通鑑1255文字(287/365位)【登場人物】・メイン 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10・準メイン 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 ひとまず北魏の話をしておきましょう。前回より続いていた吐谷渾攻めですが、侵攻の途中で疫病に見舞われたため中断となっています。吐谷渾拾寅は山奥に逃げて、なんとか難を逃れました。 そして、この年も孝武帝のおいたがひどいです。初っ端から「自身に諌言を繰り返す臣下を遠流とし、その途上で殺した」と、ジャブにしてはえらく重いものがぶち込まれます。また先年に北魏軍を退けた顔師伯を建康に召喚しました。顔師伯も心得たもので、おもねり及びへつらいにて孝武帝の歓心を買うことに成功します。ここで載せられる樗蒲の話が興味深いです。孝武帝がほぼ最強の目である雉を出したところ、顔師伯はそれを上回る盧の目を出しかけ、慌てて取り消した、というものです。これは武帝が政敵の劉毅を討ち滅ぼす直前になしたエピソードに類似しており、ほんのりとこの先の宋の命運を占わせているのが伺われます。 孝武帝へのへつらいということで、もうひとり名前が上がります。叔父の劉義恭です。自身の身に禍が及ばないように、と低姿勢を貫き、はてには自分から「もっと王族の権威を削減させるべきです!」とまで進言しています。この進言を喜んで採用しようとした孝武帝でしたが、別の臣下から「さすがにそれはないです」と諌められ、思いとどまっています。 そして、ここで海陵王が現れます。あたりまえですが後世の大暴君として知られる金の海陵王完顔亮とは別人です。とはいえその振る舞いを見るとなかなかにすごい。雍州、つまり襄陽あたりの守りに任じられていた劉休茂は当時十七歳、ろくな軍事経験もないのに軍権を握ろうとして臣下に諌められるとその臣下を殺害。自身におもねるものを補佐につけ、さらにその補佐と利害が対立するものも次々に殺して回り、ついには軍を起こして決起しました。あまりにも無茶苦茶です。もちろん、このようにいきあたりばったりな決起などまともに成り立つはずもありません。この事態を受けて駆けつけた尹玄慶により討伐され、劉休茂の斬首という形で乱は収束するのですが、この直後に資治通鑑は「孝武帝は即位以来弟たちを抑圧していた」と語り始め、この乱もまた孝武帝の施策によって引き起こされたトラブルのひとつなのだ、的匂わせがすごいです。 最後に一点、西の端についての話を持ち出しておきましょう。高昌に割拠していた北涼残存勢力の主、沮渠安周が、柔然によって攻め滅ぼされました。ここに、五胡最後の灯火も消え去ったのです。