【453年11月】資治通鑑原文4154文字(92/365位)【登場人物】・メインキャスト 7/1-蕭道成-8/1・準メインキャスト 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 この年の北魏に特に動きはありません。あえて言えばのちの献文帝、拓跋弘が生まれたくらい。あとは例によって宋の話です。つまり宋がどんどんぐずぐずになる話です。何があったか? これまでに名将として名前を上げていた人物、臧質が乱を起こしました。 前年の文帝弑逆事件があった際、臣下らは「次の皇帝に誰がふさわしいか」でさまざまに意見が割れていました。その中には、例えば劉義宣、文帝から無能の烙印を押されていたけれど、それでもこれまで何とか頑張ってきた人物もいたのです。ただし、それはどのような理由であったか。臧質にとって操りやすそうな人物であったから、でした。 ここで臧質にとっての計算外は、孝武帝の元凶討伐があまりに速やかであったこと。文帝崩御後の流れは、その後に誰が宋の主導権を握るか、という話になるわけです。このタイミングでは孝武帝の後塵を拝するにいたった臧質でしたが、とは言え臧質にとり孝武帝は未熟な弟分のような感覚です。このためその下命もまともに聞こうとしません。また、これは劉義宣も同じような感じでした。にもかかわらず、なぜか孝武帝は劉義宣の娘たちと夜の楽しみにふけり、劉義宣を怒らせます。つまり、孝武帝と劉義宣の対立は放っておいても加速していました。このため、臧質は劉義宣に決起をそそのかしました。更にここに魯爽をも誘い、同時挙兵を企みましたが、せっかちな魯爽は単独で突然挙兵。未だ準備が整っていなかった劉義宣らは、だいぶ中途半端な状況下での挙兵を強いられます。その名目は一応「皇帝のそばの奸臣の排除」というありがちなやつでした。 では、こんな劉義宣らの前に立ちはだかったのは誰でしょうか。沈慶之です。さらには過去に失脚していた王玄謨も将として復帰しています。その他、対北魏戦で活躍した将たちも名を連ねます。いくら臧質や魯爽が将として優れていても、そもそも大義がないところに連携もお粗末。このため、まずは魯爽が討ち取られ、次いで劉義宣と臧質が離間計略にはめられて分断、そして臧質が攻め殺されます。劉義宣は捕らえられると、処刑にあたって「臧質のじじいがおれを誤らせた!」と叫びました。この上なくグダグダな顛末でこそありましたが、一方で孝武帝への不信の強さだけはありありと見せつけられた乱が、こうして終わりました。