孝武奔放! 臣下げっそり【夕刊シチ 7月6日号 456年09月】

孝武奔放! 臣下げっそり【夕刊シチ 7月6日号 456年09月】

【456年09月】資治通鑑原文2179文字(211/365位)【登場人物】・メインキャスト 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10・準メインキャスト 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 北魏、改めて青州方面を攻撃。この知らせを受け、孝武帝は申坦という将に北魏よりの降将である薛安都を率いさせ、迎撃に出しました。しかし宋軍到着の際、すでに北魏軍は撤収済みでした。これではせっかく編成した軍が無意味になってしまう。そこで申坦、標的を変え、当地周辺を荒らし回っていた盗賊団を討伐することとしました。とはいえ皇帝から預かった軍で勝手なこともできません。討伐開始までに、改めて上奏と詔勅のやり取りがあったのでしょう。そうこうしている内にターゲットとなっていた盗賊団は逃亡、散開。この年は日照りに見舞われていたということもあり、行軍及び駐屯でも多くの犠牲が出ていたそうです。このため孝武帝、成果ゼロ、損耗多数の申坦を処刑すると言い出します。ここでいや待ってくださいよ、と進み出た人物がいました。沈慶之です。とは言え孝武帝には特に何も言っていません。収監されていた申坦を前に「罪なくして死さねばならぬとは」と号泣したのです。ばつが悪くなった孝武帝は、最終的に申坦の罪を不問としました。……ところで、ここに薛安都の名前がある意味、あんまりないですよね。意味は将来出てきます。例によって、というやつです。 ここから資治通鑑は孝武帝の「名君」ぶりをこれでもかと書き始めます。性に奔放、土木工事大好き、こうしたことを臣下から諌められれば露骨に嫌な顔をした挙げ句に左遷。なおここで左遷された人物は孝武帝の即位を大いに支えた大功臣とも呼ぶべき人物でした。どれだけ功あっても、と言う感じで、切ないですね。また、王玄謨の堅物ぶりを公衆の面前でからかう。ちなみに恨み言ですが武帝に残る臣下をからかうエピソードを史書にて紐解くと、だいたい真犯人が孝武帝です。 さらには、頼るべきはずの弟たちすら猜疑し始めます。弟のひとり、劉誕は兄と違ってちゃんと礼節をわきまえていたため密かに支持をされていました。孝武帝はこれを嫌がり、劉誕を広陵、つまり建康から長江を渡った向こうの地に赴任させます。さらには広陵と建康とを結ぶ城として「極めて重要な地であるため皇族以外に赴任させてはならない」と武帝が言い残していた城に自身が信頼の置く劉延孫、姓は同じですが血統的にはほぼ別口とされる人物を配しました。つまり「弟よりも赤の他人を信じる」と人事にて公表した形です。「君主がこうなれば国が傾くぞ!」と、まさしく資治通鑑、ですね!

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46510146