西秦滅亡! 太武の驍武【夕刊シチ 6月8日号 430年02月】

西秦滅亡! 太武の驍武【夕刊シチ 6月8日号 430年02月】

【430年02月】 資治通鑑原文5200文字(62/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27 6/1-謝霊運-6/12・準メインキャスト 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/4-馮跋▲ 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 この年も、何と言っても太武帝が輝きまくっています。宋としては、武帝崩御直後に生じた黄河南岸域の失陥がどこまでも屈辱でした。なのでその奪回に動きますよ、と北魏に宣告してきます。太武帝は怒りましたが、崔浩から「いまのタイミングでの南進は非効率です」と言われたため、一旦の侵略を受け止め、寒くなってからの逆襲を誓います。敢えて河南地域の守りを薄くさせ、あっさりと宋軍に奪還を許させます。このときの北伐主将は到彦之といい、これを大戦果であると見なしていましたが、別動軍の王懿は「いやこれ明らかに罠でしょ」と見抜いていました。そして寒さが厳しくなってきたところで、初めて北魏軍が反攻に出ます。到彦之は副将の垣護之の諫めも聞かず戦いを挑もうとするも、そこで病に冒されて指揮不能の状態に陥り、大敗。到彦之や王懿は免職となりました。そして檀道済が救援として派遣されます。なおこの戦いで宋軍はどこもかしこもズタボロと書かれるのですが、その中で司馬光さんはひとりの人物が魏の反攻に対して勇敢な戦いぶりを示した、と描きます。その武将の名前は蕭承之。武帝の継母である蕭太后の親族で、のちに南斉を立てる蕭道成の、父親です。 さて北魏ですが、一方では夏よりの反攻を受けてもいました。しかも北上してきた宋との連携をとる、と公言しながらです。しかし太武帝はこれを虚勢と見抜き、自身は夏攻略に集中。ちなみに宋への反攻に出ようとしたときに崔浩が「対宋守備将は自分たちも戦いで敵から略奪したいだけです」と太武帝に進言してます。まーたヘイト買うようなこと言ってる。そして太武帝の反攻により赫連定は大敗、負傷し、逃げ落ちます。この赫連定の逃げた先が、西秦でした。北魏にとり西秦は配下国でもあるため、太武帝は西秦を救援するための軍も発しましたが、間に合いませんでした。すでにズタボロになっていた西秦は、この敗残軍すらまともに跳ね返せず、赫連定に降伏。ここに西秦が滅びました。 一方、北燕では馮跋が病に倒れます。すると後継者に据えられていた子の馮翼が、馮跋の弟である馮弘に殺されます。このショックで馮跋も死亡、馮弘が立ちます。さらに馮弘は、馮跋の子百人あまりも殺害。久々の北燕、いきなりクソヤバじゃない?

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46400917