キーワード 陶氏 が含まれる動画 : 17 件中 1 - 17 件目
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Voicepeak カメラ担いで♪♪ 1分弱で巡る 防長路13〜「長穂 周方神社点描」 山口県周南市長穂
長穂地区の諏訪神社の風景切り取り。田園の広がる山間の里の古社。
長穂は陶氏の領地で近くに陶氏の菩提寺で終焉の地龍文寺がある。
神社は、周防国の延喜式内社二俣神社の論社の一つ。
今回は歩いてないんだけど参道は田園の中から神社へ向けて続く形で長いんですよね。
車を畑の脇にとめて参道を見に行って撮影後帰ると下の畑で麦にトラクターでね
農薬散布して終わるまで車へ戻れませんでした。終わった隙に乗り込み逃走。
やれやれ・・・。
撮影 iPhone SE2の映像と写真だけで構成
カメラ撮影の本編はまた作成。
豪族達と往く毛利元就の軌跡:第二十一話・尼子晴久の逆襲
陶晴賢「は?お前らで何とかしろよ」
第二十話:sm43682965
第二十二話:2024年6月22日予定
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は大寧寺の変直後に起こった尼子晴久の八ヶ国守護補任と、それに伴う備後における尼子vsに大内・毛利の戦いについて解説いたします。どうぞご覧ください。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」「久世町史」
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
河合正治 『安芸毛利一族』
岸田裕之 『毛利元就』
長谷川博史『大内氏の興亡と西日本社会』
池 享 『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
畑 和良 「猿懸城合戦と毛利氏の備中国経路」
原 慶三 「尼子氏の石見国進出をめぐって」
佐伯 徳哉「尼子氏興亡・毛利氏勃興をめぐる領域的支配と地域出雲西部・石見地域を中心に」
川岡 勉 「戦国期の権力秩序と出雲尼子氏」
川岡 勉 「中世後期備後における守護支配と国衆」
浅野 友輔「毛利氏の石見進出と江良房栄、備後三吉隆亮の動向」
柴原 直樹「守護山名氏の備後国支配と国人領主連合」
倉恒 康一「戦国期因幡武田氏の権力形成過程と家臣団構造」
和田 秀作「萩藩士宇野家と陶氏の系譜ー「宇野与一右衛門家文書」の再検討ー」
・使用楽曲
針の音楽:https://www.youtube.com/channel/UCk8CLZqSoSyYEHph6z3bnDg
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真
斑鳩の伽藍
ひび割れた金魚鉢
夢の後
不咲蕾未咲蕾
大和に散らばる不思議な森
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
https://twitter.com/kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
https://twitter.com/berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
Youtube; https://www.youtube.com/channel/UCRyZjTeQgxd8iXcL2P8vwNA
Twitter; https://twitter.com/SquareDeerHorn
豪族達と往く毛利元就の軌跡:第二十話・大寧寺の変
「末世の道者」遂に死す
第十九話:sm43340434
第二十一話:2024年5月18日予定
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は中国地方戦国史最大のターニングポイント、大寧寺の変について解説いたします。大寧寺の変の原因については補遺動画(sm43518757)にて解説していますのでどうぞご覧ください。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」「大内義隆記」
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』
河合 正治『安芸毛利一族』
藤井 崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
岸田 裕之『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
長谷川博史『大内氏の興亡と西日本社会』
魚屋 翔平「陶晴賢の改名時期について」
和田 秀作「陶氏の奉書署判者について」
西田 智洋「大内義隆の官位に関する一考察」
萩原 大輔「戦国期大内氏分国下向公家と「陶隆房の乱」」
中原 健 「陶隆房と大寧寺の変について」
・使用楽曲
針の音楽:https://www.youtube.com/channel/UCk8CLZqSoSyYEHph6z3bnDg
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真
斑鳩の伽藍
ひび割れた金魚鉢
夢の後
不咲蕾未咲蕾
ひび割れた金魚鉢
大和に散らばる不思議な森
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
https://twitter.com/kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
https://twitter.com/berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
Youtube; https://www.youtube.com/channel/UCRyZjTeQgxd8iXcL2P8vwNA
Twitter; https://twitter.com/SquareDeerHorn
陶氏の居城 若山城跡 陶晴賢!
山口県にある若山城跡を巡りました!
神社巡り→series/251647
武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
http://www.hmix.net
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第167回:下克上の策謀】
貴様らが消えた世界は、きっと骨のように綺麗だ・・!
応仁の乱にて山名宗全側(西軍側)に属し、宗全死後に西軍総大将の立ち位置となり
そのまま戦国時代において山陽・山陰・北九州等、計六カ国を支配下においた大内家。
大内家の家臣として仕えていた陶氏の家督を継いだ武将:陶隆房(すえ/たかふさ)。
大内家の第16第当主:大内義隆に寵愛され、青年期には武将へと取り立てられた。
(名の「隆」房に関しても一字を義「隆」から拝領したものである)
西国一の大勢力であった大内家であったが、中国地方にて台頭した尼子勢力に対して大内家は大敗。
以降、大内義隆は軍事面への興味をすっかりと失ってしまい
戦国大名としての大内氏は衰退の一途を辿っていこうとしていた。
隆房は戦場を駆ける武将として大内家武断派を担っており
義隆の非戦的な姿勢によって徐々に大内家での立場を失っていくこととなったのである。
文治派との対立、そして主である義隆との関係は絶望的に悪化していきとうとう隆房は武力蜂起を決行。
隆房の謀反に対して義隆及び文治派の対応は著しく遅く
兵力5000~10000の隆房に対して、2000~3000の兵しか用意できず
義隆は大寧寺に逃げ込んだ後に自害する結末となった。
(大内氏の乗っ取りに成功した隆房は、義隆から一字もらった隆房の名を捨て、以後は陶晴賢を名乗る)
大内氏の軍備強化を行った後に、晴賢はとうとう東へ軍を進める。
当初、晴賢の謀反を支持する姿勢を取っていた毛利家へ侵攻を開始したのである。
兵力2-3万の軍勢を以って必勝の構えで安芸国:厳島へ進軍するが
大軍ゆえの足回りの悪さを突かれ、兵力4000-5000程度の毛利軍に陸海からの挟撃を受ける。
これによって大混乱に陥った陶軍は数の利を活かすことなく大敗。
下克上の体現者:陶晴賢は志半ばにて戦死することとなった(戦国三大奇襲戦:厳島の戦い)
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
♫voicepeak♫ 〜 御朱印祭 2023〜 りりせ&フリモメンと行く「 岩国、下松 花の神社巡り」斎宮神社・花岡八幡編
桜の開花にわせて急遽 参拝日帰り旅。御朱印はR4/1/4初詣のものであります。
EM1mark3のカメラテストしてきた。iPhone se2の写真で補完した。
動画はダメだけどSDカード今調たら写真ならまあまのがあったのでスライドでも作るかねえ。
公開予約するつもりがうっかりエンターしちまったミスった^^;
この後 大内氏の守護神妙見様 降松神社へも寄って帰りました。余力があれば桜の記録を上げたいがここも2022.1.7に御朱印をいただいている。一応ほぼできたので二十八日にあげます。下松参拝行完結。
斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祀る。今回は桜と参道入り口も見てきた。昔は椙杜八幡の摂社になっていたらしい。
花岡八幡宮
古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。虚空蔵菩薩は近年建立された御本尊らしい。元々は観世音菩薩様かな。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建=御本尊は大日如来様。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。塔の映像は旧作動画の引用です。
名誉住職さんが名物和尚で昔KRYラジオなどでも出ていました。講演も聞いたことがある。
豪壮な御社殿と多宝塔〜周防降松の古社 花岡八幡宮参拝記 再編集 山口県下松市末武
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・少し短め。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。
2022年初詣の再編集版 映像の整理と音声ガイドにSiriを追加と音楽を変えた。
展望の城跡 上勝成山 勝成林道 車載登山 R4.5 廿日市市津田
広島県西部の廿日市市 津田。林道勝成線 車載登山(一分弱登山動画祭参加動画の番外編)
廿日市旧市内から山間部へ向けて走る県道30号線に乗り津田というところへ(旧佐伯郡佐伯町の中心部)ここから県道293号線へ乗り上田宗箇が隠棲した地の浅腹方面へ向かうと勝成山いこいの森の看板があり橋を渡ると林道が始まる。
かつては山には大内方の陶氏の勝成山城があったと言われている。
城主の名前が陶勝成であったそうです。新緑も美しく先週は山頂まで(同行者が登山無理なんで)車にて、今回は下勝成山(ここも城跡)分岐の少し上から林道登山しました。
この近辺では山頂からの眺望はピカイチですね。
山頂の映像は車載時と後日の登山時のものです。
山の説明をしてくれているハイカーさんの声が入ってますねw
音楽 ニコニ・コモンズより
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
作者名:のる 様
初夏の禅刹「松巌院’(しょうがん いん)」参拝と寺院庭園 山口県岩国市藤生
5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。
1分弱登山祭2022 上勝成山(かみかつなりやま)眺望の山頂でひと休み 廿日市市津田
初参加です!よろしく。広島県西部の廿日市市 津田。廿日市旧市内から山間部へ向けて走る県道30号線に乗り津田というところへ(旧佐伯郡佐伯町の中心部)ここから県道293号線へ乗り上田宗箇が隠棲した地の浅腹方面へ向かうと勝成山いこいの森の看板があり橋を渡ると林道が始まる。
かつては山には大内方の陶氏の勝成山城があったと言われている。
城主の名前が陶勝成であったそうです。新緑も美しく先週は山頂まで(同行者が登山無理なんで)車にて、今回は下勝成山(ここも城跡)分岐の少し上から林道登山しました。
この近辺では山頂からの眺望はピカイチですね。
山頂は山口県周南市のグループさんや単独行のベテラン(おそらく七十は過ぎてる)=古い山道の登山道が途中からわからんようなっとるとけ〜林道途中からきたと言われてました・・タフやわあ!
登山客がいて賑やかでした。いろいろ教えていただきました。ありがとう^^ございました。
5/18日登山。平日でも人気のやまでした。
秋から冬の澄んだ空がいいらしい四国まで見えるそうです。
御礼申し上げます みなさま広告恐れ入ります ^^;
音楽 ニコニ・コモンズより
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
作者名:のる 様
周南市 龍文寺!
周南市にある龍文寺に行ってきました!
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
色々八十八ヶ所巡礼→series/305597
幕末の志士長州藩→series/318152
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
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旧山陽道 周防花岡(2)〜 「花岡八幡宮」参拝記 第2稿 短め 山口県下松市末武
和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・少し短め。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
旧山陽道〜石畳の参道〜神社へ至る石段下の旧社坊の一つ(九つのうち唯一残った)閼伽井坊へまず参詣した。sm39925154
(2)は花岡八幡宮へ参拝初詣客は結構いたました。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。
旧山陽道 周防花岡(2)〜 「花岡八幡宮」参拝記 山口県下松市末武
和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・R4初詣の記録なのでやや長いです。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
旧山陽道〜石畳の参道〜神社へ至る石段下の旧社坊の一つ(九つのうち唯一残った)閼伽井坊へまず参詣した。(2)は花岡八幡宮へ参拝初詣客は結構いたました。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市
境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市
應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。
西国無双の侍大将 陶晴賢のお墓参り!
陶晴賢のお墓参りに行って来ました!
神社巡り→series/251647
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
http://www.hmix.net
強者達が夢の後…。ビンボウおじさん、プチデブを改善するために、お散歩…。鏡山城跡地にて…。
広島県東広島市広島大学近く、鏡山城跡地…。
大内氏の安芸での拠点…。
大内氏と尼子氏が安芸の覇権をかけて争った場所であり。毛利氏と大内氏(陶氏)が安芸と山口の覇権をかけて度々争った場所でもあります。
お昼があれば、運動、ドライブがてらに寄り道してはどうですか?