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後白河上皇崩御、九条兼実を納得させた遺領処分の遺詔
西暦1,192年4月18日
雨の中、後鳥羽天皇が後白河上皇のお見舞いの為、六条殿に行幸する。この時後白河上皇の容態はかなり悪かったが、後鳥羽天皇の笛に合わせて今様を歌った。後鳥羽天皇が内裏に還御すると、後白河上皇は高階栄子を使者として以下の遺領処分の内容を認めた遺詔を後鳥羽天皇に伝達させた。
①後鳥羽天皇
❶法住寺殿
❷蓮華王院(現在の京都府京都市東山区三十三間堂廻り)
❸六勝寺(現在の京都府京都市左京区の岡崎通周辺)
❹鳥羽殿(現在の京都府京都市伏見区中島前山町)
②後白河上皇の第1皇女亮子内親王
❶押小路御所
③後白河上皇の第2皇女好子内親王
❶仁和寺花園御所(現在の京都府京都市右京区御室大内)
④後白河上皇の第3皇女式子内親王
❶大炊殿(現在の京都府京都市左京区下鴨泉川町)
❷白河常光院(現在の京都府京都市左京区岡崎法勝寺町)
❸その他3箇所の荘園
⑤覲子内親王
❶六条殿
❷長講堂とその所領
後白河上皇に批判的であった九条兼実も「誠に穏当な処分である」と評価した。
宇宙一元化 公式HP
http://universe-centralization.com/top.html
一条能保の正室坊門姫の生涯と源通親襲撃未遂事件
西暦1,199年3月12日
左衛門尉の以下3名が源頼家の雑色に捕らえられ、大内惟義経由で院御所に連行される。
①後藤基清
②中原政経
③小野義成
宇宙一元化 公式HP
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シーイーの古都京都巡り063建仁寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建仁寺」
です。
※今回からBGMがさらにアレンジのバージョンとなってます。
臨済宗の開祖である「栄西」が、
鎌倉幕府からの斡旋・バックアップで建立となった寺院。
創建時の元号が「建仁」だったので、そのまま名前となってます。
(延暦寺や仁和寺なども元号から来ているお寺ですね。)
方丈には栄西の掛け軸(写し)のでっかいのが掛かってます。
足利将軍家も大事にしており、
足利義満は「京都五山」の第三位に位置づけるほど。
室町末期には名だたる武将が塔頭を寄進などあり、
徳川家も「以心崇伝」に命じて保護させてます。
令和5年6月4日遍照寺副住職、金花山宝泉寺開催の花宝苑開園記念コンサート「おてらJAZZ」を見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さん開催の
花宝苑開園記念コンサート「おてらJAZZ」に参らせて頂きました。
「花宝苑 癒やしの歌声コンサート」
トランペット/ボーカル:五屋聡
ピアノ:内藤直樹
ベースギター:渡辺春雄
①Fly me to the moon
②But not for me
③Danny Boy
④Alone together
⑤Old folks
⑥I cant give you anything but love
⑦花は咲く
⑧On the sunny side of the street
以下、宝泉寺概略
金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
広沢山遍照寺令和4年5月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、岩崎僧正(仁和寺よりう応援)が職衆を勤めさせて頂いております。
広沢山遍照寺令和4年8月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
仁和寺より応援に来て頂いた岩崎僧正が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
令和5年5月21日遍照寺副住職、岡山県赤磐市自性院さんの朝勤行にお邪魔する
広沢山遍照寺副が仁和寺職員時代の後輩である幡山僧正のご自坊自性院さんにお邪魔してきました。
朝勤行後にご住職がDIYで自作された茶室やお庭を紹介してもらいました。
広沢山遍照寺令和3年11月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
今回は副住職不在故に
仁和寺よりお出まし頂きました岩崎僧正が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
広沢山遍照寺令和5年1月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、仁和寺から応援の岩崎僧正が職衆を勤めさせて頂いております。
法要後に仁和寺学芸員の朝川さんによる「高祖大師行状図」の話をしました。
広沢山遍照寺令和4年4月29日「春期大祭柴灯護摩供養会」
毎年4月29日に行っております春期柴灯護摩供法要を配信したものです。
副住職が導師、住職ならびに岩崎僧正(仁和寺より出仕頂きました)が
職衆を勤めさせて頂いております。
去年に引き続き雨天でのお勤めでした。
里芋好きの智者 『徒然草 気まま読み』#96
今回扱うのは、第三十段。
冒頭部分を紹介すると…
眞乘院に、盛親僧都(じょうしんそうず)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。
仁和寺・眞乘院の盛親僧都という人の話。
冒頭から「やんごとなき智者」という、最大級の賛辞で紹介されているのだが、なぜだかこの人が「やんごとなき智者」であることを表す具体的な話はその後一切登場しない。
出てくる話は、どう見ても奇行としか言いようのないエピソードばかり。
それでも奇人変人ではなく、「やんごとなき智者」なのだという。
逆に、これだけの奇行をしていても人々に一目置かれているということ自体が「やんごとなき智者」の証なのか?
なんとも不思議な印象を残す一段。
【神道シリーズ】第82回・八百万の神㉚石動山信仰(真言宗の五所権現=石動山権現)
石動山(せきどうざん)は、霊亀(れいき)2年(716年)に雑密修験道の創始者・役小角(役行者)によって開山され、石動山寺が創建された、とする伝承があるものの、実際の開山は霊亀3年(717年)に白山の開山者・泰澄によるものだとされています。(その年に泰澄が石動山を「天平勝宝寺」(石動山天平寺とも呼ばれる)と改名(?)したとされるが、実際にはその年に初めて天平勝宝寺が創建されたのではないか?とされる)
延喜5年(905年)の延喜式神名帳には石動山の「伊須流岐比古神社」という名称が登場するが、この伊須流岐比古(いすれひこ)という神は古事記や日本書紀には登場せず、延喜式に名称だけ出ていてまったくの不詳であるが、19世紀に地元の国学者たちによる編纂された「肯構泉達録」という書物ににストーリーが脚色追加されている。
石動山は泰澄の開山後、9世紀以降は真言宗(仁和寺・観修寺)の進出により、虚空蔵菩薩(大宮)など5つの菩薩・明王らを本地とする五所権現(石動山権現)が形成され、真言宗の寺となった石動山天平寺が信仰の中心となり、明治時代に明治政府により同寺が破壊・廃寺化されるまで石動山信仰の中心となりました。
石動山は、南北朝および戦国時代の戦乱に何度となく巻き込まれ、二度も寺を焼失させられたりしますが、その都度時の権力者や朝廷により復興され、さらに石動山天平寺も城郭を持つ要塞化して行きました。
気のむくままに奈良県外もぶらついてみた-京都Part8 仁和寺 後編
仁和寺の後編。前編の庭園でテンション上がり過ぎたためかちょっと燃え尽き気味・・・。
part7:nm19284437 他にぶらついた所:mylist/30310122 part9:nm19320358
ついったーやってます。一言二言御座いましたらお気軽にどうぞです。
https://twitter.com/Octobersanpo
空振りの話 『徒然草 気まま読み』#88
今回扱うのは、第五十四段。
途中まで紹介すると…
御室(おむろ)に、いみじき兒のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばむと企(たく)む法師どもありて、能あるあそび法師どもなど語らひて、風流の破籠(わりご)やうのもの、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙(ならび)の岡の便りよき所に埋(うづ)み置きて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒をそゝのかし出でにけり。
前回・前々回に続いて、今回も仁和寺の法師の失敗談。
そんなに、仁和寺には変わった法師が多かったのだろうか?「御室」は仁和寺の別称。出家後の宇多天皇が、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」と呼ばれる。
そんな皇室ともゆかりの深い寺なのだが、当時の寺は女人禁制、男だけの世界。
そこには、ある種の同性愛的な感覚があった。
ある時、仁和寺にたいそう評判の稚児がいた。法師たちは、その稚児の気を引きたくてしょうがなく、一計を案じる。
なんだか僧侶というより、ほとんど男子高校生みたいなノリなのだが、はたしてどうなる?
【軽量版】2012年京都に行ってきた(13)~(15)
2012年の京都動画の軽量版です。その13~15をまとめました。
前→sm18803772 次→sm18803953 京都関連動画→mylist/15106515アップ一覧(その1)→mylist/15106514 (その2)→mylist/33326050
気のむくままに奈良県外もぶらついてみた-京都Part7 仁和寺 前編
思ったよりも仁和寺だけで長くなったので前後分割しました。
しかし気づけばもうこのシリーズをやり始めて一年が既に経ってしまったのですね・・・。
動画化出来たのはその一年中の半分も出来ていないのですが・・・。
part6:nm19185783 他にぶらついた所:mylist/30310122 part8:nm19284473
ついったーやってます。一言二言御座いましたらお気軽にどうぞです。
https://twitter.com/Octobersanpo
酒の大失敗 『徒然草 気まま読み』#87
今回扱うのは、第五十三段。
途中まで紹介すると…
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎をとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。
しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。
前回に続いて、今回も仁和寺の法師の話。
仁和寺には変わった法師が多いのか? と思わせる、愉快そうな話かと思ったら、だんだんシャレにならないことになっていく。それでも途中までは滑稽味も漂っているのだが、その行き着く先は…
第84回で扱った第八十七段とも共通する酒をめぐる失敗談だが、酒によるちょっとの気のゆるみが、下手をしたら命とり。くれぐれも酒には気をつけよう!
令和5年4月16日遍照寺副住職、金花山宝泉寺開催の「癒やしの歌声コンサート」を見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さん開催の
「癒やしの歌声コンサート」に参らせて頂きました。
「花宝苑 癒やしの歌声コンサート」
歌:Misera 千代道子
http://sinoyemusic.com/blog
音響:森崇
〈曲目〉
・越天楽・春
・蘇州夜曲
・蓮音
・いつも何度でも
・花は咲く
・人生の扉
・歓びを広げよう
・光明真言~光のうた
・ふるさと
以下、宝泉寺概略
金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
先達はいてほしい 『徒然草 気まま読み』#86
今回扱うのは、第五十二段。
全文を紹介すると…
仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人徒歩(かち)より詣でけり。極樂寺・高良(こおら)などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍(かたへ)の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
すこしの事にも先達(せんだち)はあらまほしきことなり。
普通は書きそうなところをあえて書かずに読者に想像させる兼好の絶妙さに、思わず笑ってしまう。
そしてこれは、今でもよく起こりうる「旅行あるある」でもある。
やっぱり、ガイドはいた方がいい!
背景は京都 石清水八幡宮 楼門と廻廊。acsunifu23さんによる写真ACからの写真。
2011年春の京都に行ってきた(7)(8)【軽量版】
先日アップした2011年・春の京都動画の軽量版です。その7・8をまとめました。
前→sm14451405/次→sm14451819 京都関連動画→mylist/15106515 アップ一覧他→mylist/15106514 user/12128395
広沢山遍照寺令和3年6月6日開山忌法要(概要に啓白文記載)
毎年6月に拝まして貰ってます開山忌法要配信の様子です。
住職が職衆、副住職が導師を勤めさせて頂いております。
聴き取りにくいかもしれないので
讃の後に読み上げました啓白文の全文を書き出しておきます。
開山忌啓白ノ文
敬テ真言教主大日如来金剛胎蔵両部諸尊
殊ニハ当山本尊十一面尊 赤不動明王を始メ奉リ稲荷、八幡諸天善神
夫レ以レバ当山開山寛朝大僧正ハ仁和寺開山宇多法皇様ノ皇孫ニシテ
十一才ニテ御出家寛空阿闍梨ニ随イテ両部ノ灌頂ヲ相承真言密教ノ正嫡トナラル
法力ニ優レ天慶ノ乱ニ際シテハ朱雀帝ノ勅ヲ奉ジ
関東公津ヶ原ニテ将門調伏ノ祈祷ヲ修サレ効験立チ所ニ表レ乱平定
成田ノ地ニ新勝寺ヲ開創サル
天元四年円融上皇不豫ノ折ニハ宮中ニテ病気平癒五壇法ヲ修サルヤ壇上ニ生身ノ明王ヲ顕現
上皇ノ病速ニ怪癒永延元年急旱ニ際シテハ東大寺ニ六大寺ノ僧ヲ集メ雨ヲ祈ラルヤ翌日大暴雨トナリ人々ヲシテ未曾有ト賞讃サル
依テ朱雀村上冷泉円融花山一条ト歴代天皇ノ帰依ヲ集メ
仁和寺東大寺西寺ノ別当 東寺ノ長者ニ任ゼラレ
寛和二年真言宗初ノ大僧正位ニ補セラレタリ
天元二年 広沢ノ池ヲ築造 其ノ池水ハ下三ヶ村三十余町歩ノ田ヲ潤セリト伝ウ
永祚元年勅願ニヨリ池畔ニ遍照寺ヲ開創 方八町ノ寺域ヲ誇リ堂塔甍ヲ連ネリト言ウ
僧正当山ニテ盛ンニ密肆ヲ啓キ真言密教「広沢流」ノ名ヲ伝ウ 又声明道ニモ通ジ東密声明道ノ祖ト仰ガレシ名僧ナリ
本日爰ニ檀家役員一同参列ノ元 一座ノ法筵ヲ催シ開山大僧正様ノ遺徳ヲ顕彰シ報謝ノ誠ヲ捧ゲ奉ル願クバ大僧正様末資等ノ微衷ヲ哀納シ玉イテ寺門ノ興隆並ビニ檀信徒各家ノ家門隆昌ト安寧和楽ノ益ヲ垂レ玉ワンコトヲ乃至法界平等利益
嵐電 京福電気鉄道嵐山線 モボ621形 御室仁和寺発車
最近模型化されましたね。つりかけ音が好きです。 撮影2007.3.19 mylist/13168500
仁和寺のここがツボ・雅流塾
京都の世界文化遺産、仁和寺の鑑賞のツボを解説いたします(≧▽≦)http://kyonara.xyz/archives/23335265.html
2011年春の京都に行ってきた(9)【龍安寺~】
4月13日の続き。原谷苑から龍安寺へ。その後仁和寺前のコインパーキングに戻り、車で岡崎公園駐車場を目指しました。
その8→sm14311621/その10→sm14356406 京都関連動画→mylist/15106515
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2.2.20 アホがする誤解って解いたらなアカンの?
https://www.facebook.com/events/642556889849389/
誤解する程度の人に興味が湧きません。
※当サイトの動画は日本が大好きな私個人の感想や意見を述べており必ずしも真実ではありません。
独自の考え方、切り口を示す事により視聴者様の思考を促進する事を目的としています。
宜しくご理解ください。
以下は私が毎日チェックしているサイトです。
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のほほんでんしゃのブログ
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YouTube のほほんでんしゃ
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広沢山遍照寺令和4年8月7日先祖供養法要
例年8月第一日曜日に行っている遍照寺墓回向に伴う持仏堂での先祖供養配信の様子です。
遍照寺副住職の唯我と仁和寺より応援に来て頂いた大石僧正、岩崎僧正の3名で勤めさせて頂きました。
2012年京都に行ってきた(18)【桜の退蔵院~】
仁和寺から妙心寺へ移動。退蔵院を訪れた後、妙満寺、実相院、そして西山に移動して善峯寺を訪れました。
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【神道シリーズ】第68回・八百万の神㉓石鎚山信仰【前編】法螺貝と大般若経と念仏は今でも健在!!
石鎚山は、8世紀に役小角が開山し、その弟子・芳元が中国の天台山から勧請したと言われる熊野権現をこの地に祀り、それが「石鎚山蔵王大権現」となり、それが今も昔も一貫した信仰対象となりました。
石鎚山信仰は、その同じ8世紀に寂仙(石仙)という修行僧が信仰の基礎を築き、大峯山(吉野)で峰修行した天台宗(比叡山)の高僧・光定は、最澄から天台座主のオファーを断り、(9世紀に)寂仙を師と仰ぎ、石鎚山で山岳修行を行い、やがて石鎚信仰の両輪の一つとなる横峯寺を創建しました。
9世紀になると真言宗御室派(古義真言宗・京都仁和寺が本山)が同地に進出し、前神寺を創建し、さらに横峯寺にまで進出します。
石鎚信仰は、両寺を中心に、多くの先達を率いた石鎚講を形成し、その組織が強大過ぎたために、明治期の神仏分離令も政府の思うように行かず、石鎚神社を新設するまでに35年もかかり、それも石鎚山真言宗系の石鎚本教により運営され、そのまま今日に至ってる。
今日でも石鎚山の山開きでは法螺貝の音とともに大般若経や念仏が唱えられる石鎚神社の石鎚講で信仰が支えられている。
京都桜の開花状況(2014/4/13)
昨日撮影した京都の動画です。取り急ぎアップしてみました。仁和寺の御室桜は満開ですがこの桜は散るのが早いので行かれるなら早目がお勧めです。
京北はソメイヨシノが見頃を迎え、八重紅枝垂桜が咲きはじめ~5分咲きという感じでした。
京都関連動画→mylist/15106515
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2011年春の京都に行ってきた(8)【原谷苑】
仁和寺から原谷苑へ。目の前に見渡す限りピンクの桜が空を覆っていました。
その7→sm14288030/その9→sm14352792 京都関連動画→mylist/15106515
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