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【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十二回(中世編4)(講師:亀山隆彦)[2020年6月20日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
※ マイクの関係で、一部音声が聞き取りづらいところがあります。ご容赦ください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第6回(講師:師茂樹)[2020年6月17日]
※ この講義のレジュメと『成唯識論』の現代語試訳(第4回と同じもの)を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
※ 今回は現代語訳の28ページぐらいから読み進めています。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】禁忌の仏教学:愛欲の比丘は釈尊の夢を見るか? 第2回 自殺:世を儚んで死んだ坊主は許されるか?(講師:大谷由香)[2020年6月4日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
釈尊がインドで仏教教団を作った時、出家者が一緒に暮らすためのルールとして律が作られました。大乗仏教が興った時、菩薩として生きるための指針として戒が立てられました。仏説である戒律は、仏説であるが故にその文言を変更することは許されません。
しかし全く違う文化・風土・習俗を持つ地域に広まった仏教教団が、インドの仏教教団と同じ生活を営むというのも難しい話です。人間としての営みと宗教上の理想との間に生じる葛藤の軌跡が、実は戒律を記す仏典の注釈書に痕跡として残っています。
この講義では、この注釈書に注目し、3つの観点から欲望と理想のせめぎ合いを学術的に追っていきます。
仏教徒はどう生きるべき?!という理想論ではなく、実際のところどこまで許されるのか、むしろ破戒のギリギリラインをいっしょに探っていきましょう。
【講義アーカイブ】真言密教の哲学 第2回(講師:亀山隆彦)[2020年6月3日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第5回(講師:師茂樹)[2020年5月20日]
※ この講義のレジュメと『成唯識論』の現代語試訳(第4回と同じもの)を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第4回(講師:師茂樹)[2020年4月29日]
※ この講義のレジュメと『成唯識論』の現代語試訳を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】真言密教の哲学 第1回(講師:亀山隆彦)[2020年5月27日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。
【講義アーカイブ】禁忌の仏教学:愛欲の比丘は釈尊の夢を見るか? 第1回 飲酒:へべれけの坊主に明日はあるか?(講師:大谷由香)[2020年5月7日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
釈尊がインドで仏教教団を作った時、出家者が一緒に暮らすためのルールとして律が作られました。大乗仏教が興った時、菩薩として生きるための指針として戒が立てられました。仏説である戒律は、仏説であるが故にその文言を変更することは許されません。
しかし全く違う文化・風土・習俗を持つ地域に広まった仏教教団が、インドの仏教教団と同じ生活を営むというのも難しい話です。人間としての営みと宗教上の理想との間に生じる葛藤の軌跡が、実は戒律を記す仏典の注釈書に痕跡として残っています。
この講義では、この注釈書に注目し、3つの観点から欲望と理想のせめぎ合いを学術的に追っていきます。
仏教徒はどう生きるべき?!という理想論ではなく、実際のところどこまで許されるのか、むしろ破戒のギリギリラインをいっしょに探っていきましょう。
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十回(中世編2)(講師:亀山隆彦)[2020年4月25日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】対話がつむぐ教理と実践 ―華厳宗の論義資料を読む―(講師:野呂靖)[2020年4月18日]
※ この講義のレジュメおよび資料編を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。当日配布した資料「画像篇」については、諸事情により公開できませんので、ご了承ください。
煩悩にとらわれた凡夫は華厳教理を理解できるか?―――
鎌倉初期の東大寺。平重衡(1157-1185)の南都焼討によって灰燼に帰した伽藍と教学の復興期に、華厳宗僧が盛んに行ったのが論義や談義などの対話型・問答型の修学でした。そこでは自らの成仏に至るプロセスに華厳教理がどのように関わるのかという実践的な問題が大きなトピックになっていました。彼らはそうした教理問答のなかで、教理を議論する営みそのものが華厳の修行論・成仏論に合致していること、善財童子などの『華厳経』の登場人物や中国華厳の祖師たちの歩みを「模倣」することによって確実な成仏への道が開けていることを、繰り返し確認していったのでした。その姿はあたかも兵火によって失われた「聖教」を、自らの実践のなかに取り込み、その教えの通りに生き直していくことこそ真の復興であると考えていたかのようです。
この講座では、そうした鎌倉期から南北朝期かけて作成された華厳の論義・談義資料のなかから、断惑義・浄土往生義・成仏義などに関するいくつかのトピックを紹介し、「教理を問答すること」そのものが中世の僧侶たちにとってどのような意味をもっていたのかを考える一助としたいと思います。
またその前提として、日本における華厳思想の流れについても歴史的にたどります。
華厳教理は平安時代以降、真言宗や天台宗の教理形成に大きな影響を与えつつ、常にそれらとの緊張関係のなかで議論が深められていきました。とくに空海(774-835)が示した即身成仏や法界観との差異をどのように示し、またそれを乗り越えていけるかは華厳宗側の大きな課題でした。
鎌倉期に入ると明恵(1173-1232)や宗性(1202-1278)、凝然(1240-1321)などの登場によって、遼や宋の華厳文献など東アジア各地の最新の情報が参照され、新たな展開をみせていきます。また南北朝・室町期には根来寺などの真言僧や律僧などによっても華厳文献が生み出されていくなど、修学の場がひろがっていきます。世阿弥(1363-1443)の娘婿である金春禅竹(1405-1471)と東大寺戒壇院長老志玉(1383-1463)との邂逅を介した能楽理論への導入などもこの時期にあたります。江戸期にはそうした中世後期の動向をうけつつ、とくに真言宗や浄土・浄土真宗系の学林を中心に教えが継承されていきます。
従来、鎌倉時代以降の華厳宗は衰退したと考えられてきましたが、近年、新たな資料の検出などによって、その見方は大きく変わりつつあります。そうした資料などもできるかぎり紹介しつつ進めていきます。ご参加の皆さまと議論できることを楽しみにしています。
習主席、雲岡石窟の保護を強調
山西省を視察している習近平中国共産党中央委員会総書記・国家主席・中央軍事委員会主席は、雲岡石窟を訪れ、歴史文化遺産の保護状況を実地調査した。
習主席は洞窟に入り、石像や壁画を詳しく見て、歴史と芸術スタイル、文物保護などの状況を細かく聞いた。
習主席は、雲岡石窟が中華文化の特色、中国と海外の文化交流の歴史を表している。これが人類文明の宝物であり、その保護を最重要視するうえで、研究及び活用を考えるべきだと強調した。
約1500年以上の歴史を持つ雲岡石窟は、主要洞窟45カ所、石像5万1000体以上があり、中国仏教石窟芸術を代表するものとして、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。敦煌の莫高窟、洛陽の龍門石窟と並べて中国の三大石窟と呼ばれている。
2019年8日、甘粛省敦煌を視察した習主席は、文化財の保護や研究、優れた歴史文化の発揚などについて視察した。
連続講義 現代美術と宗教思想 #4「古の教え、今の祈り」
現代美術と宗教思想のあるべき関係を問う、連続講義(レギュラー番組)です。
近代以降の美術は宗教を切り離し、自立を果たしたと言われてきました。近代美術の延長線上にある現代美術においても、宗教というテーマは実に厄介なものとして、時にはタブーのように避けられることすらあります。
しかし、美術史全体を見渡せば、宗教とまったく関係を持たない美術などほとんど存在しません。まして、特定の宗派やイデオロギー以前の「宗教的なもの」と美術を切り離すことは不可能でしょう。
現代社会では良かれ悪しかれ、実に多様な「宗教的なもの」が増殖しています。それと同時に、多くの実践者や研究者によって、宗教についての思想が展開しています。最先端の宗教研究や宗教思想の成果は、現代美術に対しても様々な問いを投げかけてくるはずです。
本講義では、レギュラーゲスト講師として宗教学の亀山隆彦さんをおまねきして、主に仏教思想の見地から、現代美術と宗教思想の関係性を探っていきます。
今回のゲストは、石田一裕さん(浄土宗総合研究所 研究員)になります。詳細については後日公開予定ですので、お楽しみに!
チベット仏教最大の祭典「ショトゥン祭り」、30日に開始
チベット自治区・ラサにあるデプン寺では、チベット仏教最大の祭典「ショトゥン祭(雪頓節)」が30日に幕を開けた。
チベットの人々や観光客、数万人が待っていたのは、年に一度開帳されるチベット仏画の「大タンカ」だ。長さ42m、幅40mの大きさを誇るタンカは、百人余りの僧侶によって運ばれ、斜面に設けられたタンカ台にセットされた。
法螺の音を背景に、巨大なタンカを覆っていたカバーが徐々に外されていく。タンカに向かって巡礼者たちが祈りと共に捧げているのは、祈りの護符「ルンタ」や聖なる絹スカーフ「カタ」だ。
デプン寺はチベット仏教ゲルク派の寺として、セラ寺やガンデン寺と共に「ラサ三大寺」のひとつとして、600年以上の歴史をもつ。
2006年に第一回国家級無形文化財リストに登録された「ショトゥン祭」、チベット語で「ショ」はヨーグルト「トゥン」は宴を意味し、ヨーグルトを食べる祭りとして受け継がれてきた。
「ショトゥン祭」は7日間にわたり、今年はタンカ開帳の他、チベット伝統芝居や、伝統的な馬術公演、またチベット将棋や民族衣装などの展示も行われる。
[Ambient] 寂音
本動画はBGMとして公共で流すことのできる音楽コンテンツです。 【[Ambient] 寂音:静けさを聴く、心安らぐアンビエント音楽の世界。無音以上の「寂」が立ち込める。ピアノとシンセサイザーの清涼な響きが空間に溶け込み、静寂の「場」/深く落ち着いた空気感を演出。非日常/透き通った時間が流れる究極のリラクゼーションサウンドです。マッサージ・岩盤浴・温泉等の癒し処の他、歴史資料館・骨董品店・仏教芸術等、時間の重み・日本美を感じさせる空間の演出に。瞑想や安眠のお供にもどうぞ。】
店舗・施設・イベント・ライブ配信等、公共の場所で・全世界で・インターネット上でBGMを流すことができます。niconicoチャンネル「ナッシュ音楽チャンネル」の月額課金300円で全ての音楽番組の再生が可能。
【1】商用にご活用いただけます国内外の店舗・施設・イベント会場等で流すことができます。著作権を取り巻く問題をシンプルに。私たちは著作権を取り巻く問題をシンプルに、「niconico月額課金=BGMの使用許諾」とします。
【2】著作権管理団体への支払いは不要著作権を含む楽曲の全権利を配信元である(株)ナッシュスタジオが自社で管理しているため、著作権管理団体(JASRAC・NexTone等)への申請手続きや使用料は一切不要です。音源のライセンス料はniconico月額課金に全て含まれています。
【3】ネット配信のBGMでも流せるライブ配信・動画共有SNSのBGMとして流すことができ、著作権絡みで起こりがちなトラブルを回避できます。その他、BGMが流れ込んだ動画もそのまま配信可能です。
【4】業務用音楽ライブラリをもっと身近に運営会社である(株)ナッシュスタジオは業務用音楽ライブラリ制作会社として1983年より35年以上に渡り放送局向けの背景音楽に特化した音楽・効果音を制作してきました。私たちの作品はいわゆるヒット曲とは違います。様々な用途の「使いやすさ」を追求した曲構成や音作り。業務用ならではの特殊な分類、キーワード、タグ。音楽ライブラリだからこそできる創造的な作品の集大成としてコンセプトに沿ったこだわり選曲の"音楽番組"というカタチを作りました。
【5】ユニークな音世界 = 音楽番組というカタチNASH MUSIC LIBRARYの 27,000作品(2019年7月現在)の中から、多様なシチュエーションに合わせ選曲した楽曲や効果音をピックアップし音楽番組を作っています。ライブラリを知り尽くした制作スタッフ自らが選曲・構成することにより、ユニークな音世界を提案します。今後も新しい音世界を作り続けていきますのでコンテンツ数は増えていきます。
【運営会社】株式会社ナッシュスタジオ 〒530-0047 大阪市北区西天満5-11-1 パークサイドカワイビル [email protected] ナッシュ音楽チャンネルWEBSITE:https://nashmusic.jp/
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1000年以上の歴史もある「チベット紙」製紙技術を守る
1000年以上の歴史もある「チベット紙」は、何世代にもわたって受け継がれている手漉紙であり、丈夫で風趣がある。しかし現在、製紙技術の失伝の危機に瀕している。
チベット紙は、チベット高地に育つ有毒植物のトリカブトの根の繊維をおもな原料として、手づくりの紙で、強さ・魅力的な質感・耐久性・防虫性などから高い評価を受けており、千年たっても腐らないと言われている。チベットの僧院では、金属の彫像や絵巻物、仏教の経典に使われてきた。今では、1枚約1500円で、自然素材100%の、世界を見渡してもなかなかみつからない貴重な紙だ。
中国国家文化観光部は去年、貧困支援の一貫としてカルチャー産業で伝統手工芸の振興をはかるため、ニェモ県を拠点にしているチベット香の製造、タルチョー(五色の祈祷旗)、普松郷の彫刻、雪拉村の紙など多くの伝統工芸を無形文化遺産に指定し、現地で就業工房の設立支援を始めた。
【無料】住倉カオスの怪談★語ルシス(13)
【無料】恐怖の連鎖怪談第13弾!怪異を語り、恐怖を紡ぐ話芸『怪談』。一人が語った怪談が脳を刺激して、別の人間の記憶が蘇る。 そんな怪異の連鎖反応とも呼べる怪談会へようこそ!超常現象研究家の「住倉カオス」を始め、“稲川淳二”唯一の継承者 「怪談家ぁみ」。怪談とDJの二刀流「DJ響」。自身も数多くの心霊体験を持つ、なにわの怪談師「ハニートラップ梅木」。怪談と仏教説法を融合した「怪談説法」で全国を行脚する怪談和尚「三木大雲」◆今宵は「生と死」「念」にまつわる怪談をお届けします!☆本編が気になったら、即入会!チャンネル会員ならすべての作品が見放題!さらに、継続入会で月額会費1ケ月無料!毎月新作更新中!
宮崎哲弥×村山正司「宮崎哲弥著 『仏教論争──「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)刊行記念イベント」【2018/5/22収録】 @MuraShoji
【イベント概要】「縁起」。日常会話でもよく使われる、なじみ深い言葉だが、仏教2500年の歴史の始点に位置する重要概念でもある。しかし「これが縁起だ」という定説は仏教全体としては存在しない。縁起をめぐる論争において、論者達が陥った罠とは?宮崎哲弥の新著『仏教論争』(ちくま新書)は、和辻哲郎、三枝充悳といった知識人・仏教学者たちの論争を取り上げ、仏教のみならず日本近代思想史をも射程に収めた渾身の力作である。この新著をもとに、いまあらためて「縁起」とはなにか、そして「仏教」とはなにかを、論壇記者四半世紀の村山正司朝日新聞編集委員とともに語る。▼▼▼ 宮崎哲弥さんからメッセージをいただきました!! ▼▼▼新著『仏教論争』では、いままで忘れられがちだった、仏教をめぐる知識人たちの論争を俎上に載せています。その論争が仏教という普遍宗教を主題としながら、各々の観点に時代相が否応なく反映してしまう相状を検証し、いまも決して解消したとはいい難い、外来思想や伝統思想の解釈と導入の困難性を浮かび上がらせたつもりです。和辻哲郎、宇井伯寿、木村泰賢などヨーロッパの先進思潮に精通した論者たちが、それを仏教の解釈、再解釈に生かそうとしたとき、いかに創見を得、いかに誤ったかを確認することは、仏教者、仏教学者はもちろん、日本近代思想史や現代思想に関心を持つ人々にも何程か示唆するところがあると思います。対話の相手を務めてくれるのは朝日新聞編集委員の村山正司さん。知る人ぞ知る、この20年の文化・思想トレンドの仕掛け人です。(宮崎哲弥)
【南モンゴル草原の風 #21】嘘にまみれた中国「バイリンガル教育」の実態/南モンゴルの西郷さん~英雄バボージャブ将軍慰霊祭[桜H30/12/16]
「南モンゴル草原の風」は、中国共産党により民族浄化の危機にある南モンゴルの現状やニュース・文化・歴史等を多言語でご紹介する番組です。
Анхны дугаартаа"Өмнөд Монголын Их Хуралдай" болон хуралдайн Тайван дахь ажилгааг танйлцуулах болно
キャスター:
オルホノド・ダイチン(世界南モンゴル会議[南モンゴルクリルタイ]幹事長)
古川フミエイツ(シンガー)
三浦小太郎(評論家)
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【日いづる国より】田中英道、「家」に見る神仏習合の原理[桜H29/11/17]
日本の伝統と文化を尊重し、真に国益を考える数多くの志士達が、自らが国政に臨むことで日本再生に懸けようと奮起している。その志と問題提起を、じっくりとお聞きしていく対談番組。偉大な作曲家にして真の愛国者・すぎやまこういちによるプロデュースでお送りします。
司会:中山恭子(参議院議員)
ゲスト:田中英道(東北大学名誉教授)
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ワールドフールニュース PART Ⅱ 第5話~第6話 薄井さん、犬の手を借りる日!?/古代の国からこんにちは!?
第5話:風邪が大流行りの「ワールドフールニュース」スタッフ。すでに何人かはお休みで、スタッフの配置にも苦しむ始末。なんと、プロデューサーの薄井までが現場に駆り出されている。出勤しているスタッフも体調はかなり悪そうで、番組中に予想もしないアクシデントが起きていく。そんな中テレビマンとしての意地を見せ、一人獅子奮迅の活躍をする薄井だった・・・。/第6話:どこかで見たように始まった「ワールドフールニュース」。だが、そこは古墳時代だった。ニュースは埴輪をめぐるものや、新しい教え「仏教」のために起こったニュースなどなど。この時代にもすごい赤ちゃんはいた。馬小屋で生まれて、同時に何人もの話を聞き分けられるということで、どこかで聞いたことのある人なのか。占いのコーナーもあり、今日の運勢を占い人々に伝えているという。いつの時代も変わらないのか!
高橋一太郎:野田博史/下平加奈江:萩原鈴/薄井孝仁:ラブ守永/丸山大祐:ムラヤマ・J・サーシ/本庄美貴:佐藤未帆
監督:マシモユウ/脚本:吹原幸太/ニシオカ・ト・ニール/冨坂友/音楽:山口由馬/音響監督:山田陽/効果:鋤柄務
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ねこねこ日本史 第2期 第39話・第40話 反逆のコレクター、平将門/それいけ、遣唐使!
第39話:平安時代中期、武士集団のリーダーだった平将門(たいらのまさかど)は、父から都に行って官位をもらってくるように言われる。官位の意味が分からない将門がとりあえず都に行ったところ、缶入(カンイ)りメシをもらえて大喜び。ところが国に戻ると父は既に亡くなり、叔父に国を乗っ取られてしまっていた。将門は土地をめぐる猫同士の争いに勝利し、支配者の印である国印を集めてコンプリートすることを目指す!第40話:奈良時代、日本は唐に遣唐使(けんとうし)を送り様々な文化を取り入れていた。その頃、仏教の世界ではお坊さんのルールを正しく理解している猫がおらず、立派なお坊さんを唐から連れてこようということになった。すさまじい説得のすえに鑑真(がんじん)に来てもらえることになったのだが、ただでさえ水嫌いの猫にとっては船に乗るのも一苦労。果たして日本に連れてくることはできるのだろうか?!
出演:山寺宏一、小林ゆう
原作:そにしけんじ/プロデューサー:山田 周、吉國 勲/監督:河村 友宏/シリーズ構成・脚本:清水 匡/脚本:平林佐和子/キャラクターデザイン:河村 友宏、西川 智英美
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Peeping Life - WORLD HISTORY - #25-#28 パパとママのお受験戦争/初めてのFAX送信/邪馬台国の雨乞いの儀式/仏教伝来
時は西暦1990年。場所は日本。息子の小学校受験が近付き、両親揃っての面接を迎えた日。前日まで万全のシミュレーションをしてきた二人なのだが…/時は西暦1980年。場所は日本。初めて会社にファクシミリがやってきた日。会社の先輩と後輩は、早速、取引先に請求書を送ろうとすると…/時は西暦240年。場所は日本。邪馬台国では、干ばつで不作が続いている。女王・卑弥呼に、民が、雨乞いの祈祷をお願いしようとするのだが…/時は西暦530年。場所は日本。海を経て、仏教が中国そして韓国を通して日本へ伝来した。ところが全く言葉が通じない。お互いは互いを理解できるのだろうか…
監督:森りょういち/アニメーション:株式会社FOREST Hunting One 諌山 裕大、鮫島 瑞季、星邑 タツヤ、森 りょういち、中村 弘毅、櫛来 禎、中原 真美、岡田 梨沙、山成 友恵、豊島 早希、甲斐 直之/撮影・編集:諌山 裕大/ラインマネージャー:鮫島 瑞季
so31946145←前話|次話→so31946147 第一話→so31946137
火の鳥 太陽編 その三
天智大王が崩御し、天智の子・大友皇子が皇位を継承する。七人衆に傷を負わされた犬上だったが、オババの看病により回復する。しかし、朝廷に抗った罪で投獄されてしまう。将軍・韓国の計らいで大友皇子との面会を果たした犬上は、大海人皇子に産土神の擁護を訴えたが、大友皇子は仏教の必要性を説いた。一方、猿田は大海人皇子の部下として挙兵の準備を進めていた。犬上は猿田と再会し、大海人皇子の子・高市皇子と共に大津京を脱出する。
火の鳥 太陽編 その二
犬上と名を変え、犬上の里の郷長となったハリマ。平穏な里であったが、土地神を放逐し仏教を国家宗教に据えようとする朝廷の圧力は増すばかりだった。そんな折、土地神を祀った磐座が国司の部下によって引き倒されそうになり、犬上は決死の抵抗によりこれを阻んだ。このことで犬上と朝廷の対立は決定的となる。犬上は天智大王の弟・大海人皇子に産土神を擁護するよう懇願するべく、大津京へ向かう。道中、犬上を仏敵とする七人衆に襲われてしまうが、狗族の娘・マリモに助けられる。
懺・さよなら絶望先生 第五話「過多たたき」「アーとウルーとビィの冒険」「ライ麦畑で見逃して」
「過多たたき」
「涙の卒業式」というアオリ文句があると、逆に泣けなくなると苦言を呈するあびる。過剰な肩書き=「過多書き」は、メディアが生んだ徒花だと批判する。
脚本:(有)シャフト コンテ:龍輪直征 演出:所俊克 作画監督:小林一三
「アーとウルーとビィの冒険」
元日に調整された「うるう秒」のせいで気分が晴れないと言う千里。しかし望によれば、我々の中にも、いつの間にか増えている「うるう人」が数多く存在するという。
脚本:(有)シャフト コンテ:龍輪直征 演出:所俊克 作画監督:中村直人,潮月一也
「ライ麦畑で見逃して」
影武者の一件以来、あびるにつきまとわれている望は、仏教の「放生会」にちなんで見逃してほしいと頼む。すると可符香は、見逃してあげる優しさこそ、日本人のライフスタイルだとし、「スルーライフ」を提唱する。
脚本:(有)シャフト コンテ:龍輪直征 演出:龍輪直征 作画監督:近藤一英
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第四話 watch/1477355962
第六話 watch/1477356632
ブッダクラス buddha class 序章④
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