【450年02月】資治通鑑原文9042文字(14/365位)【登場人物】・メインキャスト 5/25-劉義隆-7/2 5/30-拓跋燾-7/1・準メインキャスト 5/23-崔浩▲ 6/10-拓跋晃-6/30 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 北魏、突然宋を襲撃。この攻撃は激戦となりましたが、ここでは間もなくして北魏もいったん兵を引いています。 そして、ここで有名な事件が挟まります。そう、これまで何度か紹介してきた、国史の獄です。この頃崔浩は国の歴史をまとめる事業に取りかかっていたのですが、その書き方が「鮮卑の野蛮な習俗をそのまま書いていた」ということで太武帝の怒りを買い、三族皆殺しとされました。……ええと、ちょっと敢えて霊感で書かせてください。崔浩これ、北魏の南伐を妨害する動きを取って、それが露見したとかじゃないんでしょうかね? もちろんそんな大罪を隠す必要もないとは思うんですが、あまりにもそれを疑うのにちょうど良すぎるタイミングすぎて驚きました。なにせ太武帝、崔浩を処刑したあと、改めて本格的な南伐を挙行しています。 対する宋ではどうだったでしょうか。文帝とその取り巻きである徐湛之、そして江湛は王玄謨の勧めも受け北伐に鼻息を荒くします。するとこれに「無理です!」と悲鳴を上げたのが、建康に帰還していた沈慶之です。このため文帝は徐湛之と江湛に沈慶之を論難させます。すると沈慶之は言います。「兵事は将に訊ねるべきであるのに、白面の書生らと謀ってどうして為し遂げられましょうか!」と。文帝はこの発言を一笑に付し、ついに軍を動かします。一時はかつて失陥した洛陽や潼関までを獲得。しかしこれは、太武帝が臣下に「冬までいなせ」と命を下していたためでした。そして冬が迫ったころに太武帝が出撃、各方面にも兵を発します。これは勝ったり負けたりでしたが、自身は精鋭を引き連れ、途中の諸城も無視し、一気に南下。瓜歩、即ち長江の北岸に到着しました。実態としては太武帝の突出ですが、文帝にそうした実態は見えません。目の前に現れた敵の総大将を前に自身の采配の失敗を痛感し、「ここに檀道済がいてくれたならば」と漏らしています。 ここで太武帝から「通婚して和睦しようぜ」と言い出されます。この和睦を受け入れよ、と主張したのが、誰あろう、太子の劉劭でした。しかし江湛がこれに強硬に反対。劉劭を激怒させています。北魏との婚姻話も立ち消えとなり、劉劭と徐湛之・江湛が以降対立するようになった、と書かれます。正直、ものすごいフラグが立ったな、と言う印象です。