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【啄木の通った道】ポケモンGO 釧路・啄木 歌碑巡りRTA 1:31:01
釧路駅前にある啄木の歌碑を巡るRTA
計測期間
・タイマースタート:1基目の歌碑のポケストップを回す
・タイマーストップ:26期目の歌碑のポケストップを回す
レギュレーション
・釧路駅前にある歌碑26機を巡り、ポケストップを回す
・ポケストップが登録されていない場合、近くのもので代用
・移動は徒歩のみ
・借金を踏み倒さない
・76日で釧路を出ていかない
©OpenStreetMap contributors / CC BY-SA
●音声ソフト
VOICEVOX:ずんだもん
VOICEVOX:中国うさぎ
●X
@acerola_vitamin
●ブルースカイ
@pighimarimo.bsky.social
【外配信vol.50】【森高千里渡良瀬橋歌碑】渡良瀬泣き【渡良瀬橋歌碑】【切り抜き】【アフラン】
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【外配信vol.49】【森高千里渡良瀬橋歌碑】床屋の角にポツンとある♪公衆電話♪覚えてますか?♪【切り抜き】【アフラン】
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【外配信vol.48】森高千里の聖地渡良瀬橋に向かうも歌碑を間違える【渡良瀬橋歌碑】【切り抜き】【アフラン】
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赤とんぼ 童謡 ピアノ 山田耕筰 三木露風 うさたん
いつもご視聴して頂き、誠にありがとうございます。
作曲山田耕筰さん、作詞三木露風さん、編曲うさたんの赤とんぼを弾かせて頂きました。
この曲は1921年(大正10年)に、三木露風さんが故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした、子供の頃の郷愁から作ったといわれており、
この詩に、1927年(昭和2年)山田耕筰さんが曲をつけたそうです。
たつの市の童謡の小径に記念碑があり、埼玉県久喜市の久喜青葉団地内に所在する童謡の小道に歌碑が置かれております。
より良い音楽を皆様に聴いて頂けるよう、日々、練習や研究をしております。
ピアノ以外の演奏、制作、動画編集などはもみの木さま。
制作依頼やご相談などは、下記のアドレスまでお願い致します。
[email protected]
ゆるポタ道中記 ~サイクルボール するいち編~
祝・ニコニコ自転車動画祭!
祝・日帰り旅行祭!
関係者の皆様お疲れ様です。
そしてニコニコ自転車動画祭は今回が最後!今までありがとうございました!
毎年恒例となっているサイクルボール
今回はするいちに行ってきました
海は良いですね!
伊豆イチ?分けてならやっても…
サイクルボールするいち
https://tour-de-nippon.jp/cycle-ball/suru-ichi/
S/Gはトライアルパーク蒲原 https://trialpark-kambara.jp/
駿河湾フェリー https://www.223-ferry.or.jp/
牧水歌碑 〒410-3302 静岡県伊豆市土肥415−4
KUZURA CAFE https://www.kuzuracafe.com/
沼津魚市場 https://www.numaichi.co.jp/
ふじのくに田子の浦みなと公園 http://doboku.pref.shizuoka.jp/desaki3/tagonoura/index.htm
駿河湾一周は良いぞ!景色も御飯も美味しいぞ!
フェリー1便に乗る為、前日入りはしていますが行程は十分日帰りが可能です
正直、フェリー2便にして始発でも良かったと思ってます…
朝はやいので荷物を預ける場所がなかったので、車で行ったほうが良いかなと思いました
ニコニコ自転車動画祭ロゴ
⇒nc310657 nc310658
日帰り旅行祭2023
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42549027
ゆかりさんあかりちゃんの素材は、ヤッペンさん(@yatt83)からお借りしております
https://www.nicovideo.jp/user/13024221
【全曲総集編】神奈川県足柄上郡山北町 - 防災行政無線チャイム
神奈川県足柄上郡山北町の防災行政無線チャイムです。
通年1日4回、TOA旧音源の時報チャイムが鳴動しています。10時と15時はTOA旧音源特注「鉄道唱歌」、正午は「ウエストミンスターの鐘」、夕方(11〜2月)16時・(3〜10月)17時)は「七つの子」が鳴動しています。音量は並〜大きめとなっています。
山北町は御殿場線(旧東海道本線)が通過しており、「鉄道のまち」ということで「鉄道唱歌」が使用されています(山北鉄道公園にはSLが、谷峨駅前には鉄道唱歌の歌碑が設置されています)。なお、特注した影響か「七つの子」の音色が通常とは異なっています。
- Contents -
00:00 オープニング
00:05 通年10時・15時「鉄道唱歌」
00:38 通年正午「ウエストミンスターの鐘」
01:11 (11〜2月)16時・(3〜10月)17時「七つの子」
02:28 エンディング
制御BOX:Panasonic
収録時期:2023年1月3日(10時・正午)
6月4日(17時)
取材: 0017
編集: 0001
ゆっくり・ミクの万葉集講座 28 ~奈良の歌碑めぐり~
ゆっくり解説動画。
ミクさんを交えて、万葉集の解説をしてもらいました。
ミクさんが和歌を詠んでくれます。
今回は旅行ネタになります。
パート1→sm27002869
前→sm38676864
次→
作者twitter→@tetrisyasushi
古典・神話まとめmylist/48922716
〜Voicepeak〜 初夏の周防路巡り「正八幡宮社前と般若姫伝説の大畠瀬戸風景」増補版 山口県柳井市神代
山口県の風景散策。動画追加データーとVoicepeak追加
瀬戸内海沿いの神社、御旅所のある海と般若姫伝説の辞世の歌碑のある岡〜整備したらいいのにね^^
大畠の鳴門(渦潮ができる)=西の龍宮の入り口といわれたらしいです。東は阿波の鳴門
神代(こうじろ)正八幡宮(山口県柳井市神代)=旧社格 郷社 戦国時代内藤氏による創建と言われている。神社社頭の道は岩国領の脇街道〜瀬戸山道であったという。
石鳥居は吉川広紀(のり)公により元禄6年寄進(柳井市内=余田の名合八幡宮、新庄の土穂石八幡宮にも同時期に鳥居を寄進している)
参道脇に参拝駐車スペース。ここの八幡さんの境内は山なんで夏は蚊が多い。
般若姫=山口県の伝説では、豊後国 満野長者の娘で用明天皇の妃とされるため船で都へ登る途中
大島近くの大畠瀬戸で暴風雨に見舞われ、嵐の原因である竜神の怒りを鎮めるため海へ入ったという。
柳井市の柳井という地名の伝説(曹洞宗 湘江庵にある井戸)も般若姫が絡んでいる。
楊枝=楊の枝は呪物でまじないに用いたという。
撮影OM-D EM-1 MarkⅢこの日操作ミスでオートフォーカスがうまくいかずMモードでしたので一部ピントがいまいち甘いかもです。
前から知っていた般若姫伝説(いくつか話があるらしい)を確認と補足で以下を確認、参照しました。
中国四国農政局コラム記事、広報やないデジタル版記事 R3.7.8、コトバンク正八幡宮記事
街道をあるいてみた〜瀬戸山道編(瀬戸山道について、歌碑)(YouTube)
神峰山 用明院 般若寺公式HP〜
柳井にっぽん晴れ街道サイト(往還道や瀬戸山道について)
解説はいつも長いですね
*広告恐れ入ります ^^;人 ぼちぼち頑張ります
ひっそり4k https://youtu.be/ly_beSsPoy0
〜防長路巡り〜神代・正八幡宮の鳥居と伝説の般若姫 辞世の歌碑からの海峡の風景 初稿
瀬戸内海沿いの神社。
神代正八幡宮(山口県柳井市神代)=旧郷社 戦国時代創建と言われている。の社頭の風景。
神社社頭の道は岩国領の脇街道〜瀬戸山道であったという。
石鳥居は吉川広紀(のり)公により寄進
般若姫=山口県の伝説では、豊後国 満野長者の娘で用明天皇の妃とされるため船で都へ登る途中
大島近くの大畠瀬戸で暴風雨に見舞われ、竜神の怒りを鎮めるため海へ入ったという。
柳井市の柳井という地名の伝説も般若姫が絡んでいる。
山口県街道歩きの番組で拝見して般若姫の歌碑と海峡の眺めを見たくて行ってきた記録。
神社もなかなか良かったのです。先日再訪して参拝してきたのでこれはまた。
追加取材したので今作り直しているが、せっかく作ったのでライブ公開お試しで。
撮影=OM-D E-M1 MarkⅢ
*広告誠に恐れ入ります 人
ST118-15補2 バーチャル駅間散歩:豊鉄バス伊良湖岬停~保美停Part2【スターステイル伊勢湾一周旅行の旅】
〒441-3624 愛知県田原市伊良湖町宮下
伊勢湾フェリー 伊良湖旅客ターミナル
Irako port Tarminal/Isewan Ferry
Miyashita Iragocho, Tahara, Aichi 441-3624
当動画関連サイト・チャンネルはこちら↓
渥美半島だよりさま
いのりの磯道(磯丸歌碑の道)
https://www.taharakankou.gr.jp/spot/000068.html
近畿日本ツーリストさま
オーガニック宿 まるえい
https://yado.knt.co.jp/st/S230247/
カフェ&レスト 西山あるるさま
http://aichi.j47.jp/aruru/
休暇村 伊良湖さま
https://www.qkamura.or.jp/irago/
伊勢湾フェリーさま
https://www.isewanferry.co.jp/
豊鉄バスさま
https://www.toyotetsu.jp/
西国街道 大野中山 疣観音堂と今川了俊歌碑 広島県廿日市市
西国街道(旧街道の山陽道)の廿日市の宮内〜四郎峠を西へ下ったところにあるお堂。弘法大師のイボ取り伝説のある御堂である。端正な石仏の観音像である。
川のの合流点にありここよりやや下った場所が一里塚の松があった場所らしい。
今川了俊は貞世と言い遠州今川氏であるらしい足利義満に仕え九州探題として赴任、大内氏や九州大名の力を糾合し南朝方と戦を繰り広げた。
文化人としても優れ 和歌、紀行文(道ゆきぶり)、歴史書(難太平記)などを残す
今川了俊公の歌碑(後2箇所)歌碑の歌は道ゆきぶりに書かれているようだね。
JR大野浦駅、宮浜温泉に近い向原石畳道の上の方にあり
防府市の鞠生にもあるらしいんだけど(老松神社参拝の後に探したが迷ってしまい)いまだ行けてない。
この旧山陽道(高速建設などもあり大体この辺りだが)四郎峠(この辺りを昔大野氏とかいう兄弟が入植開拓したとか言われ大野四郎が開拓したことからその名があるらしい)はさみしいところなので昔は追い剥ぎなんかも出ていたらしい。
今川了俊は地御前神社、厳島参拝後 地御前あたりから山に入りおおの中山へ抜けたと何かで読んだ(HPか本だか忘れたんだが)
あか姉さんときりたんさん EP48 「突撃!隣の北陸道」【VOICEROID車載】
源平合戦古戦場ドライブ・その5。
源平ラインの隣にちらほら姿を見せる、旧北陸道。
手軽なハイキングコースとして整備されているという、この歴史国道を実体験。
源平時代はルートが違います? 手軽って、車載ってなんだっけ?
こまけぇこたぁいいんだよ!
前回触れた、全国各地にある巴御前の墓についても、もう少しだけ踏み込みます。
そんな余計なことしてるから、倶利伽羅シリーズ終わらないんだよ。
しゃもじをカメラに持ち替えて!
※いつも通りのネーム過多。スルーして構わないよう作ってますが、気になるなら一時停止。
旧街道と歌碑、古の旅人の残した数多の『足跡』をお楽しみくだせい。
前回:sm40837368 シリーズ:mylist/69584707 次回:sm41151661
【蜀魂】尾張国九之坪城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県北名古屋市にある九之坪城跡を訪れました。
築城年代等は不明ですが、織田信長の家臣で、桶狭間の戦いで今川義元の本陣の位置の情報を掴み、織田軍の勝利に貢献したとされる簗田政綱(やなだまさつな)の城と伝わります。
周囲は濃尾平野の真っ只中の平地であり、平城だったと思われます。遺構はありませんが、北名古屋市 高齢者活動センターふれあいの家の前に城跡碑があり、西城屋敷という地区に地主の方の好意で盛土が残され城跡を示すように大きな石が置かれています。桶狭間の戦いでの勝利に大きく貢献した簗田政綱がこの辺り一帯を領して城館を構えていた場所と思うと感慨深いものがありました。
また、南にある松元院には戦国時代に里村紹巴が訪れており、簗田政綱の息子(広正?)が紹巴をもてなし、紹巴が「蜀魂 声うへ渡す 門田かな」と歌を残しており、その歌碑がありました。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
AIきりたん「立山のうた」
昭和天皇がまだ皇太子・摂政宮だった大正13年、富山行啓の折に詠まれた和歌を歌にしたものです。
翌年正月の「歌会始の儀」で公開されるや富山県民は感激し、即位の後に曲が付けられたということです。
往時は県民歌のように扱われたそうですが、同じく昭和天皇御製を採用した山形県民歌「最上川」とは異なり正式な制定はされていません。曲名は「立山御歌」とも呼ばれます。
立山の山頂付近に巨大な歌碑があるそうです。
ひとりでとことこツーリング 159-3 ~南さつま海道 その3~
丸一日の休みを久しぶりにとれたので、南薩にある「南さつま海道(国道226号線)」を走ってきました。
https://kanko-minamisatsuma.jp/feature/8038/
以前は「酷道」と言われた国道226号線ですが、ここ十年近くで整備が進み、ほとんどの道は綺麗に整備されています。変わっている様子も見て頂ければ。
今回は展望所などが多めです。
・リアス式海岸 展望所
https://goo.gl/maps/CdkB9CE6253HyXhX6
とるばではありませんが、目の前に水平線が広がる良い展望所です。
石碑には斎藤茂吉の「神つ代の笠狭之碕にわが足を一たびとどめ 心和ぎなむ 」という歌碑があります。
・笠沙美術館展望所
https://goo.gl/maps/YqapdyhL3AB9VE5K6
屋上が展望所になっている美術館です。美術館は「黒瀬展望ミュージアム」という別名があり、笠沙出身の画家、黒瀬道則氏の絵画が展示されています。
・後藤鼻展望所
https://goo.gl/maps/1DxQiDU2SqYgxNpZA
笠沙美術館からも見えていた沖秋目島を正面に見る展望所です。
広い駐車スペースと自販機などもあり、国道226号線を走るときにはちょうど良い休憩スポットです。
【西国街道】 広島山口県境 〜小瀬川ながれと吉田松陰の故郷決別の歌〜 岩国市小瀬
古代山陽道の石國駅家に比定される山陽道は中世には一時荒廃したが近世になると 整備され江戸時代には参勤交代の道などとして用いられました。
関戸〜小瀬へ かつての国境の川 秋の気配がする流れを眺める。
車載が少し。小瀬川の日本の風景。定点観測。初秋。
歌碑は岸信介氏の揮毫であり、吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送られるときこの渡し場付近を詠んだ歌らしい。
悲壮な感じですね。
川と山が綺麗だったので満足であります。
ただ惜しいのは錦帯橋で一時停止違反の切符を切られました< (^_^;) 気をつけます。
【 旧山陽道 関戸宿跡 】 吉田松陰先生「東遊記念碑」の桜 令和三年春
嘉永4年(1853年)春 松蔭先生22歳 初の東(江戸)遊学 したことを記念した石碑。
傍に立つ桜木の花。隣は解体された旧本陣跡である。
二十年くらい前 初めてここへ来た時も桜が咲いていたなと思い出します。
記念碑の立つ場所は関戸公会堂の街道に面した場所にある。
詩文は石碑裏面に刻まれている。松蔭先生がこの地で詠んだ漢詩であります。
前回は秋に訪れたが春の桜が印象深いので記録しておく。
関連=吉田松陰 歌碑と小瀬川の渡し場跡の桜 sm38512625
ここ関戸の画像は何回か挙げていますがまあ好みなんで四季折々趣がある。
山口県 西国街道 吉田松陰 詩碑 神社 宿場町 跡の風景。
令和3年4月 宮島桜の名所散策 sm38597393
広告いただき謹んで御礼申し上げます。
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」の満開の桜 再訪・補遺編
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=北側駐車場ーなしの丸、有の丸〜詰の丸と本丸の間の道を進み〜本丸石垣下から石本美由起歌碑〜本丸展望所へ。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
お城に関しての歴史情報〜 大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
以前1回来て以来久方ぶりタイミングが合い満開の城址にやっと散策した完結です。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
亀居城と桜=メインは城跡散策〜桜が少し咲いていた(5分咲き)sm38555020
旧山陽道(西国街道)【 旧跡 】小瀬の渡し場跡の桜 R3年
大竹市木野と岩国市小瀬を結ぶ両国橋。西国街道(旧山陽道)の国境線である渡し場があった場所。
令和三年3月下旬2019年以来久しぶりに川辺に桜が咲いていたので眺めてきた。
岩国領と芸州藩の境に位置しており江戸時代までは防衛上の問題から橋はかけられず船で渡っていた。安芸国側=木野(この)渡し場、周防側=小瀬の渡し場と言われた。
この先に錦帯橋の川上、関戸の国道2号線へ出る関々バイパスがあるため車が次々の通過して離合したりする。渡し場跡あたり〜バイパスまでの道が狭い。
安政の大獄のおり吉田松陰が最後にこの川を渡った時 惜別の歌を読んだので歌碑が建てられている。
歌碑の近くあたりには昔は一里塚があったらしい。その奥は旧道の小瀬峠越えの道がある。狭いが今も車で通過できる。急なのと狭いので一部離合がキツイ部分がある。
この後松陰東遊記念碑を見に旧道を辿り関戸へ向かった。
小瀬峠越えで関戸へ(サブ垢)sm34599992
桜の咲いた大内氏の前進基地〜門山(かどやま)城跡の山を麓から眺めて。 広島県廿日市市
岩国方面へ抜ける途中 串山交差点から旧道へ入ろうとしたら線路脇から眺めが良さそうなので撮影。駅前の一里塚石碑と城山も見てきた。
門山城は大内氏が厳島への船の出入りなども監視できる格好の場所で、安芸国支配の出城の一つだったらしい。山の東側に妹背の滝と言う大きな滝があり厳島神社兼帯七社の一つだったという
古社 大頭(おおかしら)神社が鎮座する。大正期に滝のそばへ遷座したらしい。滝の上部の砂防ダム湖のあたりに登山口の一つがある。
太田社=大頭神社摂社。桜が多く眺めも良い。山裾を走る山陽自動車道沿いの道があり桜も多く太田社の裏を通り西へ向かう。
厳島合戦前に毛利軍により落城し廃城となる。以前も動画で一里塚の石碑は撮影したことがあるがせっかくきたので再度掲載。
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜
江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。
【AIきりたん】荒城の月(伴奏なし)
きりたん「詩のモチーフは、東北のお城です。歌碑も設置されているんですよ」
イタコ「他にも二番の歌詞の『千代』は、仙台を暗に示しているという説もありますわ」
この歌のイメージ、私の中では「桜+月+城」なので、いらすとやの素材を組み合わせてみました。
折角なので背景にしてみたところ、いつもよりも華やかになった気がします。
NSFをメインにし、SYNを10%ほどで重ねています。
その他の調音、調整、伴奏は今回もありません。
柳ケ瀬ブルース【CeVIOカバー・OИE(オネ)】
「柳ヶ瀬ブルース」(やながせブルース)は、
1966年4月1日に発売された美川憲一の3枚目のシングル。
岐阜県岐阜市にある繁華街、柳ケ瀬・・
歓楽街アーケードには此の曲の歌碑が埋め込まれている。
のすじいの好きなダミ声OИEちゃんでカバーしたスナック昭和歌謡。
こ、今度スナック=NOSU-G=ブランドつけようかしらw
此の声のOИEちゃんはあんまり居ないけど
個人的に好きなのよね・・この調声。
可愛くない大人声を追求した撫子さんの逆パターンw
MMDもどきは公式OИEのキャラ、お借りしています。
半兵衛pさん
sasaralab さん
霧雨さん
Mimi さん
ゆずごしょう さん
Z-666 さん
SSR さん
tossy(ミクがうちに来てP) さん
ジョニー さん
広告有難うございます
※マイリスト・・mylist/58344802
旧山陽道を行く 関戸宿の本陣跡にみる秋と吉田松陰の歌碑、東遊記念石碑
旧山陽道関戸宿跡にある本陣の名残 既に解体されわずか土塀に哀愁を漂わす秋の風情。
小瀬の渡し場跡あたりはよく行きますね 景色が好きなもんで。
松陰さんの歌もいいでしょ?悲しいですよね。
関戸は古代山陽道の石國駅家跡に比定されていもいます。古い歴史の交通の要衝です。
コスモスの咲く残された、関戸本陣の土塀もそのうち無くなるんでしょうねえ世は無常ですね。
散策ポイント 本陣跡の土塀(無常を感じる)、客人神社(関戸の鎮守、小高い岡の上にある)、吉田松陰東遊記念碑。山向こうの小瀬の渡場跡の風景(渡し場には何もないんですけど)吉田松陰歌碑。
蛇足ながら
あと関戸の出口あたりに古い門構えの家が残りそこは脇本陣だったらしいです。
戦後の錦川の洪水で古い街並みはほとんど壊滅したらしいですね。
錦帯橋辺りまで行きましたが紅葉はまだでした。今日は猫がいなかったね。
歴史好きなお近くの方はドライブがてら尋ねてみるのもいいかもです。
2020.10.19
<柳井地名発祥の寺院> 柳井山 湘江庵と柳の井戸(曹洞宗)
柳井市の白壁の町並みの東にある 湘江庵 柳井の地名伝説の場所で、豊後の長者の娘 般若姫の伝説に基づく。柳の井戸のある古刹。
柳の井戸=伝説の用明天皇の妃として都へ向かう般若姫が船でこの地を訪れたおり、水を所望したそのとき楊枝を指すと一晩で大きな柳に育った説話の故事から柳井の地名発祥の地とされる。初めてお参りしました。
楊枝=柳の枝は呪物として古くは病気の治癒を願ったり呪い(まじない)に用いたと云う。
誓光寺=浄土真宗 元は天台宗の白潟山 西願寺だが、蓮如上人に帰依して寺号を変えて一向宗に変わる。柳井あたりでは真宗の中でも大きな寺。
文芸 俳諧(今で云う連句と俳句)が盛んだったようです。
偕楽庵 理圭坊 句碑(柳井の 蕉風(芭蕉風の連句、俳句)美濃派宗匠で中興した俳人)、野口雨情歌碑、井原西鶴歌碑などあり さすが商業で栄えた所 文化都市の一面も垣間見れる。
令和2年 緊急事態宣言・自粛で静かな【 新緑が映える錦川 錦帯橋と吉香公園風景】 記録 山口県岩国市
新緑の色映る錦川を散策した記録。錦帯橋を渡り吉香公園へ。
緑が濃い清流と五連の名橋。
私の定番コースで大竹市の186号線でゆうみトンネルを抜けたところ木野集落から入り
旧山陽道の小瀬渡し場跡の新緑、小瀬川の流れと吉田松陰の歌碑〜錦帯橋と錦川の清流、古社の白山神社、吉香公園の風景など
この時期は城山が若葉で埋まり錦川に映えますな。
2020 .5
田舎でもあり十分な空間があり固まらず、人と密接な接触をしない、マスクなしで喋らない。人がいればマスクをする。食事にしゃべらない。洗わない手で目鼻などを触らない。自他の安全を配慮すれば場所にもよるが、散策など体で動かせます。
京大藤井教授らの提言されるレジリエンス実践ユニットの半自粛方針を支持します^^
*R2年 錦帯橋周辺 岩国城下 吉香公園の秋を探して sm37700712
岩国市美川町根笠(Mikawachou Ngasa) 国天然記念物指定 岩屋観音窟 sm37522898
小さな鍾乳洞にあり木造でありながら石仏になった古い観音様です。
寂地峡(Jakuchi kyou)滝と自然観察路B(合成音声ガイド入り)sm37527628
岩国市錦町宇佐(旧玖珂郡錦町)県名勝 西中国山地国定公園内。
<山口県神社参拝>夕暮れの防府天満宮境内風景と三田尻の老松神社界隈 長尺版
あと数日で年が変わろうとする師走の山口県防府市・三田尻にある老松神社、英雲荘や夕暮れ前の防府天満宮へ。青春18切符でおとづれた記録。山口県 旧周防国府の町です。最初は電車からの防府の一駅手前 富海(とのみ)へ至る海の風景から始まる。微修正。
老松神社界隈の風景と防府天満宮の参道など夕暮れの風景
老松神社
防府市の海側、三田尻御船倉跡(毛利水軍の拠点)の近くにある神社 付近には旧萩往還(藩主の参勤交代で使われた三田尻〜萩まで最短で結んだルート)が通る。
元々は娑婆(さば)氏が創建し須佐神社と呼ばれたそうですが、その後、社前に老松が茂っていたので、老松神社と号したと言う。幕末の英雲荘に滞在した公卿も祈願におとづれていたと言われます。
樹齢2000年の巨木の楠木があり見どころでしょう(山口県で川棚温泉のクスに次ぎ最大クラスです)
また参拝したい神社。
英雲荘 (二代藩主綱広公が建てた 藩の公式の御茶屋遺構、藩主や賓客の宿泊などに使われた 勤王の七公卿も滞在した)休館日でした^^; 外から庭や建物の様子を見学しました。
ここ三田尻の海岸は長州藩の特産品塩の生産地〜かつての塩田跡でもある。
この後、御船蔵跡と小烏神社、厳島神社(鞠生の松原跡・九州探題今川了俊歌碑がある)へ行こうとしたんですが迷って見つけられませんでした・・小烏神社は幕末、長州軍が鳥羽伏見の戦いへ船で向かう時に祈願したところ (^^;; もう寒くて気分悪くなりそうでした・・・。
萩往還沿の商店街脇に車塚古墳というのがありそこには車塚妙見神社が祀られていました時間がないので案内板しか見てませんけど。
天神商店街のカフェ「空間茶店」のコーヒーとケーキ映像
防府天満宮
日本三大天神の一つ。新年を迎える準備の進む天神さんへ。参道や境内風景いろいろ。黄昏時の陰影がいつもと違い新鮮で良かった。祭神は当然菅原道真。
令和元年(2019) 師走
新・会津観光めぐりー民俗文化編ー【カラオケ|澤 敬子】
新・会津観光めぐりー民俗文化編ー【カラオケ】
歌手 澤敬子
作詞・作曲 笹山忠
編曲 ときゆうじ
若松城下に 別れを告げて
旅は会津の 門前町へ
伊佐須美様から 塔寺こえて
大山祇神社(やまのかみ)へと参道めぐり
虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)に 御無事を祈り
旅はいよいよ 奥会津へと
織姫、落ち武者 伝説聞いて
歌舞伎民俗 芸能めぐり
漆に陶器に ふるさと自慢
遊びまるごと 体験めぐり
今宵は鎮守の お祭り太鼓
浴衣着流し 会津に踊る
美術に文学 ゆかりの小径(こみち)
訪ね歩けば 歴史に知れた
絵画きのアトリエ 詩人の歌碑(うた)が
会津ご当地 名作めぐり
会津ご当地 名作めぐり
新・会津観光めぐりー民俗文化編ー【澤 敬子】
新・会津観光めぐり<民俗文化編>
歌手 澤敬子
作詞・作曲 笹山忠
編曲 ときゆうじ
若松城下に 別れを告げて
旅は会津の 門前町へ
伊佐須美様から 塔寺こえて
大山祇神社(やまのかみ)へと 参道めぐり
虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)に 御無事を祈り
旅はいよいよ 奥会津へと
織姫、落ち武者 伝説聞いて
歌舞伎民俗 芸能めぐり
漆に陶器に ふるさと自慢
遊びまるごと 体験めぐり
今宵は鎮守の お祭り太鼓
浴衣着流し 会津に踊る
美術に文学 ゆかりの小径(こみち)
訪ね歩けば 歴史に知れた
絵画きのアトリエ 詩人の歌碑(うた)が
会津ご当地 名作めぐり
会津ご当地 名作めぐり
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。