キーワード 極東軍事裁判 が含まれる動画 : 17 件中 1 - 17 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第62回・儒教招魂社/靖国神社その②
靖国神社は、明治2年1869年、大村益次郎の献策のもと、明治天皇の勅許をうけて、東京九段の土地に東京招魂社として誕生し、明治12年1879年には社名を靖国神社と改め、中身は極めて儒教的な招魂社でありながら外装は神社の装いを採ることとなり、以後、戦前戦後を通じて戦没者の魂を招魂し、天皇の参拝を以って慰霊するという形式を続けていたが、この形式は戦後の1978年に第6代宮司の松平永芳がA級戦犯を合祀するまでは国内外からの干渉や非難批判を浴びる事なく粛々と続いていた。戦後の靖国神社は、いかにわだかまりなく天皇の参拝を続けることが出来るようになるかに焦点を置き、A級戦犯合祀には極めて慎重な姿勢を採ってきた。しかし、第5代宮司筑波藤麿が 1978年3月20日に急死すると、国内の要職にあった極右勢力は、右翼思想家の平泉たかしや元最高裁総裁の石田和外や元A級戦犯容疑者で参議院議員の青木一男らが強力に松平永芳を推し、結局同年に松平が第6代靖国神社宮司に就任することとなった。
松平は、特に、戦後、きゅうじょう事件と言って、昭和天皇を殺害して幼い皇太子を擁立して戦争継続を行うというクーデター計画を立てた陸軍将校たちを門下生に持つ極右思想家の平泉きよしの強い影響を受けており、この松平の代より極東軍事裁判批判や東京裁判史観批判や大東亜戦争肯定論などが訴えられるようになった。
松平は、入江すけまさ侍従を通じて、昭和天皇の側近である徳川侍従長にA級戦犯の意志を伝えたが、昭和天皇は徳川侍従長を始め、複数の侍従たちにA級戦犯合祀への不満を述べており、それが徳川侍従長から入江侍従を通じて松平宮司に伝わったものの、昭和天皇の意志は無視したままA級戦犯の合祀は実行された。
この事は、入江氏の死後、入江侍従日記から伝えられていたのだが、靖国支持派はこれを徳川侍従長の陰謀と受け止めていたものの、2000年代になってから卜部侍従日記や小林忍侍従日記や富田メモが発掘されることにより、徳川侍従長陰謀説は否定されることとなった。
いずれにせよ、靖国問題とはこの松平永芳宮司によるA級戦犯合祀から始まっており、靖国神社の歴史は松平前と松平後で分けられ、そしてこのことが靖国問題は永遠に解決できない問題としてしまったのである。
9.11事件とイラク戦争の謀略(その3)
平成17年12月4日 木村愛二 連続講演会 第2回 9.11事件とイラク戦争の謀略
の動画(その3)となります。
続きはおいおいアップロードします。
敗戦と東京裁判史観からの脱却後編
東京裁判史観とは、このおよそ裁判の名に値しない、連合国の報復裁判によってつくられた歴史観をいい、この歴史観にもとづいて、戦後日本のすべてが組み立てられてきたといってもよいでしょう。
東京裁判史観ということばを、はじめて使われたのは、東京大学名誉教授の小堀けいいちろう先生といわれています。平和に対する罪と人道に対する罪は、ポツダム宣言が発せられたときにはなかった、明らかに事後法でした。後からつくった法律でひとを裁くことができないのは、近代法の大原則です。これだけで、東京裁判は、法律を無視した、裁判とはいえない裁判だったということができるでしょう。
嘗て国会で、日本は、極東軍事裁判所の判決、その他、各連合国の軍事裁判所による裁判を受諾したのか、あるいは「諸判決・裁判の効果を受諾したのか。どちらかという質問がされました。
これに対する政府見解は、我が国は、裁判を受諾しているというものでした。外務省のホームページもこれにもとづいて書かれているわけです。したがって東京裁判の正当性を否定することは、76年たっても政府はまだできないのです。これが英米、中ソが日本にはめた足枷です。
南京事件に関する外務省のホームページの「あったことは否定できないと考えています。と書かれている本当の意味もこれに基づいていることが分かります。東京裁判では、松井石根大将の責任を問うために作られた南京事件で、松井大将は有罪となり絞首刑になりました。東京裁判を否定すると松井大将は冤罪ということになるからです。また、GHQが草案を作った日本国憲法も、東京裁判の副産物と言ってよいでしょう。
それでは永久に東京裁判を否定し、東京裁判史観を政府も国民も脱却することはできないのでしょうか。
1952年、4月28日の独立を待って、翌年国会は、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議赦免要求を、共産党を含む全会一致で可決し、東条もと首相の時、外務大臣だった重光葵は、A級戦犯とされましたが、後に衆議院議員選挙に当選し、国連で演説しています。東条英機の奥様、かつ子夫人は、その後ももと首相がおられた、用賀の官舎にお住まいになられ、恩給も支給されていました
また、閣議決定を経て発表された、安倍談話では、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんと決意を表明し、あの戦争に対する贖罪意識を、わが国民は捨て去ることにしました。
このように日本国憲法や、その他戦後日本にはめられた足枷は、牛歩の歩みですが、少しづつ外されていると考えることもできるのではないでしょうか。
私達の父、祖父、曾祖父が戦った大東亜戦争を、胸を張って子や孫たちに語り継いでいきたいものです。それでは終わります。
日本人の誇りを守ったインド人 パール判事
極東軍事裁判 それは人類最悪の軍事裁判。
インド人のパール判事はその真実を語る。
【リベラリズム】「田原総一朗オフレコ」ゲスト:佐高信、池田信夫
放送URL:lv184536871
テーマ:「戦後70年!“戦後リベラリズム”とは何か?」
出演
司会:田原総一朗
アシスタント :鈴木純子(文化放送アナウンサー)
ゲスト:佐高信(評論家)
池田信夫(アゴラ研究所所長)
2015年7月16日木曜日
トピック:安倍晋三首相訪米・アメリカ議会演説、歴史修正主義・極東軍事裁判、朝日新聞社の体質(笠信太郎)、むのたけじ、従軍慰安婦問題(下村満子、アジア女性基金)、野党、民主党政権、丸山眞男と田中角栄、自由民主党(宮澤喜一、大平正芳、疑似政権交代・派閥政治)、悔恨共同体、日本社会党、吉田路線(軽軍備・自衛隊と9条、解釈改憲)、非武装中立、経済的徴兵制
【リベ保守】「田原総一朗オフレコ」ゲスト:中島岳志
放送URL:lv184536871
テーマ:保守主義とリベラリズム
出演
司会:田原総一朗
アシスタント :吉田涙子(文化放送アナウンサー)
ゲスト:中島岳志(政治学者・歴史学者)
2014年7月17日木曜日
トピック:宗教戦争、フランス革命、ネオコン・ネオリベ、タカ派・ハト派、大平正芳(環太平洋構想、日中友好、成長から成熟へ)、アベノミクス(規制緩和)、民主党政権、集団的自衛権(立憲主義、日米安保条約)、日韓関係(従軍慰安婦、河野談話)、日中関係(華夷秩序、沖縄・尖閣諸島)、原発、日露関係(サハリンプロジェクト)、戦後レジーム(極東軍事裁判)、イラク戦争、靖国神社
宣伝
アジア主義az4267019711
中村屋のボースaz4560721254
「リベラル保守」宣言az4101365725
パール判事az4560721262
ホモと学ぶシビルウォーと漁夫の利
(野々村のおっさんがスキンヘッドにしてヒューマンガス様フェイスで新ポーズ披露したって こマ?再現絵が極東軍事裁判の時の東条英機やんけ。利き手を忘れて、右胸に拳銃を撃ちそう(こなみかん
東京裁判の隠された真実 ベン・ブルース・ブレイクニー 米国人弁護人
東京裁判の隠された真実 ベン・ブルース・ブレイクニー 米国人弁護人
KSM@dailymotion
http://www.dailymotion.com/ksm11
KSM@YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCu1kJYGwtHVPrvwCbZgDUyQ
多田美好 海軍二等機関兵曹 -英霊の言の葉-
『夢』海軍二等機関兵曹 多田美好命昭和二十一年六月二十八日シンガポール、チャンギーにて殉難死岐阜県出身 三十三歳 親思ふ心にまさる親心 今日のおとづれ如何にきくらんお母さん、私は死んでは居りません。何時も何時もお傍に居ります。
佐藤彦重 -英霊の言の葉-
『最後の願ひを』
海軍嘱託 佐藤彦重 命
昭和二十一年八月三十一日
ラバウルにて殉難死
南洋開拓会社社員
福島県出身 三十六歳
防人に あらねど吾は み戦に
尽くせし心 誰か知るらむ
東京裁判 ブレイクニー弁護人の弁論「戦争は犯罪ではない」
東京裁判 (極東軍事裁判) ブレイクニー弁護人の弁論
ブレークニー弁護人は東京裁判にてマッカサーが米国から呼んだ弁護人の一人です。
日本人の戦犯を有罪にするのであれば、原爆を投下した米国の指導者もまた犯罪人であるという、正義に基づいた弁護を行った方です。
KSM WORLD @ YOUTUBE
https://www.youtube.com/channel/UCu1kJYGwtHVPrvwCbZgDUyQ
米グレンデール前市長がテキサス親父を批判「慰安婦は強制だった」
下記動画を参照Interview with city of Glendale ,CA Mayor Frank Quinterohttps://www.youtube.com/watch?v=RD042-vCWac
3/12 予算会議 和田政宗議員の東京裁判への質問
2014年3月12日の予算委員会にて和田政宗氏が
政府に対して、東京裁判(極東軍事裁判)の正当性について
政府の言質を取りました。
A級戦犯とされる方々と東京裁判について、みんなの党和田議員の質疑
この靖国関連の質問は、和田議員って本当にみんなの党の議員?国内法と東京裁判との戦犯の定義の違い、事後法である平和に対する罪が取り沙汰された時期と政府認識、刑罰が終了した受刑者への政府認識、昭和の受難者として合祀した事と総理参拝の是否です。
20130126 敗戦直後の戦争調査会について
今日は面白い資料が見つかったのでお伝えしようと思います。国会図書館の調査局の方で作った大変面白いレポートです。これは外交防衛課の富田さんという方が書いたもので「敗戦直後の戦争調査会について」ー政策を検証する試みとその挫折ー というものです。日本が太平洋戦争で負けたことの総括をしようという内閣の正式な今で言うと審議会のようなものでしょうか。1946年に行なわれたものの調査レポートです。メンバーなど紹介してみようと思います。主な点は総裁は幣原喜重郎さんという、幣原外交という戦前に外務大臣を経験された方です。1946年2月26日に戦争調査会の総裁に任命されておりまして【第一部会 政治外交】【第二部会 軍事】【第三部会 財政経済】【第四部会 思想文化】【第五部会 科学技術】というかなり多岐にわたってしかもメンバーも蒼々たるメンバーです。たとえば軍事のところでいうと元憲兵司令官の飯村さんとか、海軍中将の戸塚さんとか入っています。日本がどういったことでこの戦争に入って行ったのか、何故負けてしまったのか?大きく言うと大きく言うとこの二つの観点で議論をする、正式な日本国の内閣としての戦争の総括をやる正式な機関として出来ていたわけです。なんとこれがその後、GHQの解散命令を受けて解散しているんです。そういうことがこの報告書に書いてあります。解散の直前の46年8月、調査をする項目として1番目から68番目までそうとう詳細な形で第一から第五部会で調査をする計画で次年度、47年、昭和22年度予算を大蔵省に申請したもののGHQに解散させられ予算はとれずに解散消滅しているということです。もし今後憲法問題を考える場合憲法自体がGHQに押し付けられた前提にたてばこういった調査会も強制的に解散させられていて日本国政府が極東軍事裁判とは別に自ら戦争の総括を奪われているということなんで憲法の問題を考えるのであるならばその前にこういった日本国政府として戦争の総括を正式な内閣の一環としてやるべきではないかと考えております。この調査会の事務方はその後内閣官房に吸収される形で現在に至っています。もちろんその当時の方は退職されているでしょうがこういった機関をつくるとすれば政府の中であれば内閣内閣官房か内閣府、あるいは国会の委員会のような形でつくるかということだと思います。直近で原発事故調査委員会との比較も書いてあり非情に興味深いものになっています。今後も追っかけてゆきたいと思います。資料 レファレンス平成25年1月号 敗戦直後の戦争調査会について http://bit.ly/WyuGnK
東條英機の処刑映像
東京裁判での東條英機に下された処刑映像。警備員が必死に止めている中で、東條の頭部めがけて痛烈な一撃が。