孝武崩御! 子はさらに【夕刊シチ 7月14日号 464年05月】

孝武崩御! 子はさらに【夕刊シチ 7月14日号 464年05月】

【464年05月】資治通鑑原文1236文字(289/365位)【登場人物】・メインキャスト 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10・準メインキャスト 6/14-劉駿-7/14 6/27-劉彧-7/22【できごと】 ようやく孝武帝が崩御しましたバンザイ。ようやくこれであのグダグダ紹介ぶりから解放されます。最期なのでもう少しだけ付き合っておきましょう。刺史や太守が任地から戻ってきたときにその財貨を収奪したり、あと常に酒を飲んで酔っ払い続けていたけれど、奏上を聞くときは威厳をしっかり取り繕っていたそうです。と言うわけで崩御。後事は劉義恭・柳元景・沈慶之・顔師伯・王玄謨に委ねました。沈慶之さん、全然引退できていなくて悲惨です。太子の劉子業が即位します。前廃帝です。と言うわけでここから前廃帝の悪行が始まるわけですが、正直「頼むから目新しい悪行でお願いします」という気分です。 まず、即位。いきなり服喪をしません。ここで即位の儀を執り行った蔡興宗が「家国の禍は、まさにここから始まろう」と言っています。孝武のアレは災いじゃなかったんだ。ともあれ前廃帝は孝武帝が治世中になした改革のいくつかを撤廃、文帝時代のものに戻しました。そうすると蔡興宗は「先帝のなさりようはアレであったが、それでも三年はそのありようを改めぬのが孝ではないのか?」と言い出しています。なんというか蔡興宗、前廃帝のやることなすこと全部ダメ出しマンだったんじゃないの、という気もしてなりません。 その後も蔡興宗の怒りは続きます。前廃帝の側近の権勢を嫌がった劉義恭や顔師伯は朝政を放棄、その政務をすべて前廃帝の側近に丸投げしていました。むしろ側近および前廃帝に阿り続けるありさま。孝武帝が在りし時にすら孝武帝から恐れられていた蔡興宗にしてみれば、当時の朝政はもはや底が抜けたようにしか感じなかったことでしょう。劉義恭らに「なぜあなた様がまともに政務をお取りにならないのです!」と叱責。こうして蔡興宗は前廃帝や劉義恭からも憎まれることとなり、ひとたびは外地に出されかけましたが、結局は建康に留め置かれました。 前廃帝ははじめから不孝フルスロットルです。母である王太后の病が篤くなったため前廃帝を呼んだところ「病人から鬼を移されてなるものか」と、前廃帝は拒否。王太后は死んでやる! と半狂乱の上、崩御しました。 いやー、前廃帝、初っ端から飛ばしていますね。なお北の話は柔然で郁久閭吐賀新が死亡して子の郁久閭予成が立った、くらい。何があったのか、もう少し詳しく教えてもらいたいところです。

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46528103