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シーイーの古都京都巡り035崇導神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「崇導神社」
です。
桓武天皇の実弟である「早良親王」を祀る神社。
上御霊神社 下御霊神社 藤森神社 などは
他の神様と一緒に本殿で並んで祀られてますが、
当社は早良親王を単体で祀っている唯一の神社です。
上御霊神社/下御霊神社と時期を同じく、
平安京遷都のタイミングで創建されてます。
大正時代に、小野妹子を祀る神社などが引越により、
境内に遷ってきました。
明確な歴史が数少ない神社だったりします。
コラム3 京都五社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
久方ぶりのコラムです。
お題は「京都五社めぐり ~四神相応の京~」
またまたスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
平安京遷都に伴って、
北東の怨霊鎮護の三社(崇道神社 / 上御霊神社 / 下御霊神社)と
あわせるべく、
元々あった社殿を増強させてできた、
コスパが抜群な神社と、
明治期に創建の「平安神宮」のスタンプラリーです。
北の避暑…ぽい地
西山の山裾
南の小椋池の畔
東山の祇園
そして岡崎の文化地区
移動が大変なので、
廻る方は頑張って廻ってね。
ちなみにシーイーは
マイカーと鉄道&バスの場合分け
で廻ってます。
シーイーの古都京都巡り023下御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は前回の姉妹神社となる
「下御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その7
主祭神:
・早良親王
・吉備内親王
・霊元天皇
他
摂社/末社:
・内宮
ほか多数
創建に至る内容は、前回の上御霊神社と同じなので割愛。
元々は現在の「今出川寺町」にあった「出雲寺」の末寺として
建立された説が有力です。
鎌倉時代に「新町出水」への引っ越しと共に神式になったようで、
現在のその地は京都府庁だったりします。
室町時代に勃発した「応仁の乱」では、
乱勃発の情報が届くとすぐに、時の神職さんが、
ご神体を持って ア~ラホ~ラサッサ の スタコラサッタ!
と現在の御室あたりへ疎開。
室町末期、秀吉の京都復興にて、
現在の場所が確保され、本殿建立の後にご神体が帰還。
江戸時代では、
御所が焼け落ちるほどの大火事「宝永の大火」と「天明の大火」があり
全社では全焼 後者では土蔵以外が焼け落ちました。
復旧の為の仮御所が二度も下賜されるという、
天皇家からとてつもない信仰がありました。
また霊元天皇は神輿も寄進しており、
霊元天皇時代の土蔵と神輿が現在に残っている神社です。
これらの社殿などは重文や国宝の指定はされてなく、
京都市の有形文化財です。
(神社が所有の「霊元天皇からの書状」が重文になってるのみ。)
シーイーの古都京都巡り022上御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回から中古ながら新調したカメラでの写真で、
若干比率が異なってます。
今回はちょっと長めでの
「上御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その6
「京都十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
主祭神:
・早良親王
・吉備真備
・橘逸勢
他5柱
摂社/末社:
・福寿稲荷
ほか多数
桓武天皇は平城京からの遷都を決心しました。
遷都のプロジェクトとして、
藤原種継と実弟の早良親王をプロジェクトのトップとして、
山城国乙訓の長岡村に派遣しました。
「立地はよい」との判断により場所が決定し、
さっさと内裏の建築が始まりました。
突貫工事もあいまって、半年後には内裏の外郭と大極殿が完成。
桓武天皇はさっさと居を移して「遷都」となりました。(長岡京遷都)
そんなある日、
現場状況の確認でぶらぶらしていた種継に、
流れ矢が命中!即死してしまいました。
犯人はヤス「大伴家持」と裁定され、
事件の前に没していたことから官位剥奪、親類が悉く逮捕。
早良親王も関与との讒言があり、
実弟の早良親王を幽閉・流罪に。
早良親王は無実を訴え続け断食するも、まもなく死去。
まもなくに河川氾濫と疫病発生となり、皇后と実母が病没。
「早良親王のタタリである!」
とされて建都が中断。
現場の責任者の「和気清麻呂」は、
新天地でのやり直しを進言、桓武天皇も承諾。
建都・遷都に先立って、
早良親王に「崇道天皇」の地位を与えて神号とし、
八瀬に「崇道神社」
新都の北東(鬼門)に「上御霊神社」と「下御霊神社」を建立
これがこの神社の成り立ちです。
室町期には、畠山家の家督相続の衝突で、畠山政長が陣を置いて、
そこに畠山義就が突っ込んできて合戦に。
「上御霊神社の戦い」と呼ばれる、応仁の乱の前哨戦となりました。
そこから「応仁の乱 勃発の地」とされている神社です。
江戸末期には、
天皇家で皇女が誕生すると、胞衣が奉納される神社となりました。
こんな神社です。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
初秋の京都(2019/9/22)
先日撮影した動画をアップしてみました。
京の夏の旅で特別公開されている町屋を中心に回ってみました。
HD動画→mylist/15759523 京都関連動画その1→mylist/15106515 その2→mylist/65200288
アップ一覧その1→mylist/15106514 その2→mylist/33326050
【下御霊神社】八坂様が(京都に)来てる 其の40
インフルエンザが猛威を振るっているけど
医学の発達した現代でもこれだもんなぁ・・・
てなわけで今回も怨霊を鎮める神社の紹介
お借りした曲
sm17272393
sm17591180
作った物mylist/32496897
前回sm19985148次回sm20177207
中途半端な知識のうp主が作った動画なんで間違い等あったらゴメンナサイ
湯武革命論 山崎闇斎 崎門学
山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」を開きました。寛文五年(1665)幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎、その弟子の若林強斎、土佐南学の谷秦山ら、幕末では橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「湯武革命論」は湯武放伐を程子、朱子の論を基に考察し、革命を否定し、後世の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えました。闇斎「拘幽操」→sm7538203、橋本左内→sm5110938
拘幽操 山崎闇斎 崎門学
山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」を開きました。寛文五年(1665)幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、その弟子の若林強斎や、土佐南学の谷秦山ら、幕末では、橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「拘幽操」は周の文王の幽閉を題材にした韓退之の詩であり、これを闇斎は考察し忠義のあるべき姿としました。闇斎「湯武革命論」→sm7541823、橋本左内→sm5110938