おいたが続くぜ 孝武帝【夕刊シチ 7月12日号 462年06月】

おいたが続くぜ 孝武帝【夕刊シチ 7月12日号 462年06月】

通鑑932文字(319/365位)【登場人物】・メイン 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10・準メイン 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 ここまで資治通鑑を追ってきて、はっきりと言えることがあります。司馬光さんにとって最悪の君主、間違いなく孝武帝です。もちろん五胡の、たとえば石虎あたりとかって様々な国の情勢とかも書かなきゃいけなかった以上しつこく書いている余裕もなかったりはしたんでしょうけど、それにしたって孝武帝に対するおいたの入念な紹介ぶりにはもうびっくりするしかありません。これ司馬光さんの仁宗・英宗・真宗あたりに対するなんらかの投影が入っていると考える以外にない気がします。とは言えこのあたりをあんまり語りすぎても仕方がないので、このあたりで。とりあえず少し孝武帝のおいたのこと紹介する文字数を減らせたのでよしとします。 さて孝武帝ですが、ここで過去に庾冰や桓玄が持ち出していた「僧侶にも皇帝に対して拝礼をさせるべきである」という提議を改めて持ち込んでいます。このあたり、もはや孝武帝にとって仏教とは「特殊な何か」ではなく、皇帝の統治のもとに組み込むべきなにかであるという認識になっているのを感じます。このあたりも明らかに武帝文帝とは認識が違います。この提議は採用され、施行されるのですが、のちの前廃帝の時代には元に戻されたとも書かれます。あるいは「孝武帝の先もあまり長くないので、ひとまず言うことを聞いたふりをする」としたのかもしれません。いや廃位しろや。また妃のひとり殷氏の死亡を悲しみ、南朝の妃の中で最も豪勢極まりない葬儀をあげ、従事する民をこき使った末多く死に追いやった、とも書かれます。 また後世に天文学の天才として知られることになる祖沖之が、ここで『元嘉暦』に誤りが多いため、新たな暦法を算出の上孝武帝に上奏しました。孝武帝はこの暦法に対して論難させようとしたが誰も論破が叶わなかったそうです。では、ならば施行、とは、しかしなりませんでした。引き延ばしの末孝武帝の死によってなし崩し的になかったことにされたのです。 さらに孝武帝の悪趣味がここでも紹介されます。孝武帝は宴会の場において臣下らにお互いを罵倒させ合い、それを見物しては楽しんでいたそうなのです。こうした「遊び」に迎合できなかった人物もいました。江智淵と言い、元凶によって文帝とともに殺された江湛のいとこに当たります。江智淵は孝武帝に同僚の罵倒を求められたとき「そのような戯れはすべきではありません!」と諫めました。すると孝武帝は江智淵を盛大に罵倒。やがて江智淵は憂悶の上死亡です。いやー、やってますねえ。

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46527344