資治通鑑原文2402文字(186/365位)【登場人物】・メイン 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27 6/1-謝霊運-6/12・準メイン 5/4-沮渠蒙遜-6/12 5/23-檀道済-6/14 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23【できごと】 北魏軍の反攻を受け、出陣した檀道済。檀道済はこの出撃で多くの勝利を挙げますが、叔孫建がその戦端を絡め取ろうと動き始めたため、形勢が不利になっていきます。このためついには撤退を余儀なくされました。このとき宋からの降伏兵が宋の陣営が既に限界であることを告げましたが、檀道済は米を入れるマスに砂を入れてそのかさを増し、そこに布を掛けることによって食料に余裕があるように見せかけ、北魏に警戒を生じさせ、ついには撤退を果たします。兵らの言葉よりも、檀道済の威名が上回っていたことを克明に示すエピソードです。 さて、宋を退けた北魏。ここでふたりの名前が特に挙げられています。司馬楚之、王慧龍です。この両名は武帝に晋人としての命運を殺され、北魏に仕えていました。また「東晋や宋から放たれた刺客を感服させ、むしろ忠誠を誓わせた」ことでも共通しています。両名は今回の戦役でも功績を挙げています。 この戦いが済んだあと、太武帝は宋に通婚の申し入れをしましたが、文帝はこの申し入れを拒絶しました。また柔然も使者を北魏に派遣、太武帝もこの使者を手厚く礼遇します。これは北魏の南北調略が一段落した、と見なすのがよいのでしょう。ここで太武帝は沮渠蒙遜を涼王に封じます。つまり北涼は、このタイミングで初めて「涼」となったわけです。まぁわかりづらいので忘れていいです。また太武帝はここで一度文治に切り替えるとし、崔浩の同郷人であった盧玄、つまり三国時代のあの盧植の子孫、そしてあの盧循の親族に命じ、東部の名族を招聘させました。それにしても范陽盧氏、南北で明暗がくっきりですね、名族も大変です。さらにこれまでの法制を崔浩に命じて改訂させました。崔浩の権勢がこの段階でひとつ突き抜けたレベルに到達したのを感じます。 北伐に失敗した文帝は内部の再編に大忙しです。西方を任せていた劉義恭が副官としてつけていた劉湛と不和になり始めたので劉湛を中央に戻し、別の人物を副官に充てました。また劉義慶が引退を申し出てきたので却下しました。 赫連定は乞伏暮末を殺し、そこから北涼を攻撃せんと動きますが、そこに襲いかかったのが吐谷渾慕璝でした。吐谷渾慕璝は赫連定を捕らえ、ここに夏も滅びます。これで残る五胡は、いよいよ北涼、そして北燕のみとなりました。