キーワード 武田邦彦の歴史講座 が含まれる動画 : 18 件中 1 - 18 件目
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武田邦彦の歴史講座 第一回 スペイン・ポルトガル
16世紀から始まったヨーロッパ人の世界支配ものすごく残虐な大量殺戮日本の戦争は350年にわたる大きな世界史の動きの一つ歴史を「どの国にとっても中立的に正しく」理解しよう。
武田邦彦の歴史講座 第十五回 日本人? まずは翻訳してから
「解体新書」、「蘭学事始」、「化学入門」、「理化日記」、「金銀成分」、「化学訓蒙」、「窒扶新論」、「日講記聞」、「講延筆記」、「洋算発微」、「機械事始」中国人を悪くは言いたくないが、漢の時に人口の半分が殺されたとも言われ、それは近代まで続いている。隙があれば殺戮という文化は日本にはなく、「相手に隙があっても優しく」が日本文化なのだ。このような「優しい日本」は損はするが、優位性も高い。そして世界に群を抜いている。日本人はそれを活かすべきだ。でも、優しければ優しいほど攻撃をしてくる民族もいるから注意もいる。それでほぼ全滅してしまったのが、アイヌやアメリカンインディアンだから。(平成25年5月18日)
武田邦彦の歴史講座 第三回 ロシアの東進
ロシアというのはヨーロッパの白人の国17世紀にシベリアを攻略して(侵略して)太平洋に至った。中国より歴史的には膨張主義の国。日本の北方からの圧力があることを知っておく必要がある。
武田邦彦の歴史講座 第六回 朝鮮半島の歴史
正しい歴史認識には、正しい歴史の事実を知ることでしょう。そして日本にとっては、今問題になっている明治の初めの日本と朝鮮半島、それにロシアの関係がもっとも重要です。明治の時代の朝鮮がもう少し国としての力があれば、かなり歴史は違っただろう。ロシアが満州に来ても、それは日本の脅威ではなく朝鮮の脅威のはずだった。でも朝鮮は実体的には「自衛する国家」ではなかった。そこに「正しい歴史認識」の問題がある。(平成25年4月30日)
武田邦彦の歴史講座 第十七回 満州は支那ではない
満州は民族的にも歴史的にも中国(支那)ではない。万里の長城「清」という国は中国の国ではなく満州の占領国だった。ロシアが南下してきたとき、中国は戦わずして満州を手放した。「戦わずして自分の国を放棄する」ことを日本人が理解できず、誤解を招く。その後、日本が満州国を建国した。これは大韓帝国と同じ。今の日本人はこのことを学んでいない。このまま反日・日本人の言動を認めていたら、父祖の恩に報いることができない。(平成25年5月26日)
武田邦彦の歴史講座 第二回 大英帝国の台頭
ギリシャから始まったヨーロッパの繁栄は時計回りにイタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、ドイツと進んでいく。彼ら白人はそのたびに有色人種の国を支配してきた。19世紀はイギリスがインド洋の回りの国(図)とカナダなどを支配した。その中で「生き残ったわずかな国」が日本であり、中国もほとんど支配地域を失った。(平成25年4月28日)
武田邦彦の歴史講座 第四回 アメリカの領土拡大(西進)
正しい歴史認識の基礎として、イギリス、ロシアと進めてきましたが、今回はアメリカで、次回の中国の考察で基礎編がおわりになります。アメリカがこれほど膨張主義の国なのに、なぜ日本人はアメリカと敵対しないのか?も考える必要があると思います。
武田邦彦の歴史講座 第八回 世界には10ヶ国ぐらいしかなかった
「歴史」というのは過去の事であり、過去は現在とは違う。過去は過去の状態があり、価値観があった。「なぜ王朝時代に民主主義ではないのか!」と起こってみたとしても仕方が無い。 「正しい歴史認識」というのは、「現在の価値観で歴史を見ること」なのか、「その時代の価値観で歴史をみること」だろうか?日本が大東亜戦争を始める前、世界にはおよそ10カ国しかハッキリとした国はなかった。(平成25年5月2日)
武田邦彦の歴史講座 第十六回 朝鮮は独立したくなかった
開国した日本。朝鮮が独立して欲しかった。日清戦争で1895年中国(清)に朝鮮の独立を認めさせる(大韓帝国)。大韓帝国の改革が挫折、ロシアの侵攻を受けて日ロ戦争になり、大韓帝国は日本の保護国になる。朝鮮人が礼儀というのを知っていたら深く日本に感謝するだろう。今の日本人もこのことを学んでいないが。(平成25年5月26日)
武田邦彦の歴史講座 第九回 日本だけが侵略戦争をしなかった
大日本帝国は「侵略戦争をした」と言う。戦った相手は、中国以外はすべて白人だった。ローマ帝国は地中海全体を征服したが、日本の歴史の先生はローマから見た戦争を説明したので、「侵略」とはなっていない。アメリカはアメリカに西部地区、ハワイ、フィリピンを侵略したが、日本を侵略戦争として非難している。(平成25年5月2日)
武田邦彦の歴史講座 第十二回 戦争への坂道 朝日新聞と法令無視の時代へ
日本が戦争に突入した瞬間は、1914年11月8日であった。この日、朝日新聞は日本軍の青島占領を報じて、「愉絶快絶、狂喜」という記事を掲載した。青島を占領していたドイツ軍は降伏した。次の日には、この記事に扇動されて提灯行列、大売り出しなどがあり、さらに朝日新聞は三宅雪嶺という当時の文化人に「青島を中国に返す必要はない」との論陣を張らせて、世論操作を行う。実は戦いの前、日本政府と軍は「支那に還付の目的」でドイツを攻撃すると最後通牒で宣言している。この理由は形式ではなかった。それまでの日本は「領土的野心」を持っていなかったからだ.それに対して雪嶺は「返さなくてもよい。必要の前に法律無し」と論じる。(平成25年5月7日)
武田邦彦の歴史講座 第十八回 隠しているのか?知らないのか?南京事件
反日報道が続くマスコミ.一度、報道してしまったので、引き返せないマスコミ.その中心にいるNHK。ずいぶん、巨大な腐敗構造を日本は引きずっているものです。今回は南京事件報道を考えてみます.多くの日本人が「日中戦争の前に、南京で日本軍が大量の中国人を殺した」と信じています。その原因の多くは「本田記者の本と朝日新聞の記事」によっています。(平成25年5月20日)
武田邦彦の歴史講座 第十三回 人種差別の国 アメリカ
アメリカは人種差別で成り立っていた国だったインディアンは従わないので殺すアフリカ黒人はおとなしく働くので奴隷として使う中国人はおとなしいがお金を狙うので殺す日本人は自分たちより優れているので移民を禁止する1919年、パリ会議で日本が提案した諸国平等の提案はアメリカによって拒絶それでも、日本人はアメリカは正しいと仮定している理由アメリカの正しさをアメリカ人から見ると(平成25年5月10日)
武田邦彦の歴史講座 第十四回 民族移動 セム、アーリア、モンゴル
戦争と虐殺は民族移動で起こる。6000年前はセム、4000年前に第1次アーリア、3300年前に第2次アーリア、1400年前セム、900年前モンゴル、そして500年前第3次アーリア。特に第3次移動で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ロシア、南アメリカ諸国が誕生した。今では白人、あるいはアングロサクソンと呼ぶけれど、結局はアーリア人の領域拡大だ。かくして獰猛なアーリア人のために、非アーリアは、アフリカ、中国とその周辺、東および東南アジアに限定されている。 アーリアはもとに戻ってもらいたい。世界平和はそれによって達成されるだろう。また非アーリアはアーリアの侵入をいかに防ぐかという団結心を持たないと長い歴史で地球はアーリア人だけになるだろう。(平成25年5月17日)
武田邦彦の歴史講座 第五回 支那の分割
(読者の方からのご指摘で、時間的に「日清戦争ー日露戦争ー第一次世界大戦」なのですが、音声で日露戦争が後のように話しています。また1895年と言うべき所を1995年と言ったりしていますので、早い機会に音声を直します)今では中国は大国ですが、日本と中国の問題が起きた頃、実は中国という国はなかなか「見つけることが難しい国」だったのです。アジア民族がヨーロッパ人の侵略で呻吟している頃、中国(支那)はどんな状態だったのでしょうか?(平成25年4月29日)
武田邦彦の歴史講座 第十一回 不道徳なヨーロッパ、浅薄な支那
「正しい歴史認識」シリーズの中間まとめをします。最初のシリーズはいわば「基礎編」で、16世紀から時間をおってヨーロッパとアジアのほんの簡単な関係を振り返ってきました。不道徳なヨーロッパ人に翻弄されるアジア人が浮き彫りになったこと、日中の議論がいかに浅薄であるかが分かると思います。(平成25年5月3日)
武田邦彦の歴史講座 第十回 支那は白人側で戦った
アジアは「その国」のものではなく、すべて占領されていた。日本軍が戦ったのは「白人軍」であって、「アジア軍」ではなかった。その中で白人側についたのは中国だけだった。「正しい歴史認識」とは、まずは価値観とか利己ではなく、大きな事実を確認すること。(平成25年5月3日)
武田邦彦の歴史講座 第七回 日露戦争
日露戦争とは何だったのか? なぜ、ロシアと日本の間にあった朝鮮(李朝朝鮮)は南下するロシアに対して国を守ろうとしなかったのか? なぜ南下するロシアに対して中国は国を守ろうとしなかったのか? その序論に当たります。(平成25年5月1日)