湯武革命論 山崎闇斎 崎門学

湯武革命論 山崎闇斎 崎門学

山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」を開きました。寛文五年(1665)幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎、その弟子の若林強斎、土佐南学の谷秦山ら、幕末では橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「湯武革命論」は湯武放伐を程子、朱子の論を基に考察し、革命を否定し、後世の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えました。闇斎「拘幽操」→ sm7538203 、橋本左内→ sm5110938

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7541823