キーワード 国常立尊 が含まれる動画 : 13 件中 1 - 13 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
日月神示の予言は人によって解釈が違う?噂の2025年7月に何が起きるの?
読めば恐ろしい事しか記されていない日月神示...
どうやってもこうなってしまうのだろうか?
世界情勢を見ているとそんな方向に進んでいるのも事実。
魂の抜けた者たちへのただの戒めであって欲しいですが...
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか
出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第38回・霊界物語(その①)
大本教では、第一次大本弾圧事件までは、大本教の開祖・出口なおが自らに憑依した艮の金神からのメッセージとしてすべてひらがなで書かれたお筆先と言われる自動書記の書が「大本神諭」として大本の教典となっていたが、大正10年1921年の大本弾圧事件の時にそのなおのお筆書きはすべて警察に没収された上、焼却されてしまい、しかも禁書となってしまった。
当時、お筆先の写しも無く、ましてや出版もしてなかった為、大本神諭とされた原本のお筆書きはそのほとんどが失われてしまった。
そして、この大本神諭に続いて第二の教典となったのが、第一次大本事件直後から出口王仁三郎によって著述されたのが「霊界物語」である。
霊界物語は、王仁三郎が瞑想しながら語る物語を40人以上の弟子たちが書き取っていくという大変な作業を通じて形成されて行った。
その中には、後に生長の家を創設した谷口雅春も含まれていた。
霊界物語は、第一次大本弾圧事件のあった1921年から5年間と、その後、7年間の中断を経て昭和8年1933年から約1年間のトータルで6年間の月日を経て書かれ、全部で81巻・83冊の超長編物語となった。
その中には、王仁三郎自身が修行時代に亀岡の高熊山の瞑想修行の中で見て来た霊界の姿や、国祖クニトコタチによる宇宙創造や地球の修理固成、つまり、大地や海、川、そして樹木や人や動物が生成される様が描かれ、さらに霊界物語では、彼がその後の瞑想の中で見て来た霊界の歴史を語っている。
王仁三郎によれば、我々が住んでる世界は顕界と言われ、霊界とは、顕界と姿は異なるが、神や神人の住む世界で、言わば顕界のパラレルワールドとでも言える世界で、霊界で起きた事は比喩的に顕界で起き、さらに大本で起きた事は世界で起きる、という世界雛形論がその格子にある。
ストーリーの一貫したテーマは、正義が悪をくじくとき、けっして暴力を用いてはならず、あくまで悪人に諭すことで改心させよ、と言うもので、このパターンのショートストーリーが延々と語られている。
荒唐無稽な話の連続ではあるが、そこには、王仁三郎が一貫して追求した万教同根と世界愛善の精神が貫かれており、人類皆兄弟のようなキリスト教的博愛主義が感じられる。
結果的に見ると、ユダヤ教やキリスト教の世界観の中に日本の古事記神話を組み込もうという図式さえ垣間見えたりするのである。
しかし、この霊界物語は、その後大本を離れて独立宗派を形成した神道系カルト教団全体に大きな影響を与えることになったのである。
prep28
出口王仁三郎は、1871年(明治4年)8月27日(旧暦7月12日)、現在の京都府亀岡市穴太に、農業を営む上田家五男三女の長男上田 喜三郎として生まれた。
近所ではその聡明さから直感力や理解力に優れた人を意味する「八つ耳」の神童と言われていたが、13歳の時に通学する僧侶の小学校教師と喧嘩沙汰となり退学となったが、その学識と聡明さを校長に見込まれ、異例の処置として13歳にして代用教員として採用された。しかし、2年後、正式な小学校教員が赴任してきた為に辞職し、豪農の家に奉公して働くこととなった。
23歳のころからは、園部の牧場で働きながら獣医を目指すが不合格となり、京都府巡査試験に合格するも拒否し、明治時代の若者として立身出世を目指す喜三郎は、マンガン鉱の探鉱やラムネ製造など幾つかの事業を始めるがいずれも失敗に終わった。
ところが、26歳になると独立して「穴太精乳館 上田牧牛場」を開業、搾乳・牛乳販売業を始めて成功を収めた。その頃、園部の南陽寺に滞在していた国学者・岡田惟平から古事記・日本書紀の国学的解釈と和歌を学び、次第に宗教に目覚めて行った。
しかし、弟の由松が賭博にのめり込むと、王仁三郎はその賭博場に出入りし、賭場で頻繁に喧嘩をするようになり、最後は襲撃されて頭部に大怪我を負い、祖母から厳しく叱咤され、深い悔悟の念に駆られていたところ、初めての神憑りに遭い、王仁三郎に取り憑いた松岡芙蓉という仙人に、近所の高熊山で修行するよう指示された。
穴太の高熊山で7日間の飲まず食わずの洞窟での瞑想修行の中で、王仁三郎は、初めて幽界の世界に入り込み、そこで見たものは、三途の川の前で閻魔大王の沙汰を待つ死者の列、そして三途の川で溺れる死者たちを助け、さらに高天原にて国常立尊の下で形成される宇宙創成の歴史や、地球、人類創成の歴史を見せられた上で、国常立尊より地球再生のためのメシアになるよう命ぜられた。
この荒唐無稽とも言える体験は、そのあと、綾部の地で艮の金神からの神託を得た出口なおとの出会いや、彼女とともに大本教を築いて行く上で重要な霊体験となったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴
大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜
江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
【神道シリーズ】第74回・八百万の神㉔岩木山三所権現(天台と真言の確執の中で発展した岩木山信仰)
青森県津軽地方の「津軽富士」と呼ばれる岩木山(いわきさん)の特徴は、他の山岳信仰でほぼ例外なく伝わる「役小角による開山説」の伝承が無いことで、代わりに薬師如来の垂迹とされた大元尊(大己貴神)による開山が伝えられ、以後、岩木山と両隣の岩鬼山(がんきさん)と鳥海山(ちょうかいさん)が、それぞれ十一面観音の垂迹の多都比姫(宗像三女神)、阿弥陀如来の垂迹とされる国常立尊で構成される「岩木山三所大権現」が信仰の中心となってきました。
この岩木山三所権現は、天台宗の聖護院が自ら形成した熊野三所権現や白山三所権現と同じパターンで、さらに天台宗比叡山の山王三聖の中心の大己貴神=釈迦如来の化身を本地仏を薬師如来に変えて持ち込み、これも白山三所権現や英彦山三所権現(いずれも天台系)と同じパターンで、「大己貴神(釈迦か薬師か阿弥陀の化身)が地元の竜女神と結婚した」パターンが採られています。
こうしても見ても、岩木山信仰のほとんどは天台両派(比叡山と聖護院)によって形成されたと言っても過言ではありません。
岩木山信仰は①岩木山三所権現を中心に、室町時代から江戸時代にかけて、②坂上田村麻呂=毘沙門天(多聞天=北斗七星=妙見)信仰③深沙(じんじゃ)大権現<大般若経守護神の一つ>の猿賀(岩木山の麓)④安寿姫と厨子王丸(仏教の説教話「さんせう太夫」の登場人物)から来る安寿姫=岩城大権現信仰の4つの柱からなっていますが、いずれも天台宗の影響が大きいのが窺われます。
明治の神仏分離令で、信仰の中心の百沢寺(ひゃくたいじ)は政府により強制的に神社に改編され(岩木山神社)、多くの僧房は破壊されましたが、今でも上記の四要素は昔と変わらず、山伏が中心となる祭祀が行われています。
【衝撃】Windowsより凄かった日本産OSの実力!世界標準になり得た日本産OSトロン!誰が何のために潰したのか!【ぞくぞく】【ゾクゾク】【祝令和元年】 [720p][video+audio]
日航機123墜落事件、搭乗していた大勢のトロンOSのプログラマーを火炎放射器で暗殺した自衛隊員。黒幕とされるソフトバンクの孫正義、防衛省&中曽根首相、昭和天皇&ロスチャイルド(アメリカを牛耳る存在)、イギリスのFRB(アメリカを牛耳る存在)などがかなり怪しいとされています。
カミナリの「たくみにまなぶ」〜そういえば茨城ばっかだな〜『日立市(御岩神社)』(令和1年7月5日放送) 略して『カミいば』
いばらき大使「カミナリ」の二人が,県内の観光スポット等を巡りながら茨城の匠を目指して魅力を学びながら発信していきます。
今回訪れたのは日立市。常陸国最古の霊山、御岩山の麓に鎮座する「御岩神社」は茨城百景のひとつ。高い木々が空を覆い隠すほど立ち並ぶその荘厳とした雰囲気に圧倒されます。少し歩くと、推定樹齢600年の御神木「三本杉」もお目見え。更に奥へ進むと、御岩神社の社殿がその威厳をもって佇んでいます。
国常立尊、伊邪那美命、大國主命など26柱、御岩山全体では188柱の神々が祀られている人気の参拝スポットに足を運んでみてはいかがでしょう。
〈御岩神社〉
http://www.oiwajinja.jp/
〈日立観光物産協会〉
http://www.kankou-hitachi.jp/
ひふみ神示と天皇家 (37分)
ひふみ神示は神典研究家で画家でもあった岡本天明、1897年(明治30年)12月4日 1963年(昭和38年)4月7日に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示、神典である。
以上ウィキペディア(Wikipedia)より
神示を読むと日本独自の文化は、神様からの道(おしえ)により広められた祀りごと(言葉・生活様式・物事の考え方(大和魂))として理解できるのではないかと思います。
神示の中では宗教ではなく道として広めよ、宗教にしてしまうと、この道を下級のものにしてしまう…と言われております。
高画質版http://zoome.jp/materas/diary/3/
参考URL
ひふみ神示・日月神示
http://123.mikosi.com/
http://13.pro.tok2.com/~space-age/sunmoon/index.htm
木花咲耶姫様からの神示
http://696.kibanamano.net/