【467年03月】資治通鑑原文3395文字(126/365位)【登場人物】・メインキャスト 7/1-蕭道成-8/1 7/5-馮太后-8/10 拓跋宏-8/19・準メインキャスト 6/27-劉彧-7/22 7/16-蕭賾-8/14【できごと】 ここで北魏側の青州攻略軍について紹介しておきましょう。主将は慕容白曜。慕容皝の玄孫ということですから、これまで名前が出てきた慕容儁以下とは別口の子の子孫なのでしょう。その副官が、酈范。この人自身も活躍はしますが、どちらかと言えば子が弩級クソ野郎兼地誌の化け物たる酈道元であることで有名です。淮北を獲得したとは言え当然一枚岩であるはずがなく、両名は硬軟様々な手を織り交ぜて北魏統治の浸透を進めます。 ここで尉元というひとの上奏が淮北の地理を整理するのに便利なので紹介しておきましょう。特に重要なのが彭城で、ここの守りを固めておくことが肝要。ついで、その東にある下邳が南から彭城や青州に至る重要拠点である、としています。その他にも城は挙がるのですが、特に重要とされるのがこの二城、とのことです。淮水や長江の下流域は湿地帯が多く、行軍ルートがどうしても限定されざるを得ないのが伺われます。 宋としても、みすみす淮北を北魏のなすがままにさせられるはずもありません。明帝は沈攸之に彭城の奪還を命じます。ここで沈攸之は「不可能です!」と言いましたが、聞く耳を持ちません。沈攸之、やむなく出征します。またこのとき、蕭道成には淮陰、つまり淮水南岸エリアの守備が言い渡されます。ここで蕭道成のもとに豪傑が集い始めたと書かれます。それはそう。大きな国境線の変更に伴い、ひとの流動はかなり激しかったでしょうから、こうしたタイミングで求心力を持つ人物のもとに人が集まるのは自然なことなのでしょう。一方の沈攸之ですが、もとより無茶な派兵計画です。当然勝てるはずもなく、しかも沈攸之は重傷を負います。明帝は後悔し、沈攸之に帰還するよう命じました。 イケイケの北魏ですが、このとき宮中でも慶事があります。拓跋宏、すなわちのちの孝文帝の誕生です。このとき馮太后自ら拓跋宏を養育したことからこの両名が実は親子だったのではないか、と言う俗説ができましたが、まあここまでの流れから見れば献文帝の正統性を認めつつも献文帝と次の皇帝とを切り離したかった、と見るのが良いのでしょう。いやあ、これではなんのための子貴母死なのかよくわかりませんね! ともあれここで馮太后は献文帝に政務を返還しました。この動きが、将来の親子政争に繋がります。