通鑑449文字(348/365位)【登場人物】・メイン 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27・準メイン 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23 6/10-拓跋晃-6/30 【できごと】 北魏と姻戚となったはずの柔然が関係を絶ちます。このあたりは北魏側から見えるものしかわかりませんので、その北、西で何が起こっていたか、を見なければならないのでしょう。もしかしたらなんらかの生産拠点を得た、のかもしれません。柔然の西、柔然の北は文字情報の闇の向こうなので想像をたくましくするより他ありません。また吐谷渾慕璝が死亡、弟の吐谷渾慕利延が王位を継承します。しかし柔然や吐谷渾を見ると「なんで中原の国々はこうも短命なのだろうか」と思わずにおれませんね、もちろん両国の寿命の長さが普通ではないだけなんですけれど。 馮弘の脱出した和龍城には太武帝のいとこ、拓跋渾が長官として就きます。北魏という国は皇帝が異常に存在感が強いのですが、実のところかなり宗族の存在感が大きいです。と言うかこの頃の北魏各地の郡主たちは収奪がわりと当たり前であったようで、太武帝はそれを抑止するために民からの告発制度を設立しましたが、結局そういった制度を悪用して別種の収奪が発生するだけになったそうで、そうした事態をどうにかするためには宗族の力を借りねばならない、と考えていたのかもしれません。しかし「覇権を唱えた国の各地の守将が暴虐」と史書に書かれるのは凄まじいですね。修羅の国かな? さて、北魏に完全に圧迫されている宋では、ここで渾天儀の修復という話題が出ます。要するに星々の運行を計測するための天球儀ですね。暦の制定というのは、言ってみれば「時の支配」であるわけで、これもまた皇帝の権威を保証する名分のひとつともなっています。なお少し先の話になるのですが、445 年に元嘉暦という暦法が制定されます。これは景初暦と言う、魏の明帝の時代に制定した暦法のズレが大きかったからと新規に制定されるものです。この制定にはおそらく、この渾天儀の修復がひとつの伏線になっているのでしょう。太陽太陰暦は月の満ち欠けを基準に暦を制定するので、どうしてもズレが大きくなってしまうのですよね。 またこの年に蜀の反乱がようやく平定されます。ここで周籍之が益州刺史となったとありますので、甄法崇は免官か、死亡していそうです。このあたりは兄の甄法護が漢中から逃亡したことにリンクしたのか、しないのか、と言ったこともよくわかりません。地方将の扱いのこの雑さ、なんだか泣けてきます。宋書が中央しか語らないので、宋は本当に地方がよくわかりません。