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琴平驛から嚴魂神社(金刀比羅宮奥社)へ向かう@香川県仲多度郡琴平町20230103 楽天回線またはau回線 iPhoneSE2
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【神道シリーズ】第63回・八百万の神⑱金毘羅信仰【後編】まなすさんの金毘羅観光動画を見ながら発展する「こんぴらさん」を解説
明治になると、それまで古代より祀ってた権現神(本地垂迹説の仏教神)が山岳信仰から政府により外され、山岳信仰の中心になってきた寺院を破壊し、まったくその山岳信仰に縁の無い古事記の神々を祭神として祀る神社を新設する動きが全国に及びましたが、ここ象頭山では、15世紀以降信仰の中心になっていた金光院松尾寺(真言宗)の祀る本尊・十一面観音と垂迹神・金毘羅大権現の松尾寺が廃仏毀釈によって破壊されたのですが、なんと、その後に新設された「金刀比羅宮(琴平神社)」の初代宮司には、金光院松尾寺(真言宗)の最期の院主の宥常が就き、新社伝こそ平田派国学系の出雲大社教の「大物主神の行宮先の<琴平宮>が起源」という捏造を受け入れたものの、あたかも「隠れキリシタン」ならる「隠れ金毘羅」と言えるべき、
本尊の十一面観音を死守し、さらに「厳魂(いづたま)神社」なる摂社を境内の中に作り、厳魂彦命という名の下、
金毘羅金剛坊大権現を本尊十一面観音の垂迹神として祀り、今日に至ってます。 神社の名称も「琴平」ではなく「金刀比羅」と、読み方によって「こんぴら」と読めるように改称したのも宥常の見事な「隠れ金毘羅」業でした。
今回は、こうした歴史をおさらいする意味を含めて、生主のまなすさんの金毘羅詣りの旅のビデオを皆さんとともに鑑賞したいと思います。
【神道シリーズ】第62回・八百万の神⑰金毘羅大権現【前編】(真言宗金光院松尾寺とともに始まった金毘羅信仰)
金毘羅さんと言えば、ほとんどその名を聞いたことが無い人がいないと言えるほど有名ですが、しかし、この金毘羅信仰というものは意外と歴史が浅く、17世紀の天正から慶長年間の間であったと言われています。
金毘羅さん(金毘羅大権現)を祀る讃岐(香川県)の象頭山(ぞうずさん)には明治前まで、その信仰の中心をなしたのは金光院松尾寺(まつおじ)という真言宗のお寺で(金光院とは高野山真言宗の系統で、15世末頃から象頭山の別当(地域の管理者)として明治前まで象頭山信仰を支配してました)、その金光院4代の宥盛(ゆうぜい)の時代(17世紀)に形成され、急発展したのでは?とされてます。
金毘羅信仰が始まる前の讃岐(象頭山を含む)は、もともと宗教的に真言宗の支配圏で、三十番神(法華経の守護神)が信仰されていました。
金毘羅信仰は江戸時代になると日本最大の流行り神となり、伊勢講を凌ぐ代参講(お金を出し合って代表者に参拝させる集団信仰)となり繁栄しました。
明治政府は神仏分離策で、象頭山の金光院松尾寺を廃寺にし、強制的に神社化(琴平神社)とし、大物主神を祀神としまし、松尾寺は麓に普門院を作り生き延びましたが、今でも普門院松尾寺は金毘羅信仰や金毘羅祭の中心となっています。
こんぴらさん
四国へ旅行へ行った際に立ち寄った金刀比羅宮
石階段が結構長くて登るのが大変
でも、神社やお寺は神聖な感じがあって良いものですね
<歴史>
讃岐のこんぴらさんの名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう) は、琴平山(象頭山)の中腹に鎮まります。中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀する。その後、明治元年(1868)に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社に復(かえ)り、同年7月に宮号を仰せられて、金刀比羅宮と改称し、現在に至っています。