キーワード ササン朝 が含まれる動画 : 39 件中 1 - 32 件目
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カルトロップと塹壕はムスリムに有効である
西暦637年4月
ハシム・イブン・ウトバが、ウマル・イブン・ハッターブの命により、12,000名の兵を率いジャラワ(現在のイラクのディヤーラー県)へ向けて進軍する。サディ・ブン・アビ・ワッカスがハッターブに対し、ジャラワにクテシフォンから敗走したササン朝ペルシア軍残党等が集結している事を報告した上で、ハッターブが出した結論であった。ジャラワは以下の地域に通じるルートが在り、戦略上重要な場所であった。
①現在のイラク北部
②ホラーサーン(現在のイラン・アフガニスタン・トルクメニスタン)
③現在のアゼルバイジャン
ハッターブは、ティクリートとモースルを攻める前に後方の敵を掃討しようとしていた。また、ジャラワへのササン朝ペルシア軍の戦力の集中は、ムスリムがイラク北部へ侵攻する上でのボトルネックとなっていた。ジャラワのササン朝ペルシア軍は、以下の2名が指揮していた。
①ミフラン・ラジ(指揮官)
②ファッルフザード(副官)
そしてムスリムは、ジャラワの要塞の外でササン朝ペルシア軍と遭遇した。そこはディヤーラー川と崩れた地面に囲まれていた。崩れた地面は騎兵・歩兵の移動には不向きであった。ラジは、ムスリムとの戦闘経験の有るベテラン将軍であり、ムスリムの戦い方を熟知していた。ラジは、ムスリムの進軍を遅らせる為に、塹壕を掘り、その前にカルトロップを置いた。ラジの戦略は、ムスリムに正面攻撃を仕掛け、射手や攻城兵器の大砲によってムスリムを疲弊させるというものであった。ムスリムは、ラジの仕掛けたカルトロップによって、進軍を妨げられた。ラジは、ムスリムの中核が疲弊したタイミングで攻撃する事を意図し、古典的な陣形で布陣した。ハシムも戦場に駆け付けるが、現場のディヤーラー川に囲まれた地形と崩れた地面を見て、側面からの攻撃は困難で、正面からの攻撃は多大な犠牲を払うと判断した。ハシムは、塹壕とカルトロップに守られたササン朝ペルシア軍を誘き出す為に、敢えて正面から攻撃し、退却する振りをして、ササン朝ペルシア軍が塹壕から離れたら、騎兵隊が塹壕の上の橋を占領して逃げ道を塞ぐ作戦を立てた。ムスリムの陣容は以下の通り。
①ハシム(総司令官)
②カーカ・イブン・アムル・アル・タミミ(前衛)
③シル・ビン・マリク(右翼)
④アムル・ビン・マリク・ビン・ウトバ(左翼)
⑤アムル・ビン・ムラ・アル・ジュハーニ(後衛)
後から増援として以下の人間がやって来た。
①タルハ・イブン・クワイリッド・イブン・ナウファル・アル・アサディ
②アムル・ビン・マアディ・ヤクリブ
③カイス・ブ...
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ライオンを殴り殺したご褒美に額に接吻をする
西暦637年3月
ササン朝ペルシア軍から寝返った義勇兵がサディ・ブン・アビ・ワッカスにティグリス川を渡る事の出来る下流の地点を示した翌朝、ワッカスは義勇兵に、馬に乗ってティグリス川を渡る様頼んだ。先ず、アシム・イブン・アムル・アル・タミミの命により、6名の志願した義勇兵が馬に乗ってティグリス川を横断した。ササン朝ペルシア軍はこれを受け、ティグリス川の水域に入り応戦した。ムスリム側はこの戦闘を優位に進め、東岸に到達した。その後も縦隊が続々と上陸し、ボートを東岸に着けた。その後もササン朝ペルシア軍の劣勢は続き、クテシフォンは陥落し、アシム・イブン・アムル・アル・タミミもクテシフォンに入った。そして、ササン朝ペルシア政府の本拠地である白宮殿は無血開城するに至った。ヤズデギルド3世は、持ち運びが可能な宝物や貴重品を全て持参しハルワン(現在のイラクのディヤーラー県)に逃亡した。ワッカスは、残ったササン朝ペルシア国民に恩赦を与えると宣言した。ササン朝ペルシア側は降伏条件を予め理解しており、ジズヤの支払いに応じ、和平協定が締結された。ムスリムは、ササン朝ペルシア国民に、通常の職業に戻る様促した。ワッカスは、白宮殿を本拠地とし、大中庭にモスクを建設した。
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バビロン降伏、クテシフォンに迫るタミミの魔の手
≈西暦636年12月15日
この頃迄にムスリムは、ユーフラテス川を掌握し、バビロン郊外に布陣した。バビロンのササン朝ペルシア軍は、以下の人間が指揮していた。
①ピルツ・ホスロー
②ホルムザン
③ミフラン・ラジ
④ナキラガン
しかし、ホルムザンが、属州のアフヴァーズ(現在のイランのフーゼスターン州)に撤退し、ホスロー・ラジ・ナキラガンも、部隊を帰還させて北へ退却した。その後、バビロンのササン朝ペルシア国民はムスリムに降伏し、ジズヤの支払いという異例の条件で保護された。ササン朝ペルシア国民の中には、ササン朝ペルシア軍の配置に関する情報をムスリムに提供する者や、道路や橋の建設に雇用された技術者も居た。こうしてムスリムがバビロンに駐留している間に、サディ・ブン・アビ・ワッカスは、ズフラ・イブン・アル・ハウィヤ・アル・タミミに対し、撤退したササン朝ペルシア軍が何処かで集合して対抗して来る前に追撃する様指示を出した。タミミは、ムスリム前衛軍を指揮し、スーラー(現在のイラクのナジャフ県)で背後からササン朝ペルシア軍を襲撃し、デリ・カブへ撤退させた。タミミは更にデリ・カブへと追撃し、ササン朝ペルシア軍の分遣隊を破り、バビロンのササン朝ペルシア国民と同じ条件で現地の人間を保護した。
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王旗の宝石は毟り取られマディーナで売られた
西暦636年11月19日
サディ・ブン・アビ・ワッカスの同意を得て野戦指揮官に就いていたカーカ・イブン・アムル・アル・タミミが「あと1時間程戦えば、敵は敗北するだろう。バヌ・タミム族の戦士がもう一度挑戦すれば、勝利は貴方達のものになるだろう」と部下に話した。タミミは左中央を指揮し、ササン朝ペルシア軍の右中央を攻撃した。続いてムスリムは総攻撃を仕掛けた。ササン朝ペルシア軍は、戦いの再開に驚き、左翼と左中央が押し戻された。タミミは、ムバリズンの集団を率いて、ササン朝ペルシア軍の左中央を攻撃し、正午迄に中央部を突破した。更にロスタム・ファルロフザードが討ち取られ、ササン朝ペルシア軍の戦線は崩壊した。ササン朝ペルシア軍は、一部は部隊を維持した儘撤退したが、残りはパニックを起こして川へ向かった。ジャリヌスは、残存部隊の指揮を執り、橋頭堡を征圧して軍の大部分を橋を安全に渡らせる事に成功した。ワッカスは、逃走するササン朝ペルシア兵を追跡する為、騎兵連隊を様々な方角へ向けて派遣した。この追跡によりササン朝ペルシア兵は多数の死傷者を出し、捕虜も発生した。ムスリムは、宝石が散りばめられた王旗を含む多数の戦利品を獲得した。その王旗に含まれていた宝石は、王旗と切り離され、マディーナで売られた。ワッカスは、ウマル・イブン・ハッターブに部下を差し向け、戦勝報告を行った。ハッターブはワッカスに、クテシフォンの占領を行う様指示した。このムスリムのカーディシーヤでの勝利は、ササン朝ペルシアのイラク支配を根底から揺るがした。しかし、クテシフォンが残っている限り、ササン朝ペルシアが反撃する可能性が常に存在した。その後ワッカスはアル・ヒラに入り、アラブ人入植者を入れて町「クーファ」を建設した。
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戦象の鞍の胴回りを切断する作戦を採ったアシム
西暦636年11月16日
未明、ササン朝ペルシア軍が、ロスタム・ファルロフザードの命により、間にある運河を塞いで道路にしていた所を通過しアティーク川西岸を越える。ファルロフザードは45,000名の歩兵を4個師団に分け、150m置きに、南西を向いて川を背にして配置した。さらに、15,000騎の騎兵も4個師団に分けられ、予備として待機した。4個師団にはそれぞれ8頭ずつ計33頭の象が居た。戦線は4kmに及んだ。指揮官は以下の通り。
①右翼:ホルムザン
②右中央:ジャリヌス
③後衛:ピルツ・ホスロー
④左翼:ミフラン・ラジ
ファルロフザードは、右中央後方の天蓋で日陰になった所に陣取り、戦場を俯瞰で眺めた。対するムスリムは、ササン朝ペルシア軍と500m離れた所で北東を向いて対峙した。戦闘直前にサディ・ブン・アビ・ワッカスは「これは貴方方の神が貴方方に約束した遺産だ。神は3年前に貴方方にそれを利用出来る様にされたが、貴方方は今日迄その恩恵を受け、人々を捕らえ、身代金を要求し、殺してきた」と兵達を激励した。また、カーカ・イブン・アムル・アル・タミミの弟アシム・イブン・アムル・アル・タミミも騎手達に「貴方方は彼らよりも優れており、神は貴方方と共におられます。もし貴方方が粘り強く正しい方法で攻撃すれば、彼らの富・女性・子供達は貴方方のものになるでしょう」と励ました。戦いは決闘から始まった。なるべく多くの指揮官を殺害して敵軍の士気を下げる狙いがあった。先ず、ムスリムの決闘者ムバリズンが進み出た。双方で多くの死者が発生した。決闘で数名の指揮官を失ったファルロフザードは、左翼に対し、ムスリムの右翼を攻撃する様指示した。ササン朝ペルシア軍は、大量の矢の雨を降らせ、戦象を突撃させて、ムスリムの右翼に甚大な被害を与えた。ムスリムの右翼総司令官アブドゥッラー・イブン・アルムタムは、右翼騎兵司令官ジャービル・イブン・アブド・アッラーに対し、ササン朝ペルシア軍の戦象に対処する様命じた。しかし、アブド・アッラーの騎兵隊は、ササン朝ペルシア軍の重騎兵隊に行手を阻まれ、戦象の前進によってムスリムの歩兵は後退し始めた。ワッカスは、右中央の騎兵隊司令官アル・アシャス・イブン・カイスに、前進するササン朝ペルシア軍を食い止める様指示した。カイスは、騎兵連隊を率いて右翼騎兵の増援として戦闘に加わり、ササン朝ペルシア軍左翼の側面に対し、反撃を開始した。一方ワッカスは、右中央の総司令官ズフラ・イブン・アルハウィヤに、歩兵連隊の右翼への派遣を命じた。これを受けてアルハウィヤは、ハンマル・イブン・マリク指揮下の歩兵連隊を派遣し、右翼の増援...
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坐骨神経痛に耐え、戦場を指揮するワッカス
西暦636年7月
ムスリムの主力部隊が、シャラフからカーディシーヤに入り陣を張る。防御を強固にし、川源を確保した。サディ・ブン・アビ・ワッカスは、スワド襲撃の為に部隊を差し向け、ウマル・イブン・ハッターブと継続的に連絡を取り、ムスリムの野営地・カーディシーヤ・マディーナ・ササン朝ペルシア軍が参集している場所の地域間の地理的特徴に関する報告書をハッターブに送付した。この時点でムスリムは騎兵7,000名を含む30,000名を擁していたが、シリアからの派遣部隊と周囲のアラブ同盟国からの援軍により36,000名まで規模を拡大させた。ワッカスは坐骨神経痛を発症し、全身におできが発生していたが、カーディシーヤの旧王宮から戦場を眺め、作戦を指揮した。ワッカスは、ハーリド・イブン・ウルフタを副官に任命し、ウルフタは、ワッカスの伝令に基づいて戦闘を行った。ムスリムは、150m間隔で4個師団に分かれ、後方に独自の騎兵連隊を配置した。ムスリムは、ササン朝ペルシア軍の銀色のヘルメットに似た、金色のヘルメットを被っていた。鎖帷子はヘルメットからの当て物として、また、メイルコイフとして顔・首・頬を保護する為に用いられた。重厚なレザーサンダルを履き、硬い革の鱗や層状の鎧、鎖帷子を身に纏った。歩兵は騎兵よりも重装甲で、柄の長い槍だけで無く、大型木製や枝編み細工の盾も使用された。歩兵の槍の長さは2.5m、騎兵の槍は最大5.5mであった。弓の長さは支柱を外した状態で2m、最大射程は150mであった。ササン朝ペルシア戦線に投入されたムスリムの装備は、東ローマ帝国に配備された部隊と比較して軽装甲であった。
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連戦連勝のムスリムを破り金星を挙げたササン朝ペルシア
西暦634年10月
アブ・ウバイド・アル・サカフィーが、メソポタミアへ向かう道中クーファ付近でバフマン・ジャドゥヤ率いるササン朝ペルシア軍と遭遇し、ユーフラテス川を挟んで対峙する。ジャドゥヤは、誰が橋を渡って来るか決める様ムスリムに言い、サカフィーを含むムスリムが橋を渡りササン朝ペルシア軍と交戦した。しかし、堅固な戦線を形成していたササン朝ペルシア軍の白象にムスリムの馬が恐れを抱き、サカフィー自身も、白象に馬から引き剥がされ、踏み付けられて殺害された。ムスリムは歯が立たず、パニックに陥り敗走した。その後も残ったムスリムは以下2名を指揮官として戦闘を継続した。
①サカフィーの弟アル・ハカム
②ジャブル
しかし、ハカムとジャブルも殺害され、最終的にはアル・ムサンナ・イブン・ハリサが指揮官となったが、3,000名のムスリムが川に流される等して、敗北を喫した。
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世界の真実: 黄金の世界帝国スキタイの金印: イスラエル帝国・マジャール帝国の興亡 – 2022/10/3 名園 天孫(著)【アラ還・読書中毒】日本もマジャール帝国に征服されていた!歴史は1000年
【あとがき】
真の意味で人類が歴史を持ったのは
1000年遅い
歴史観は根本から覆る
歴史学は天才が出現しにくい
1章 邪馬台国(魏志儀人伝)と金印
金印はスキタイ国主と書かれている。
日本の古典は江戸時代に書かれた。
・中国24史全てが創作だった
史記の作者は劇作家
2章 日本・中国古代史
北:トルコ
南:中国
東:滿州人
ノルマン人もローマ人もマジャール
言語を現地語にしていく
マジャール帝国の西側がローマ帝国
初代ーマ皇帝「アウグスティヌス」は1000年後の初代マジャール王
をモデルにした。
ヒッタイト人がラテン語を話す
原ローマ人、その後、 マジャール人が
イタリア半島に侵入し原ローマ人と交わって
母国語をラテン語に変えた・・ーマ人
ササン朝ペルシャも征服
エジプトも征服していた
ベトナムと日本も征服していた。
黒田家の金印」:シュキタイはスキタイ国
匈奴・フン族もマジャール
13世紀の100年が全盛期
モンゴル帝国より広大
東アジアが特に発展した。
巨大墳:始皇帝陵
エジプトのピラミッドを作ったのもマジャール人
スフィンクスはヒッタイト人
自立していったところ、ペストの大流行
モンゴルを去り、帝国は分裂
明王朝とティムール帝国成立
7章 歴史の断層線
・日本列島に神風はふかなかった
弥生文化のところへ元寇
室町時代:マジャール人の幕府が実態
「原」を「バル」マジャール語
マジャール帝国に組み込まれ、国力を増す
=古墳時代
中国は「明」と名付けられるが実態はスキタイ帝国
マジャール帝国は解体に向かうが日本列島は影響を受けない
室町の足利将軍は実態はマジャール帝国から統治を委任された
国王(中国のアールぱーど家は本家)
戰国時代40年戦争..架空
実態は室町から江戸への遷都
家康からが実在の人物(実態はマジャールの王)
文学作品は、江戸時代に書かれた。
8章 新旧両大陸の真実:歴史の断層線を超えて
コロンブス以前の米大陸
先史時代に東北アジアからベーリング海を
渡った子孫。(北海道)
樺太と北海道はつながっていた。
コロンブス以前が創作
関ヶ原などは創作
この本が出た事によって既存の歴史学が大打撃を受ける
【世界史ザックリ解説】part4 / 12「古代から中世へ」
YouTubeチャンネル「世界史べーた(仮)」に過去投稿した動画になります。
(今回は200年 ~ 600年頃の世界史を解説していきます)
※ザックリ解説なので各国の詳細な歴史や文化史などには触れていません。
※高校レベルの教科書・資料集を基に作成しているので、最新の学説を反映していない場合もあります。
登場人物(立ち絵は「MtUさん」の物をお借りしております)
紲星あかり 講師役。将来の夢は世界一周食べ歩き♪
東北きりたん 生徒役その1。将来の夢より今日のゲームノルマ。
音街ウナ 生徒役その2。将来の夢は立派なお姉さんだゾ!
#0:00 プロローグ・導入
#0:38 ①三国志、邪馬台国、軍人皇帝時代、ササン朝 etc.
#4:33 ②晋、ディオクレティアヌス、キリスト教の大迫害 etc.
#6:28 ③コンスタンティヌス、五胡十六国、ヤマト政権 etc.
#9:35 ④民族大移動、ローマ分裂、グプタ朝、中国仏教 etc.
#13:10 ⑤孝文帝、南北朝時代、西ローマの滅亡、ゲルマン諸国家、エフタル、マヤ文明 etc.
#18:35 ⑥隋の中国統一、突厥、ユスティニアヌス、ホスロー1世、グレゴリウス1世 etc.
#22:33 エンディング・おまけ
●part1(文明の始まり)⇒ sm41108249
part3(繋がるユーラシア世界)⇒ sm41784342 part5(様々な文化圏の成立)⇒ sm42413775
●世界史解説マイリスト → mylist/73744637
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●世界史べーた(仮)関連
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メッカへの凱旋巡礼、東ローマ帝国への宣戦布告
≈西暦633年12月1日
ハーリド・イブン・アル・ワリードがフィラズ(現在のイラクのアンバール県)に到着する。この時点でムスリムはユーフラテスの谷を征圧していたが、ササン朝ペルシアとビュザンティオンの境界にあるフィラズにはまだササン朝ペルシア軍の前哨基地が存在していた。ワリードはこの前哨基地を襲撃する為にフィラズに来ていた。ビュザンティオンはササン朝ペルシアを援護する事を決定した。ワリードはササン朝ペルシア・ビュザンティオン連合軍がユーフラテス川を渡るまで待機し、渡り切ると直ぐにムスリムに出撃を命じた。ワリードは同年4月21日頃のアル・マダールでの戦闘と同じく両翼から挟み撃ちにする戦法を採用した。また、ムスリムが不利な形勢になると思われた時、ワリードはこの戦いに勝利したらメッカに巡礼すると誓いを立てた。前線が戦闘を開始した後、後方が透かさず橋を占拠し退路を塞ぎ、両翼に分かれ連合軍を包囲した。結果、ムスリムは連合軍を100,000名殺害し、フィラズを占領した。
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前代未聞の3方向からの同時夜襲
≈西暦633年11月
ムザイヤに宿営しているササン朝ペルシア軍の正確な位置を把握していたハーリド・イブン・アル・ワリードが、過去に殆ど例の無い、難易度の高い3方向からの同時夜襲を計画する。ワリードは、以下の3箇所に布陣していた軍をムザイヤから数km離れた場所に集合させ、襲撃時刻を伝え、三手に兵を分散させた。
①フサイド
②カナフィス
③アイン・アル・タムル
夜襲が開始されると、ササン朝ペルシア軍は足取りを掴む事が出来ず数千人が虐殺された。ムスリムは殲滅しようとしたが、暗闇に紛れた敵兵を取り逃した。生き残ったキリスト教アラブ人とササン朝ペルシア兵はサニーへ逃走し、アラブ反乱軍と合流した。
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ササン朝ペルシア版動かざる事山の如し
≈西暦633年8月25日
ハーリド・イブン・アル・ワリードがドゥマット・アル・ジャンダルに到着し、イヤド・イブン・ガンムと合流する。しかしワリードの軍の行動はドゥマット・アル・ジャンダルを守備していたアラブ反乱軍に何日も前から把握されていた。ガンムの軍だけなら打ち払う事が出来るがワリードの軍が加われば持ち堪えられないと考え、近隣の部族に急使を送り援軍を要請した。結果、ガッサーン族・カルブ族等の幾つかの部族が駆け付け、砦の守備に付いた。ワリードはガンムを指揮下に置き、砦の周囲を押さえアラビア・イラク・ヨルダンへと繋がるルートを遮断してアラブ反乱軍を包囲し、敵が攻撃を仕掛けて来るのを待った。先制すれば多大な犠牲を払うと考えた為である。アラブ反乱軍の指揮官ジュディはムスリムが攻撃して来るのを待っていたが、動いて来なかった為、ワリードとガンムの陣を攻撃する為二手に分かれ、先制攻撃を仕掛けた。しかしワリードとガンムの軍にそれぞれ圧倒され、ジュディは仲間数百名と共に捕らえられ、ワリードがムスリム達に見える様砦の近くまで連行し、部下にジュディとその仲間の首を刎ねさせた。結果、アラブ反乱軍の大半が殺害され、多くの若者・女性・子供が捕虜となった。
<訂正>
バヌカルブ族→カルブ族
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ムスリムによるメソポタミア侵攻
西暦633年4月
カーズマの戦いで敗れたササン朝ペルシアのクバズとアノシャガンの部隊がカリンとアル・ウブッラで合流する。クバズとアノシャガンは生存者の中にササン朝ペルシアを裏切りムスリムに与した兵がいた事を伝えると、アル・ウブッラから去る者が現れた。これに慌てたカリンは以下2点の理由からアル・マダール(現在のイラクのワーシト県)で戦う事にした。
①ムスリムに寝返った兵はアル・マダールを知らないであろうと考えた。
②ユーフラテス川に近く、ササン朝ペルシアの正規軍が到着し易いであろうと考えた。
ハーリド・イブン・アル・ワリードはササン朝ペルシア軍がアル・マダールにいる事を把握し、アル・ムサンナ・イブン・ハリサ率いる分遣隊を送りこみ、自身もアル・マダールへ向かった。ワリードが到着した時、ササン朝ペルシアの船が川の端に到着しているのを見て、まだ戦闘準備が整っていない事を理解した。ワリードの狙いは経験豊富なベテラン兵が到着する前に先制する事であった。ワリードは17,000名の兵を率い、アシム・イブン・アムル・アル・タミミとアディ・イブン・ハティムに両翼を任せ、ササン朝ペルシア軍と対峙した。対するカリンはクバズとアノシャガンに両翼を任せ、川を背にして展開し、川岸には撤退を容易にする為の船団が準備されていた。戦いは以下の3つの決闘で始まった。最初に挑戦状を叩きつけたのはカリンであった。それに対しマカル・ビン・アル・アシがムスリムの前列に乗り出して来た。アシは熟練した剣士であったのでワリードは呼び戻す事はしなかった。カリンが敗れ、殺されると、クバズとアノシャガンが名乗りを上げ、アシームとアディがそれに応じた。何れもムスリムが勝利し、本格的な戦闘が始まった。ササン朝ペルシア軍は暫くは持ち堪えたが、上位の将軍を失った事で混乱し、纏まりを失った。最終的には川岸へ向きを変えた。この戦いでササン朝ペルシアは30,000名が殺害された。
①◯マカル・ビン・アル・アシ(ムスリム)vsカリン(ササン朝ペルシア)●
②◯アシーム(ムスリム)vsアノシャガン(ササン朝ペルシア)●
③◯アディ(ムスリム)vsクバズ(ササン朝ペルシア)●
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戦闘中、川の水と粉砕機でパンを製造
≈西暦633年5月15日
ワラジャでの戦闘で敗れたササン朝ペルシア軍の残党が、ユーフラテス川の支流ハシーフ川を渡り、ユーフラテス川の間を移動しながらウライ(現在のイラクのアルカディシーヤ県)に落ち延びた。ムスリムはウライにササン朝ペルシア軍の残党がいる事を認識していたが、数が少なく問題視していなかった。しかし、アル・ヒラとウライの間にいた、ワラジャの戦いで2名の息子を殺害されたアブドゥル・アスワド率いるキリスト教系アラブ部族であるバニ・バクル族が大軍で合流した事で、ハーリド・イブン・アル・ワリードはハシーフ川を渡り、ウライに正面から接近した。アスワドはムスリムへの復讐を考えていた。ヤズデギルド3世はバフマン・ジャドヤにアラブの部隊を指揮しウライでムスリムの侵攻を止める様指示した。ジャドヤは、上級将軍ジャバンにササン朝ペルシア軍を率いさせてウライに向けて先行させ、自身が到着する迄戦闘を避ける様指示した。ジャバンは出陣したものの、ヤズデギルド3世と、ある問題について話し合う為にクテシフォンに戻った。しかしヤズデギルド3世が重病である事を知り、看病を行う事になった。ササン朝ペルシア軍はムスリムの目的はアル・ヒラを占領する事であると読んでいた。ムスリムの司令官の一人アル・ムタンナ・イブン・ハリサが軽騎兵の斥候と共にウライへ進軍し、ワリードにササン朝ペルシア軍の居場所を知らせた。ワリードは自軍を大きく上回る軍勢との戦闘を避ける為に援軍が到着する前に、ウライに到着しようとしたが失敗した。ワリードはササン朝ペルシア軍が作戦を練る前に戦闘を開始する事を計画し、当日中に襲撃した。ワリードは以下2名に両翼を任せ、軍陣を整列させた。
①左翼:ウマル・イブン・ハッターブの息子アシム・イブン・ウマル
②右翼:ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフの仲間であったアラブ人キリスト教指導者ハティム・アット・タイの息子で元キリシタンのアディ・イブン・ハティム
昼前、ジャバンがムスリム侵攻の報告を受けた。ササン朝ペルシア軍はそれを受け、食事の時間であったがムスリムに対し強靱さを示す為に、食事を摂らずに軍の編成を行った。中央にササン朝ペルシア軍、両翼を以下2名のアラブ人キリスト教徒に任せた。
①左翼:部族長アブジャル
②右翼:部族長アブドゥル・アスワド
しかしアスワドは決闘でワリードに敗れ殺害された。
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アラブ系聖歌隊のイスラム教への強制改宗
≈西暦633年4月
ヤズデギルド3世がクテシフォン(現在のイラクのバービル県)にてアル・マダールで自軍の敗北報告を受け、追加で2つの軍を招集して軍を再編成する。数日後には第一陣の出撃準備が整った。ヤズデギルド3世は、ムスリムが撤退する場合に備え砂漠を背に戦うと読み、ワラジャ(ユーフラテス川の現在のムサンナー県とカーディーシーヤ県の県境付近)を戦闘場所に選んだ。ホラーサーン統治者アンダルザガールが、ワラジャに出撃する様命じられ、間も無く別の軍と合流し、イラン人とキリスト教アラブ人から成る軍を率いてクテシフォンを出発した。その後カシュカルでティグリス川を渡り、南西に移動してユーフラテス川を渡り、ワラジャに布陣した。その道中何千名ものアラブ人が合流し、カーズマとアル・マダールでの戦の残党も加わった。アンダルザガールは数日後にワラジャに到着する予定のササン朝ペルシア軍最高幹部の一人のバフマン・ジャドゥヤの軍を待つ事にした。アンダルザガールよりも数日遅くクテシフォンを出発した為遅れる事になった。ジャドゥヤもヤズデギルド3世からワラジャへ挙兵する事を命じられ、計画では総司令官として軍を指揮する予定であった。同じ頃ハーリド・イブン・アル・ワリードが、送り込んだスパイから以下の報告を受けた。
①ササン朝ペルシア軍がワラジャに布陣している。
②兵の数がかなり多い。
③別の軍と合流する為にワラジャに留まっている。
ワリードは元々アル・ヒラに向かう予定であり、ワラジャは丁度そのルートの中に入っていた。ワリードはアル・ヒラの方角へ向かって、5,000名の騎兵と10,000名の歩兵を率い出撃した。ワリードはジャドゥヤのワラジャ到着予定日の数日前にワラジャの近くに宿営した。
宇宙一元化 公式HP
http://universe-centralization.com/top.html
なぜダルマは縁起物なの?[色即是空]【ゆっくり解説】(短編歴史トリビアQ)
今回は、ダルマさんの歴史についてです。
縁起の良い置物としてよく見かけるダルマさん。
特に、なにか願い事をするときには目のないダルマを用意して片目を描き、願いが叶うともう片方の目を描いて完成させますね。
選挙に当選した政治家が目を入れているところを見たことがある人もおられるでしょう。
では、なぜダルマは縁起物なのでしょうか?
それは、かつてとても恐れられた、とある疫病が原因なのです。
今回は、そんな「縁起物であるダルマの歴史」をご紹介します。
面白かったら「いいね」お願いします。お礼に小ネタを入れています。
トリビアQシリーズのリストはこちら。
https://www.nicovideo.jp/mylist/72719257
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#だるま #達磨大師 #聖徳太子 #三蔵法師 #伊達政宗 #政治家 #起き上がり小法師 #起き上がりこぼし #少林寺 #中国 #南北朝時代 #魏晋南北朝時代 #インド #天竺 #ペルシア #ササン朝 #サーサーン朝 #隋 #座禅 #仏教 #禅宗 #臨済宗 #曹洞宗 #唐 #室町時代 #江戸時代 #天然痘 #疱瘡 #疫病 #疫病神 #赤べこ #さるぼぼ
なんでイスラムではルネサンスが起きなかったの?(追補再編集版)[色即是空]【動画で語る世界の歴史】【ゆっくり解説】
今回は、いわゆる「ルネサンス」が、なぜ産業革命のような「技術革新」ではなく、「再生」や「復興」などと呼ばれるか、および、ルネサンスがなぜヨーロッパで発生し、となりのイスラムでは発生しなかったのかをご紹介したいと思います。
みなさんご存知のとおり、古代ギリシアやローマの文化は、イスラム勢力に保護され、それがヨーロッパに戻ってきた14世紀に発生しました。
実は、この14世紀のいわゆる「ルネサンス」の前にも、「12世紀ルネサンス」や「カロリング・ルネサンス」などといった「再生」運動があったのですが、14世紀のルネサンスとは、ある一点で決定的な違いがあります。
皆様の勉強の一助、あるいは雑談の種になれば幸いです。
(本動画は、動画「「ルネサンス」が何で「再生」なの?」を基に、大幅に追補、改訂したものです。今回の改定に当たり、皆様からのコメントを参考にさせていただきました。ここに厚く御礼を申し上げます)
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【VOICEROID解説】音街ウナの Unam Sanctam #7【キリスト教】
みなさん明けましておめでとうございます。
このシリーズではキリスト教という宗教が人類にもたらした歴史的・文化的影響について
プロテスタント的な視点から、音街ウナちゃんが解説していきます
今回は単性論派論争の背景からビザンツ-ペルシア戦争までがテーマとなります。
単性論は古代ギリシアまでを含めた哲学論争として考えたとき非常に興味深いものがありますが
必要となる前提知識が多すぎるため、動画ではこの論争の政治的側面に絞った解説をしています。
図らずも2021年1月3日にこのシリーズを始めてからちょうど1年で古代末期が終了しました。
今年は恐らく「中世の1年」になるのではないかな~と思ってます。
たまに寄り道をする事もあると思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。
なお、今回ラストでウナちゃんが解説しているのは所謂『ピレンヌ・テーゼ』と呼ばれるものです。
現在この理論は様々な議論が重ねられた結果、多くの問題点が浮かびあがってきています。
モヤッとした方は補足動画をご覧ください。
【前作】結月ゆかりの洋書解説(完結済) mylist/63982305
sm39216850←前 次→ イスラムの衝撃
補論→ sm39866914「マホメット無くしてシャルルマーニュなし」
実力主義の皇帝は一代限り【VOICEROID解説】【世界史】
前回に引き続き皇帝編です。
動画内で出てくるユスティニアヌス帝は多くの領土を征服した一方、
征服の過程でかかった軍事費を補うために重税を課したことや、
晩年になると異民族に金を渡すことで異民族の侵入を防ごうとしたために国家財政を破綻させるといった東ローマを一気に衰退させるきっかけを作りました。
実際彼の死後50年後あたりでは東ローマは一時期ササン朝にエジプトとシリアを奪われ、
首都コンスタンティノープルを包囲され皇帝であるヘラクレイオスが夜逃げを試みるほどまで追い詰められました。
東方西洋史 第四十六回 ゾロアスター教 その2
ザラスシュトラ死後のゾロアスター教の変遷を題材にした東方2次創作のゆっくり劇場となっています
お楽しみいただければ幸いです
神名は野田恵剛訳「アヴェスタ」のものを使用しています
ゾロアスター教 その3はササン朝かルネッサンス期かなあ
前⇒sm38913065
次⇒sm39039784
マイリスト⇒mylist/67155423
【EU4】迫真ペルシア ③やっぱ怖いスねオスマンは
あっすいません自分の領土に変態ササン朝が入り込んでるんですけど
今すぐ来てください!
ゴルディアヌスだ!何が目的だ!?ドゥラか、アンティオキアか?
馬鹿野郎シャープール1世は勝つぞお前!
ローマ皇帝死にました~
part1:sm38923226 前:sm38932569 次:sm39010562
ver1.314
導入MOD:日本語化、waifu universalis
作ったもの:mylist/65067797
タクヤのドイツ3000円:sm38730287
大越(超くさい):sm37651521
グルジア(超くさい):sm36888242
コンゴ(くさい):sm36524446
008 パルティアとササン朝 教25ページ 世界史B マキャベリ先生
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【実況】色のない世界だ【FF13】#47
前回ゴリゴリに尺が短くなったくせに
今回はゴリゴリに尺が長くなったのであった
次回は丁度よくなぁれ!
※他の実況者についてのコメント、タグ付けはお控えください※
【コメ返し】
ダハーカはペルシア神話が出典だね
→本当にどうでもいいんですけど、一時期ササン朝ペルシアガチ勢でした
えっ火を消しただけw
→もっとこう……あるだろ!!
ここのレバーの動かし方にもキャラごとに個性が出るのも面白い
→そういう細かいところに凝ってるスクエニが好き
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Part1集【mylist/47309474】
FF13マイリス【mylist/64159836】 前回→sm34945436 次回→sm34970830
【ゆっくり実況】【ポケモンUSM】ひまりのクチートダブレート part4
ササン朝ペルシャ
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今までのシリーズのパート1→mylist/44197070
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【ゆっくり世界史解説】ササン朝とゾロアスター教[08]
はぁー、不労所得と不老不死が欲しい、、、切実に、、、
動画で言ってたやつ→https://www.pixiv.net/fanbox/creator/8146082
【動画リンク】
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【ゆっくり世界史解説】part8「パルティアとササン朝」
♯8 古代オリエント世界編 第8話「パルティアとササン朝」
3ヶ月ぶりの投稿です。
このシリーズが忘れられてないことを願います。
【動画リンク】
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【ゆっくり世界史解説】part7「アケメネス朝のオリエント世界統一」
#7 古代オリエント世界編 第7話「優しさのアケメネス朝、オリエント世界統一!」
今回の動画を作ってて、いらすとや便利すぎぃ!と思いました。
【動画リンク】
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歴代天皇解説天皇→sm29592099
日本史解説原始時代~江戸時代→sm27583570
日本史解説明治時代~→sm30546936
世界史解説→sm30585446
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哲学者解説→sm28938094
古事記日本書紀解説→sm30247719
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双帝の羅馬復興記~LⅡ~
いまはこれが精一杯。すまぬ…すまぬ……。
あらすじ:いよいよゴート族連合軍の攻撃が始まった。
ローマ市は皇帝真美率いる「ジェミニ・ウィクトリクス」軍団で迎え撃ち、
初戦は凌ぐことができた。その夜……。
ひゃっはー!ケントゥリオPの新作が出たぜ!流石の出来栄えよ!⇒sm28694969
山家さん、ササン朝の皆々様、広告感謝!
前回⇒sm28549410
次話⇒sm28736288
マイリスト⇒mylist/15781268
西帝国で時代に抗ってみた 第六帝国の鼓動 第65話(前編)
前(sm17692567)次(sm18027093) マイリスト(mylist/22955702)
時間が空きながら、相変わらず好き放題会が続きます。
・・・もうトータルウォー動画といえなくなってきたね
西帝国・反乱軍戦の前に、東帝国・ササン朝のアミダ攻防戦の歴史上の戦闘データーを後日うpします
アミダ攻城戦うpしました。(ttp://www1.axfc.net/uploader/He/so/364159)
三データーいれているので付属のメモ帳の説明をよく読んで、自己責任でお願いします。
アミダ1(本動画で使ったそのまま)
アミダ1.2(ササン朝を強化)
アミダ2(騎兵戦追加)
西帝国で時代に抗ってみた 第六帝国の鼓動 第63話前編
きりがいいところで区切ったら、前半8分弱になっちゃったべよ。
後半はこの1.5倍くらいの時間になっとります。
前(sm17185158)次(sm17600096)
後、この戦闘終了後、一度西帝国・東帝国・ササン朝の派閥?みたいなものをきちんと整理、説明しとこうと思います。
西帝国で時代に抗ってみた 第六帝国の鼓動 第62話
前(sm17085886)次(sm17526906) マイリスト(mylist/22955702)
というわけで、また遅くなりましたが、VS反乱軍首領戦です。騎兵を出すとどうしても騎兵無双になるのと、たまには大規模な戦闘をしたいので、この戦いは歩兵戦のみの大部隊同士の戦いでさせていただこうと思います。
また、ササン朝戦を楽しみにしていた視聴者の方がいたので、東帝国とササン朝の戦いを入れてみました。
※質問が何件かあったので、VS反乱軍首領戦が終わったときにまとめて回答します。ただ、歴史上の戦闘の作成は・・・もう量をこなせとしかいいようがないかも・・・
いまさら気づいたが、メディオラヌムは現ミラノではないか・・・orzアクィタニアの州都はメディオラヌム・サントヌムです
西帝国で時代に抗ってみた 第六帝国の鼓動 第61話
前(sm16808034)次(sm17185158) マイリスト(mylist/22955702)
投票受付終了
東帝国の選択(外交工作) 1.フランク 2.ブリタニア 3.サルマタイ 4.ヴァンダル 5.ササン朝
※結果、西帝国と東帝国に不幸発生!
うp主の言い訳
ここから本気で不愉快に感じる内容、主に宗教を利用するものが動画に入ってきます。
これはうp主が西帝国が生き残るための理由を、宗教という"熱狂"と、当時、すでにセナトル貴族と結合して、本来の寛容性を薄め排他性を見せていたローマ教会が持ってい異教徒への"憎悪"により、とりまとめを行うしかないという結論にいたったからです。
本当にごめんなさい