献文帝明帝 ダブル即位!【夕刊シチ 7月15日号 465年04月】

献文帝明帝 ダブル即位!【夕刊シチ 7月15日号 465年04月】

【465年04月】資治通鑑原文11098文字(8/365位)【登場人物】・メインキャスト 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10・準メインキャスト 6/27-劉彧-7/22【できごと】 これまでほぼ記述のなかった北魏でいきなり文成帝が崩御。献文帝が立ちました。すると献文帝のもとで乙渾というよくわからないひとが実権を握り、文成帝時代の重臣を抹殺した直後、今度はその乙渾が馮太后によって誅殺されます。まるで経緯がわからないので妄想するしかありませんが、アンチ文成勢力が育ってきて爆発したけど乙渾というとかげの尻尾切りを経て献文を担ぐようになり、残された文成帝派は馮太后と高允が束ねるようになった、でいいんでしょうか。孝武帝のくだらないおいたを書いてる暇があったらこっちの情勢を残しとけってキレたい気分ですが、まあ無いものは無い。将来の史料発見を心待ちとしましょう。 では南朝です。資治通鑑南北朝期でも屈指のクソ長さなんですが、要は「前廃帝が廃されて明帝が立った」です。改めて包み隠さぬ気持ちをお伝え申し上げます、その長さいる? では追っていきましょう。前廃帝は本当にむちゃくちゃで、自分の側近を殺したかと思えば、廃位を図った劉義恭・柳元景・顔師伯らを誅殺。このときに彼らと不和であった沈慶之が前廃帝に密告したため一網打尽となっています。で、直後に沈慶之も誅殺されます。このとき蔡興宗から「あなたが動かなくてどうするんですか!」と発破をかけられているのですが、「わしは忠に殉じる」とよくわからないことを言っています。享年80。とはいえここまできれいに「派手に晩節を汚した」という物語が成立しており、更にはこの頃すでに宋書編者の沈約が現役世代であったことを思うと、なかなかにこの経緯も生ぬるい目で見ざるを得ません。同じ呉興沈氏でこそありますが、両家には微妙に距離を感じるのですよね。その距離感がこの沈慶之の末期に出ていたとしても不思議ではないのです。 こうした中、前廃帝は太っていた叔父の劉彧を「豚王」と呼び、裸に剥いて殺そうとまでします。こうした事態に初めに堪忍袋の緒が切れたのは前廃帝の側近たちでした。宴に託け、前廃帝を斬り殺します。その後に立てられたのが、豚もとい劉彧でした。明帝です。ただこのとき、前廃帝の弟である劉子勛こそが正統の皇帝である、として立てられ、南西の尋陽にて挙兵した勢力がありました。しかも、ほぼ劉子勛に輿望が集まるような状態でした。ただし内部統制はぐずぐずであったとも書かれます。というわけで、明帝はまずこの大勢力と対峙することになったのです。

http://www.nicovideo.jp/watch/ss46535993