通鑑1109文字(307/365位)【登場人物】・メイン 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1 6/1-寇謙之-6/27・準メイン 5/23-崔浩-6/29 5/26-劉義慶-6/23 6/10-拓跋晃-6/30【できごと】 改めて、地勢的な話です。西晋と隋は蜀や荊州から水軍を送り込んで江南を制圧しています。仇池は西の端です、しかしここは同時に「北魏が蜀に兵を注ぐための蛇口」ともなりうるのです。と言うわけで仇池をめぐり、北魏が本格的に動きます。動員した将の名前を見れば、かなりその戦いの意味合いが明白となるでしょう。司馬楚之・司馬文思・刁雍。いずれもが晋宋革命において居場所を失った人物です。「改めて江南に彼らの居場所を作らせる」という名目があっても不思議ではありません。この戦いは北魏の完勝に終わり、仇池も制圧されました。引き続き残存勢力が北魏に対して抵抗を示しますが、宋にしてみれば「前線」がまたひとつ増えてしまった感じです。 宋を苛むのは、それだけではありませんでした。大別山脈に跋扈していた蛮が蜂起したのです。文帝は討伐軍を送り込みますが失敗、次いで沈慶之を送り込んで制圧しました。とは言えこの蜂起、前任者の死亡直後に発生とのことですから、宋側に例によってやらかしがあったんだろうな、と思わずにおれません。 対する北魏では突然盧魯元が死亡、と書かれます。あまりにも誰やねんなんですが、実はこの人、慕容部出身の方です。慕容廆の弟の子孫なのでそこまで燕の宗族に近い家でもないのですが、とは言え盧姓を賜り、王にまで封じられていますので、燕の何らかの祭祀を継承していた可能性もあります。また涼州には西涼を統治していた李暠の孫、李宝が新たに長官に任じられました。その権限はある程度のクラスまでの任官なら皇帝の裁可を待つまでもないという特別なものであり、その信任ぶりと、あと涼州ぶっちゃけ遠すぎるせいでどう考えても直轄無理だろぶりが示されています。 平城では、太武帝が李順に群臣の等級を定めさせようとしましたが、この基準がまいないなども絡む不公平極まりないものになったとのことで、処刑しました。さらっと書かれてますけどこれ裏に崔浩さんいません? なお西の彼方では沮渠無諱が柔然や北魏の勢力を退け、宋に臣従の使者を送っています。しかし使者はどんなルートをたどったんでしょうか、吐谷渾まわりかな。ともあれ宋もこれを受け入れます。多少なりとも北魏に後顧させられれば、と思ったのでしょう。もっともその勢力圏はわずかに一城を保つのみ、その規模から考えれば、情勢的にはこう言わざるを得ないないのですよね――焼け石に水、と。