでした。しかし、いよいよ兵を興そうというときに、臣下らがこぞって反対します。いわく、天のめぐりがよろしくない。いわく、後背の宋にこのスキに乗じられてはことだ。こうした反対意見に対し、太武帝は論破マシーン崔浩を起動させます。崔浩は開口一番「そも、これは遠征でなく罪あるものへの裁きである。むしろ天の巡りは断罪に適した時と告げている」と言い、さらに反対論者の中にもと夏の臣下がいるのを認め「では問うが、貴公らは夏主に対し、敗北の兆しを伝えたのか? 兆しが見えておらなんだであれば未熟、見えて告げなんだであれば怠慢ぞ」と切り捨てています。その上で言い切るのです、「宋は所詮動けぬ、むしろ今ここで柔然を討っておかねば、それこそ宋との戦いにて後背をつかれることになるのである」と。そして太武帝の出撃前に崔浩は寇謙之に向け「諸将のあの愚鈍ぶりが好機を逃すことにつながらねば良いのですが」とも漏らします。 そして、出征。ここで太武帝は柔然を大いに追い込みますが、慎重論を唱える諸将の言葉を受け入れ、いったん進撃を止めました。寇謙之が崔浩の言葉を伝えますが、聴きません。そして改めて進撃。するとタッチの差で郁久閭大檀を逃していたことが判明し、太武帝は崔浩の言葉を退けたことを悔やむのでした。あと郁久閭大檀は逃走中に死亡。郁久閭呉提があとを継ぎました。平城に戻った太武帝、崔浩を寝室に招き寄せ、様々なことを語らいました。寝室で。様々なことを。そして太武帝は「おまえの言葉にキレるかもしれないけど、おまえは俺に遠慮するなよ」と言っています。 この頃にもなると西秦いぢめに吐谷渾も合流します。積年の恨みというやつです。なんとかこの年も退けはしましたが、引き続き内紛も頻発。西秦のゴールも近そうです。赫連定は統万城奪還に失敗し、さめざめと泣いています。また仇池の楊玄がさっそく死亡、子の楊保宗が立ちましたが、すぐにその叔父、つまり楊玄の弟である楊難当に簒奪されました。 ……宋? 知らない子ですね。

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