キーワード 後北条氏 が含まれる動画 : 49 件中 1 - 32 件目
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組曲『後北条五代』
gdgd動画。 心が折れて中途半端ながらうp。 ご当地の関東ですら影が薄いとされる後北条氏メインで作ってみました。 一部画像反転してたりします。 定説あまり重視せずに作成。 誤りもあるかも知れませんあります。 名称並ぶ箇所は北条と関係の深い順で。 拙い説明文ですが、一時停止かけて見てもらえたら幸いです。 そのうち改訂版あげ…られたらいいなぁ・・・。 ■他のgdgd動画→mylist/2900826 ■追記:温かいコメや補足コメを有り難うございます。長ったらしい説明をじっくり読んでくれた方もいらしたようで、感謝の涙でうp主は前がよく見えません。 ■【訂正】字抜け:応仁の「乱」 誤字:×確率→確立 ■某戦国ブラゲ某鯖の某北条同盟の同盟歌(候補)にしていただけた(sm13920535)とか。有り難い事です。
慧音先生の歴史講座 後北条氏③【落日編】
すでに北条氏政を扱っている動画があるので、そことは別の角度で解説したいと思います
歴史上の人物や出来事には諸説あります
前回:nm30870478
GHK教育講座:mylist/57630206
慧音先生の歴史講座 後北条氏①【黎明編】
初回は初代の北条早雲(伊勢新九郎)と二代目の北条氏綱です
歴史上の人物や出来事には諸説あります
次回:nm30870478
GHK教育講座:mylist/57630206
慧音先生の歴史講座 後北条氏②【飛翔編】
今回は三代目、相模の獅子こと北条氏康です
歴史上の人物、出来事には諸説あります
前回:nm30844423 次回:nm30893919
GHK教育講座:mylist/57630206
組曲『後北条五代』feat.初音ミク
戦国ixa1+2鯖北条国のとある同盟のテーマ曲(候補)です。音小さくないですか?今回はこのくらいでご勘弁。元ネタに感謝。sm2045168
【信長の野望・革新】ダメ君主の野望 第六三話「北条家涙目の巻」
氏康「蝦夷地のお魚、とっても美味しいです♪」
後北条氏当主、北条氏康は徳山館で舌鼓を打っていた。町を荒らしていた軍も引き上げ、蝦夷地にはまた平和が戻る。
そう、彼が望んでやまなかった平和が、遂に訪れたのだ。
二大勢力の決戦に参加出来ない武将全員で、野球拳に興じながら……。
第六十四話⇒sm4819356
一覧⇒mylist/6000239
【戦国大戦】気まぐれにデッキ変えつつ戦国【第379回:長槍の集陣】
吹き荒べ!五色の風よッッ!!
関東王北条氏康(→sm20773770)の孫にして、北条第五代当主:北条氏直(→sm19731859)の養子:北条氏盛。
父は氏康の子である北条氏規。氏盛と氏直は義理の親子関係であるが、本来は従兄弟の関係に当たる。
小田原攻めの後に実父氏規や義父氏直と共に高野山に入るが、氏直は病死。北条嫡流は途絶えた。
後に罪を許され、続く関ヶ原の戦いでは東軍に属した。父:氏規の死後はその遺領を受け取り1万1千石の大名となり、河内狭山藩(大阪の辺り)の初代藩主となった。
彼自身は31歳の若さでこの世を去るが、後北条氏として北条家の名跡を、五色の風を、狭山藩藩主として明治維新まで繋いでいった。
長兄の戦国大戦:mylist/33256677
【ホラー心霊スポット】東京都八王子城跡
16世紀、当時の武蔵国(現:東京都八王子市元八王子町)には
小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の三男、
北条氏照が築いた八王子城がありました。
しかし1590年小田原征伐の一環として
上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められ、
1000人以上の死傷者を出し、落城しました。
今回はそんな八王子城の歴史を
城跡の映像とともに見ていきましょう。
動画内の説明文は
心霊スポット写真館様
およびWikipediaの記事を参考にしました。
ユーザー記者動画⇒mylist/49023408
Twitter→https://twitter.com/superUFOcatcher
追記2018年2月9日:この場所で幽霊とハンドスピナーを遊びました。sm31843184
【ふるき郭】武蔵国深大寺城 平成25年(2013) 夏
2013年の8月、東京都調布市にある深大寺城を訪れました。
天文六年(1537)年春に、扇谷上杉朝定によって再興され、
南の後北条氏への備えとして家臣の難波田弾正が配されていましたが、
同年夏、後北条氏によって河越城が落城した為、
難波田弾正は城を打ち捨て撤退。そのまま廃城となり、後北条氏の改修のない
扇谷上杉氏の中世城郭の特徴を伝える貴重な城跡となっています。
漫画『東京城址女子高生』の第3話の舞台でもあります。
※タグの追加と沢山のコメントありがとうございます(__)
お城→mylist/37297571
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第50回:関東管領職譲渡】
この戦場で最も自由な者こそが大将なのじゃ!
山内上杉家15代当主:上杉憲政。
今日においての歴史研究においてもあまり良い結果を残していたとは言えず
上杉家の当主であるにも関わらず戦国大戦でも英傑大戦でも1コスであることから
セガ内での評価も推して知ることが出来るというべきか....?
この評価を決定付けたものは、台頭してきた相模の雄である後北条氏との決戦にある。
扇谷上杉家を中心として関東管領の山内上杉家(上杉憲政)にその他関東諸大名連合軍は
約8万の大軍をもって北条氏の河越城を包囲した(※)
この圧倒的優位な戦いであるにも関わらず、戦い前から戦勝気分であった連合軍側は
北条氏康と北条氏綱らの決死の夜戦敢行によって大敗を喫し
扇谷上杉家の当主:上杉朝定は討ち取られ(諸説あり。この戦いでは死んでいないとする説もある)
山内上杉家の上杉憲政は敗走後に急速に勢力を縮小させていった。
進退窮まった上杉憲政はこの頃台頭してきた戦上手である長尾家の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り
彼を山内上杉家の養子にして関東管領職を譲渡。これが「上杉謙信」の誕生へと繋がる。
謙信が没した後の跡目争い[御館の乱]では景虎側を支持。
景虎側が劣勢になると景勝との調停に向かおうとしたが、その途中で景勝方の刺客によって討ち取られた。
※この時の河越城の守備兵3000と救援兵合わせて約1万。
戦力差が約8倍に及んだことが開幕台詞「我が兵力は敵の八倍じゃ~♪」の元となっている。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第75回:常闇の奇襲/暗殺の太刀】
風魔の力、ここに解放しよう・・!
斬って斬って斬りまくってやる!!
相模国乱波(忍・スパイ・傭兵)を生業とした風魔一族の頭領:風魔小太郎。
(その名は「服部半蔵」等と同じく一族の長が取る襲名制のもの)
後北条氏に仕えて各地でのスパイ行動を行ったとされるが
北条氏が滅んだ後は賊へと身を落として、徳川の関東転封後に捕まり処刑されたという。
新選組隊士にして諸士調役兼監察:大石鍬次郎。
一橋家の近習番衆の子であったが出奔。隊士募集をしていた新選組に加入した。
新撰組を離脱した御陵衛士盟主:伊東甲子太郎を暗殺の実行犯であるとも伝わる。
鳥羽伏見で敗れた後にしばらくして捕縛。
新政府側に所属していた元:御陵衛士の加納鷲雄にも当然ながら恨まれていたこともあり
甲子太郎暗殺の容疑で斬首刑となった。
大河ドラマ「新選組!」では、解決した事柄であるにも関わらず敵と見なした人物を斬り殺し
事態を悪化させるトラブルメーカーとしての哀れな役回りに定評がある人物である。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
小田原ユカイ歌ってみた by104
今日はどんどんうpしちゃうからねー。104です。←今日からそう名乗っています。ぷれみあむ会員になっちゃったよ! うへへ!▼
一年くらい前からいつか歌ってやるぜと野望に燃えていた曲をついに(勝手に)歌わせていただきました。▼
そんな私は小田原の隣に住んでおります。高校時代は小田原在学でした。動画の中にちょくちょく宣伝文を紛れ込ませておきました。▼
小田原にお寄りの際は隣の市にもお立ち寄り頂けると地域活性化に繋がって(中略)うち観光客少ないんで嬉しいです。▼
恒例一発録り・音痴・リズム感無し・歌詞まつがい・滑舌悪いですよ。▼
渋いお声の本家様はこちら → sm1258806 自分もこんな声に生まれていたらなあ…低音憧れ。▼
まいりすー。 → mylist/8449210
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第82回:獅子の覇道】
獅子の進軍からは逃れられぬ。さぁ、進めッ!
伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)の嫡男にして北条五代の第二代目当主:北条氏綱。
初め伊勢氏を名乗っていたが、北条家を名乗った最初の当主である。
鎌倉時代の執権を務めた北条氏と区別するために後北条氏と称される。
(これは関東鎌倉の地で長く執権として治世を行った北条家を名乗った方が源氏恩顧の
坂東武者及び坂東の民の信を得やすく、関東を治める正当性を主張するために氏綱の代で改姓したもの)
初代:早雲、三代目相模の獅子:氏康、最大版図を完成させた四代目:氏政、最後の当主:氏直。
それぞれに比べると後世に残る見せ場たる主戦場が少ないので地味な二代目と認識されがちだが
徳川家の第二代将軍である秀忠と同様に、二代目として統治基盤の確立に尽力した名主である。
この氏綱の代に確立させた北条家の内政統治方法は後に関東へ移った徳川家康が模倣したとされる。
戦国大戦では最大でもR止まりであったものの「効果は地味だが確実に優秀」なカードであり
まさしく彼のイメージと功績を表現するかのような計略だった。
英傑大戦ではとうとうSRとしての登場となった。
(現在北条家当主は第2~4代目まで全員SR。歴代当主陣と肩を並べる形となった)
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【ボイスロイド雑学】ボイロたちによるら~めん雑学 その16
この動画は、ボイスロイドによるラーメンについての雑学動画で、今回の動画は後北条氏ゆかりの神奈川県小田原市で誕生したラーメン、小田原タンタン麺の解説、紹介動画になります。
なお、今回の進行(解説)役ボイロは、琴葉茜と葵の姉妹二人となります。
2022/03/08 タイトルに誤りがあったため、サムネイル画像を差し替えました。
【紹介したラーメン店】
中華 四川:神奈川県小田原市上曽我173-1
元祖 勝浦式担々麺 江ざわ:千葉県勝浦市白井久保296-8
元祖 ニュータンタンメン本舗 京町店:川崎市川崎区京町1-18-7
玄や:神奈川県南足柄市中沼578-1
【参考サイト】
Wikipedia-ラーメン、小田原系担々麺、中華四川
ラーメンデータベース https://ramendb.supleks.jp/
新横浜ラーメン博物館 公式サイト https://www.raumen.co.jp/
小田原タンタン麺公式ホームページ-小田原タンタン麺 中華四川 https://shisenodawara.jimdofree.com/
【使用素材サイト】
ニコニコ静画 https://seiga.nicovideo.jp/
ボイスロイド立ち絵:ふにちか様 user/1399358
akihiyo様 user/20132633
blueberry様 user/1584023
MtU様 user/12128756
いいねボイスロイド:nakatomi様 user/92846724
ニコニ・コモンズ https://commons.nicovideo.jp/materials/
DOVA-SYNDROME様 https://dova-s.jp/
いらすとや様 http://irasutoya.blogspot.com/
寄居北条まつり
1590年に起きた合戦。豊臣秀吉の小田原攻めの際、鉢形城に陣取った郷土の武将北條氏邦は、5万の豊臣勢を相手にわずか3500人の兵力で1カ月あまり攻防戦を続けたという。 このイベントは寄居町の荒川河川敷で再現したものである。
【大構】武蔵国岩槻城 令和元年(2019) 初秋
2019年の8月、埼玉県さいたま市にある岩槻城址を訪れました。
築城年代についてははっきりしませんが、長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝とその家臣太田道真・太田道灌父子により築城されたとされているようです。
戦国時代に後北条氏が武蔵に侵攻してくると、岩槻城主・太田資正はここを拠点に後北条氏に対抗しました。
後に後北条氏が城に入り、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、今も残る新曲輪や鍛冶曲輪が造られたようで、後北条氏の築城技術の名残を確認することができます。
江戸時代には徳川家の譜代大名が城主を務め、城の大構(惣構え)は周囲8kmにも及ぶ広大な城郭となりました。
明治になり廃城となり、本丸・二ノ丸・三ノ丸等の主要な曲輪は開発され消滅しましたが、新曲輪と鍛冶曲輪が比較的良く残っており、岩槻城址公園として整備され、土塁や堀跡等の遺構を確認することができます。
※aaaaaa殿・霞舞伎殿・こぱすてっく殿・JT殿、広告ありがとさんでござんす♡
道灌堀のある江戸城 → sm34363339
お城 → mylist/37297571
【信長の野望・天道PK】北条父子の教練 巻之五『集落を奪うべし』【チュートリアル 字幕実況動画】
≪あらすじ≫
1580年(天正8年)、最大勢力を実現した北条氏政は隠居し、嫡男-氏直に家督を譲った。
わずか18歳の氏直を次代の覇者にするべく、意気揚々と教練に出向くが…。
『天道PK』の字幕実況を用意している合間に、ニコ動にはあまりない『チュートリアル』のプレイ字幕実況をアップしていきます。チュートリアルをアップ後は、字幕実況やイベント集などを作っていきたいところです。
今回はチュートリアル巻之五『集落を奪うべし』です。
武者震いがするのう!!
【追記】
一部音声がぶつぶつ途切れる部分があります。ご注意下さい。
前→sm36901393
次→sm36972744
シリーズマイリスト series/123251
箕輪城
群馬県高崎市箕郷町に残る箕輪城です。
箕輪城は高崎城が築城されるまで西上州の要衝として機能していました。
城主も長野氏→武田氏→織田氏→後北条氏→徳川氏と一線級で、都度改築されていった箇所などを想像しながら散策するのも楽しいかもしれません。
発掘調査も行われているので資料も多いですしね。
訪城時期:2011年11月
【指定文化財:国の史跡】
マイリスト→mylist/24894884
【巨麗】相模国小田原城 平成27年(2015) 初春
2015年の2月上旬、神奈川県小田原市にある小田原城を訪れました。
築城時期ははっきりしませんが、15世紀初頭に大森氏が築いたとされ、
北条早雲が入城後、二代目氏綱より後北条氏の本城として関東進出の拠点となりました。
永禄4年(1561)に長尾景虎(上杉謙信)、永禄12年(1569)に武田信玄の侵攻を受けますが、
北条氏康・氏政父子は籠城策によりこれらを退けました。
その後、三の丸の外郭を拡張し、大外郭(総構)は全周約9kmと戦国屈指の巨城となりました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の20万とも言われる軍勢の前に北条氏直は降伏し、
江戸時代には大久保忠隣、稲葉正勝・正則等が普請し、近世城郭となり、現在の小田原城の原形ができあがりました。
明治を迎え廃城となりました。
お城→mylist/37297571
興国寺城【静岡県沼津市】
北条早雲が始めて拠点にした場所であり、ここから後北条氏の歴史が始まったといっても過言ではないお城が興国寺城です。
江戸時代の初期、徳川家臣・天野康景の放逐によって興国寺城は廃城になりました。それからかれこれ400年以上経過していますが、本丸に残る巨大な土塁は見事の一言です。
訪城時期:2013年6月
【指定文化財:国史跡】
ブログ:http://jp-castles.cocolog-nifty.com/blog/
マイリスト→mylist/24894884
伊豆・長浜城【静岡県沼津市】
対武田水軍の前線基地として、後北条氏によって整備された海城です。コンパクトな城跡ですが、復元櫓や案内も充実しているので、なかなか面白い場所だと思いました。
内浦湾越しに見える富士山もなかなかのもので、ロケーションもバッチリです。
訪城時期:2013年6月
【指定文化財:国史跡】
ブログ:http://jp-castles.cocolog-nifty.com/blog/
マイリスト→mylist/24894884
韮山城(静岡県伊豆の国市)
静岡県伊豆の国市にある韮山城です。
韮山城は後北条氏の初代である伊勢盛時(北条早雲)の伊豆討入り後に本拠地となり、
相模に領土を広げた後も本拠地を移動することなく、没するまで居城としました。
2代目である北条氏綱が本拠地を小田原城に移動した後も、伊豆支配の拠点として
重要な役割を果たしています。豊臣秀吉による小田原攻めの際は、4万4千の大軍勢に
囲まれても最期まで落城することなく持ち堪え、小田原城と共に開城しました。
城址紹介 静岡県 mylist/35938606、愛知県 mylist/35726874、岐阜県 mylist/35803017
三重県 mylist/36013454、滋賀県 mylist/36013523、長野県 mylist/37255841
その他 史跡 mylist/36010755、ダム巡り mylist/37255876、ブロマガ ar303163
逆井城
茨城県坂東市にある逆井城です。
立ち並ぶ建造物はあくまで模倣(といっても観音堂や薬医門などは移築建造物)なんですけど、中世城郭の雰囲気をよく再現していてとっても良い城跡だと思っています。
遺構も程よく味わえますし、ただただ、管理されている自治体様に感謝ですね。
非常にお勧めの城跡ですよ。
訪城時期:5月下旬
【指定文化財:県指定史跡】
マイリスト→mylist/24894884
【信長の野望創造PK】北の国から全国統一を夢見て Part42
お疲れ様です。マーロウです。
マー家VS大友家・織田家+北条家
グッバイ北条家…、そういえばCiv6でともに戦った時宗はこっちの北条家とあんまし血縁的な関連ないんだってね。
Part41→sm30773534 Part43→sm30788135
野望系マイリスト→mylist/58019602
【了】伊豆国山中城 平成27年(2015) 初春
2015年の2月下旬、静岡県三島市にある山中城を訪れました。
永禄年間(1558~1570)に北条氏康により築城されたとされ、
天正15年(1587)頃より大々的に改修されたようです。
天正18年(1590)、4千程で籠城していた後北条軍は、豊臣秀吉の6万7千とも言われる
大軍に攻められ、わずか1日で落城しました。
元は旧東海道の関所を拡張して城となった為、旧東海道が三の丸の中を通る
珍しい城となっています。
後北条氏の降伏後に廃城となったので、後北条氏の築城技術の特徴である
畝堀や障子堀等の遺構を確認することができます。
お城→mylist/37297571
【四公六民】伊豆国韮山城 平成27年(2015) 初春
2015年の2月下旬、静岡県伊豆の国市にある韮山城を訪れました。
築城年ははっきりしませんが、文明年間(1469~1486)に堀越公方足利政知の家臣、
外山豊前守が築城したと伝わり、延徳5年(1491)に伊勢盛時(北条早雲)が攻め落とし、
以後、早雲が居城とし、小田原城に本拠が移るまで後北条氏の本拠地となりました。
天正18年(1590)の小田原征伐では、北条氏康の四男、北条氏規が城主として守備し、
豊臣秀次を大将とする4万4千の豊臣軍に対し、北条方は3千6百で約百日に渡って
籠城をするも、ついに開城しました。
小田原開城後、徳川家康の家臣、内藤信成が入城しましたが、
慶長6年(1601)に転封となり、そのまま廃城となりました。
お城→mylist/37297571
【ゆっくり解説】実は城だった!小田野城を解説 超マイナーな城
今回は東京八王子市にある、小田野城(おだのじょう)を解説します。今回もマイナーな城の解説です。
00:00 本編
04:50 余談 ED
解説マイリス
https://www.nicovideo.jp/mylist/72743661
小話マイリス
https://www.nicovideo.jp/mylist/72657168
YouTubeでも投稿してます。こっちの方が投稿早いです。
チャンネル登録していただけると嬉しいです。
https://www.youtube.com/channel/UCOOgPXa4NZUNzjesM84XbVQ
※動画内で使用している城跡の写真は、撮影者の方からの使用許可を得ています。
【2分歴史】『北条氏政の一生』【ゆっくりしていない解説】
歴代最大を築いたが豊臣秀吉に敗北した北条家当主。(年齢は数え年)
YouTube→https://www.youtube.com/channel/UC9k6vgtpbB8mKyBcn86ZBEg
Twitter→https://twitter.com/2fun_history
★毎週土曜日 19:00に投稿
▼参考
Wikipedia:北条氏政
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E6%94%BF
肖像画出典元:小田原城天守閣 ※Wikipedia内
▼素材
イラストAC様
https://www.ac-illust.com/
CraftMAP様
http://www.craftmap.box-i.net/
きつねゆっくり様
http://www.nicotalk.com/charasozai_kt.html
甘茶の音楽工房様
http://amachamusic.chagasi.com/
北条氏政画像:信長の野望・創造 戦国立志伝
▼作成ソフト
ゆっくりムービーメーカー3
https://manjubox.net/ymm3/
Hōjō Sōun/Ise Shinkurō: AMV/MAD【まんが日本史】北条早雲/伊勢新九郎(冥界線-Nightmare-)
https://youtube.com/channel/UCRNrlPq08nf_8MUoeTd_bYw
こういうことに協力を惜しまないのが我々ジュラル星人だ。
相模国 足柄城支城 猪鼻砦
後北条氏が対武田に対して整備された足柄城の尾根を守る猪鼻砦
笹が生えてる小さな山に平場を利用してるらしく とくに掘切などの人工物は
とくに見当たりませんでした。
お城行ってみた mylist/36083959
【完全版】柳瀬博一 「『国道16号線』から日本を考える」
この動画はニコニコ動画PLANETSチャンネル会員向けの有料動画です。
チャンネル会員は無料で生放送での完全版視聴と冒頭1時間のアーカイブ視聴ができます。
首都圏をぐるりと巡る、全長326キロの環状道路・国道16号線。
この道がつなぐエリアは、3万年前から現代にいたるまで、
日本の歴史に大きな役割を果たしてきました。
各地に残る縄文・弥生・古墳時代の文化の痕跡に始まり、
頼朝が武家政権樹立の礎とした鎌倉、江戸開拓に至るまで道灌や後北条氏、
家康らが押さえた重要拠点の数々、明治期の富国強兵・殖産興業を支えた横浜・横須賀の港湾、
そして戦後の米軍進駐を経て郊外カルチャーの発信地になった福生……。
これらの発展の舞台は、なぜ奈良でも京都でも東京東京でもなく、
馬蹄形をした「エリア16」だったのでしょうか?
新著『国道16号線 「日本」を創った道』で、
「道」と「地形」の視点からその謎をひもといた柳瀬博一さんに、お話をうかがいます。
▼出演
柳瀬博一(東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授(メディア論))
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長)
▼日時
2020年12月8日(火)
収録場所:SAAI( http://yurakucho-saai.com/ )
ハッシュタグは #遅いインターネット会議
▼遅いインターネット会議とは?
PLANETS編集長・宇野常寛が提唱する「遅いインターネット」計画の一貫として、
政治からサブカルチャーまで、ビジネスからアートまで、
さまざまな分野の講師を招き参加者と共に考える場を構築していきます。
新聞やテレビといったオールドメディアは物足りない、
しかし今日の「速すぎる」インターネットの空疎さにも付き合いきれない。
こうした読者の方へ、よりアクティブな学びを提供し、
自由な問題設定と多角的な思考を共有することが目的です。
そのために日常の中に少しだけ、しかし確実に世の中とは近過ぎない、
しかし離れすぎない中距離を置いた思考の場を用意しました。
ぜひ、毎週火曜日の夜は予定を空けて、自分の世界を少しずつ広げることに挑戦してください。
【完全版】『国道16号線』から日本を考える|柳瀬博一
首都圏をぐるりと巡る、全長326キロの環状道路・国道16号線。
この道がつなぐエリアは、3万年前から現代にいたるまで、
日本の歴史に大きな役割を果たしてきました。
各地に残る縄文・弥生・古墳時代の文化の痕跡に始まり、
頼朝が武家政権樹立の礎とした鎌倉、江戸開拓に至るまで道灌や後北条氏、
家康らが押さえた重要拠点の数々、明治期の富国強兵・殖産興業を支えた横浜・横須賀の港湾、
そして戦後の米軍進駐を経て郊外カルチャーの発信地になった福生……。
これらの発展の舞台は、なぜ奈良でも京都でも東京東京でもなく、
馬蹄形をした「エリア16」だったのでしょうか?
新著『国道16号線 「日本」を創った道』で、
「道」と「地形」の視点からその謎をひもといた柳瀬博一さんに、お話をうかがいます。
▼出演
柳瀬博一(東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授(メディア論))
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長)
▼日時
2020年12月8日(火)
収録場所:SAAI( http://yurakucho-saai.com/ )
ハッシュタグは #遅いインターネット会議
▼遅いインターネット会議とは?
PLANETS編集長・宇野常寛が提唱する「遅いインターネット」計画の一貫として、
政治からサブカルチャーまで、ビジネスからアートまで、
さまざまな分野の講師を招き参加者と共に考える場を構築していきます。
新聞やテレビといったオールドメディアは物足りない、
しかし今日の「速すぎる」インターネットの空疎さにも付き合いきれない。
こうした読者の方へ、よりアクティブな学びを提供し、
自由な問題設定と多角的な思考を共有することが目的です。
そのために日常の中に少しだけ、しかし確実に世の中とは近過ぎない、
しかし離れすぎない中距離を置いた思考の場を用意しました。
ぜひ、毎週火曜日の夜は予定を空けて、自分の世界を少しずつ広げることに挑戦してください。