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【VOICEVOX劇場】クイズグランプリ#4 文学・歴史
懐かしテレビシリーズです。
なるべく新しい話題を出題したいのですが、オッサンなので無理です。
みんなも答えを考えながら見てね!
『クイズグランプリ』は、1970年3月30日から1980年12月26日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のクイズ番組である。
月曜 - 土曜 19:30 - 19:45 (1970年3月30日 - 1974年9月28日)
月曜 - 金曜 19:30 - 19:45 (1974年9月30日 - 1980年12月26日)
司会:小泉博
オープニングテーマ音楽: 細野晴臣
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
次回作:まだ
〇ボイス元 ずんだもん・四国めたん・春日部つむぎ・模型娘のもち子さん(cv明日葉よもぎ)・WhiteCUL・雨晴はう・九州そら
VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/
〇YMM4Lite:https://commons.nicovideo.jp/material/nc236011
〇効果音ラボ:https://soundeffect-lab.info/
〇ずんだもん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10788496
〇四国めたん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10791276
〇春日部つむぎ立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10849150
〇雨晴はう立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10880094
〇九州そら立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10924061
〇WhiteCUL立ち絵 moiky様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11047926
〇模型娘のもち子さん公式立ち絵 もちぞら模型店様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10972243
【VOICEVOX劇場】クイズグランプリ#3 芸能・音楽
懐かしテレビシリーズです。
昔のクイズ番組の問題は出題のテンポも速いし本当に難しかったです。
回答者は一般人だから賞金安いし。
『クイズグランプリ』は、1970年3月30日から1980年12月26日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のクイズ番組である。
月曜 - 土曜 19:30 - 19:45 (1970年3月30日 - 1974年9月28日)
月曜 - 金曜 19:30 - 19:45 (1974年9月30日 - 1980年12月26日)
司会:小泉博
オープニングテーマ音楽: 細野晴臣
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
次回作:https://www.nicovideo.jp/watch/sm43845532
〇ボイス元 ずんだもん・四国めたん・春日部つむぎ・模型娘のもち子さん(cv明日葉よもぎ)・WhiteCUL・雨晴はう・九州そら
VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/
〇YMM4Lite:https://commons.nicovideo.jp/material/nc236011
〇効果音ラボ:https://soundeffect-lab.info/
〇ずんだもん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10788496
〇四国めたん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10791276
〇春日部つむぎ立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10849150
〇雨晴はう立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10880094
〇九州そら立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10924061
〇WhiteCUL立ち絵 moiky様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11047926
〇模型娘のもち子さん公式立ち絵 もちぞら模型店様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10972243
【作曲してみた】1980年代の玩具たちの行進 March of 1980s toys
この動画がいいね!と思った方はこちらから投げ銭をどうぞ↓
https://kampa.me/t/lvo
★SpotifyやiTunes Storeなどへ音楽配信をはじめました。詳細は下記をごらんください。★
https://youhei-red.info/music/
https://youhei-red.seesaa.net/article/503358581.html
オリジナル曲です。
レトロな曲調を目指してみました。
変イ長調
・Square Wave
・マリンバ
・クラリネット
・バイオリン
・アコーディオン
・パーカッション
1980年代の玩具たちの行進 March of 1980s toys Music by youhei_red
https://youhei-red.info/
https://twitter.com/youhei_red
https://youhei-red.seesaa.net/
https://big-up.style/artists/29647
https://youhei-red.tumblr.com/
https://bsky.app/profile/youhei-red.bsky.social
気になったニュース【訃報】今くるよさん(76)死去「どやさ」と叫ぶギャグで知られる 今くるよさん すい臓がん ご冥福をお祈りします
今くるよさん(76)死去 「どやさ」と叫ぶギャグで知られる NHKニュース 漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で一世をふうびし、「どやさ」と叫ぶギャグで知られる今くるよさんがすい臓がんのため、27日、大阪市内の病院で亡くなりました。76歳でした。
漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で一世をふうびし、「どやさ」と叫ぶギャグで知られる今くるよさんがすい臓がんのため、27日、大阪市内の病院で亡くなりました。
76歳でした。
今くるよさんは京都市出身で、昭和45年に漫才師の今喜多代さんに弟子入りし、その後、高校の同級生で同じソフトボール部だった今いくよさんと漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成しました。
ふくよかな体型に派手な衣装のくるよさんと、細身の体型に濃いめのメークとつけまつげがトレードマークのいくよさんの軽妙なかけあいが人気を集め、1980年代の漫才ブームにものって一世をふうびしました。
中でもくるよさんがおなかをたたきながら「どやさ」と叫ぶ体をはったギャグは観客を笑わせました。
2人は昭和59年の上方漫才大賞の大賞をはじめ数々の賞を受賞したほか、女流漫才師のパイオニアとしてテレビやラジオ、舞台などで活躍し、長年にわたり幅広い人気を集めてきました。
相方のいくよさんは胃がんのため9年前に亡くなり、くるよさんはおととし(令和4年)大阪での公演に出演しましたが、その後体調を崩し、すい臓がんのため、27日に大阪市内の病院で亡くなりました。
76歳でした
ご冥福をお祈りします□
http://totalnewsjp.com/2024/05/28/fuho-35/
くるよ いきよくるよ どやさ 漫才 お笑い すい臓がん 訃報 早すぎる死 超過死亡 著名人の死 止まらない訃報
【VOICEVOX劇場】クイズグランプリ#2 科学
懐かしテレビシリーズです。
古谷徹さんの一発ネタのつもりだったので、まさか続くとは思わなかった!?
明日の分もこれから考えます。
『クイズグランプリ』は、1970年3月30日から1980年12月26日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のクイズ番組である。
月曜 - 土曜 19:30 - 19:45 (1970年3月30日 - 1974年9月28日)
月曜 - 金曜 19:30 - 19:45 (1974年9月30日 - 1980年12月26日)
司会:小泉博
オープニングテーマ音楽: 細野晴臣
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
次回作:https://www.nicovideo.jp/watch/sm43844106
〇ボイス元 ずんだもん・四国めたん・春日部つむぎ・模型娘のもち子さん(cv明日葉よもぎ)・WhiteCUL・雨晴はう・九州そら
VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/
〇YMM4Lite:https://commons.nicovideo.jp/material/nc236011
〇効果音ラボ:https://soundeffect-lab.info/
〇ずんだもん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10788496
〇四国めたん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10791276
〇春日部つむぎ立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10849150
〇雨晴はう立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10880094
〇九州そら立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10924061
〇WhiteCUL立ち絵 moiky様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11047926
〇模型娘のもち子さん公式立ち絵 もちぞら模型店様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10972243
【VOICEVOX劇場】クイズグランプリ#1 古谷徹大会
懐かしテレビシリーズです。
果たしてニコニコ見ている人の中で、何人がこの番組を見たことあるのでしょうか?
『クイズグランプリ』は、1970年3月30日から1980年12月26日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のクイズ番組である。
月曜 - 土曜 19:30 - 19:45 (1970年3月30日 - 1974年9月28日)
月曜 - 金曜 19:30 - 19:45 (1974年9月30日 - 1980年12月26日)
司会:小泉博
オープニングテーマ音楽: 細野晴臣
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
次回作:https://www.nicovideo.jp/watch/sm43843319
〇ボイス元 ずんだもん・四国めたん・春日部つむぎ・模型娘のもち子さん(cv明日葉よもぎ)・WhiteCUL・雨晴はう・九州そら
VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/
〇YMM4Lite:https://commons.nicovideo.jp/material/nc236011
〇効果音ラボ:https://soundeffect-lab.info/
〇ずんだもん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10788496
〇四国めたん立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10791276
〇春日部つむぎ立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10849150
〇雨晴はう立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10880094
〇九州そら立ち絵 坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10924061
〇WhiteCUL立ち絵 moiky様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11047926
〇模型娘のもち子さん公式立ち絵 もちぞら模型店様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10972243
ジャズ・アット・ザ・武道館
昭和の1980~1982年頃、日本武道館では連日満員のジャズコンサートが行われるほどジャズが盛り上がっていました。ここではその頃の武道館におけるジャズコンサートの一部をいろいろ取り上げていきます。
1980年
#00:00 渡辺貞夫グループ(& デイブ・グルーシン、スティーヴ・ガッド、東京フィルハーモニー、他)
#15:49 Jazz Of The 80's (ブレッカ・ブラザース、ジョージ・デューク、他)
#36:11 King Of Swing (ベニー・グッドマン、テディ・ウイルソン、他)
1981年
#54:28 クインシー・ジョーンズ (& ルイス・ジョンソン、原信夫とシャープス&フラッツ、他)
#68:10 ライオネル・ハンプトン・オールスター・ビッグバンド
#84:58 Fusion Super Jam (ヒューバート・ロウズ、レオン・ンドゥグ・チャンクラー、他)
#101:15 モダン・ジャズ・カルテット
1982年
#118:33 デイブ・グルーシン・アンド・ドリームオーケストラ (& リー・リトナー、他)
#135:35 AJF '82 All Star Jam (J&K、クラーク・テリー、デクスター・ゴードン、他)
#153:38 ジャコ・バストリアス・ビッグバンド
曲数は全27曲です。
※1981年のクインシー・ジョーンズのライブでは最後の「愛のコリーダ」で観客総立ちで熱狂し、二階席正面最前列にいた大島渚監督も立ち上がり手拍子をとるエキサイトぶりだったとか。
初音ミク 恋人よ 【 五輪真弓 】
1980年リリースの五輪真弓の18枚目のシングルで、代表曲の一つ「恋人よ」のボーカロイドカバー曲です。自身の投稿としてはリメイク版になります。
作詞・作曲は五輪真弓です。
お借りした物
・ひげにんじんさんの秋の公園ステージ
・怪獣対若大将Pさんの夕焼け空CC2
・moto syunさんの裸の心歌唱モーション(一部改変)
・Tda式乙女解剖初音ミク
使用したソフト・エフェクト
・ととさんのrip-motion
・akeruさんの被写体深度のポストエフェクト
・ElleさんのAdultShader
・winglayerさんの枯葉パーティクル
ボーカロイド
・初音ミクV4(Dark)
※楽しんで聞いていただけると幸いです。(key=Gm,tempo=68)
※初音ミクの声域に合わせて移調しています。
※STUDIOじぃじ様、勝演会様、moto syun様、広告ありがとうございました。
P-MODEL ♪ヘルス・エンジェル ~ ミサイル (テレビの公開収録 1980年)
テレビ朝日「ジャム・ジャム‘80s New Wave」(1980年2月25日/東京科学技術館 サイエンスホール)
ラヴ・イズ・オーヴァー〜欧陽菲菲〜ウクレレで演奏してみました
欧陽菲菲『ラヴ・イズ・オーヴァー』
1979年に発売された
「うわさのディスコ・クイーン」の
B面に収録されていた曲で
それ自体は大きくヒットとは
いかなかったようですが
その後、ラヴ・イズ・オーヴァーが
クラブのママたちに
歌われて口コミで広がり
1980年にA面として
発売されて世界的なヒットとなりました
この曲のイメージは
欧陽菲菲さんが
カッコよく歌い上げているので
ウクレレに合うかなー?と
思って弾いてみると
ウクレレでも良いっ!!!
意外にも合う♪
【歌うVOICEVOX】春日部つむぎ、ずんだもん、四国めたんが「ガンダーラ」を歌ってみた(VOICEVOXハミング/ファミコン音源)【VOICEVOXカバー】
ゴダイゴの「ガンダーラ」を、春日部つむぎ、ずんだもん、四国めたんに歌ってもらいました。
春日部つむぎ、ずんだもん、四国めたんの歌声は、VOICEVOXのソング機能で作りました。
伴奏は、MMLファイルをコンパイルしファミコン音源を作成するツールのppmckで作りました。
ミキシング等は、DTMソフトのGarageBandとSTUDIO ONEを使いました。
----------
▼動画にお借りしている素材
■この動画は以下の音声ライブラリを使用させて頂いております
VOICEVOX:春日部つむぎ 作者:hiho様
VOICEVOX:ずんだもん 作者:hiho様
VOICEVOX:四国めたん 作者:hiho様
https://twitter.com/hiho_karuta
■この動画の立ち絵は以下のものを使わせて頂いております
[立ち絵]
春日部つむぎ素材 作者:坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10849150
ずんだもん立ち絵素材改 作者:坂本アヒル様
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im11148236
四国めたん立ち絵素材
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10791276
■この動画の素材は以下のものを使わせて頂いております
イラストAC https://www.ac-illust.com/
Pixabay
https://pixabay.com/ja/
春日部つむぎが歌ってみた
series/418623
----------
◆アニソンを歌ってみた mylist/74120040
◆1960年代の歌を歌ってみた mylist/74120086
◆1980年代の歌を歌ってみた mylist/74120110
◆1990年代の歌を歌ってみた mylist/74120105
◆2000年代の歌を歌ってみた mylist/74120053
◆ファミコンで演奏してみた mylist/74120071
◆VOICEVOX旅行 mylist/74417290
◆足立レイのカメラ散歩 mylist/75603612
歌がねぇ歌謡曲 【80's 洋楽編】 第2回 「Rick Astleyだけ」
1980年代の洋楽を独断と偏見でセレクトした「歌がねぇ歌謡曲」ですが・・・。
今回は「リック・アストリーだけ」で25分ほどお付き合いください。
●ガイドメロディなし
●コーラスなし
●イントロ前のカウントなし(合図もなく、いきなり始まります)
・・・と、素人さんのカラオケには「とっても優しくない仕様」となっております。
ドライブ中のBGMに、お二人の「お楽しみ時」のBGMに、お仕事中のBGMに・・・。
◆一部、大人の事情で編集途中の音源を使用しています。
マスタリング処理が「甘すぎ」たり、フェード処理がもの凄く「雑すぎる」楽曲が含まれることを
予めご承知おき願います。
◆オリジナル楽曲に極力沿ったアレンジとなっておりますが、大人の事情で演奏者の都合に合わせて
改変している楽曲が一部ございます。こちらについても予めご承知おき願います。
歌がねぇ歌謡曲 【80's 洋楽編】 第1回
1980年代の洋楽を独断と偏見でセレクトした「歌がねぇ歌謡曲」です。
●ガイドメロディなし
●コーラスなし
●イントロ前のカウントなし(合図もなく、いきなり始まります)
・・・と、素人さんのカラオケには「とっても優しくない仕様」となっております。
ドライブ中のBGMに、お二人の「お楽しみ時」のBGMに、お仕事中のBGMに・・・。
30分程度、サクッとお付き合いください。
◆一部、大人の事情で編集途中の音源を使用しています。
マスタリング処理が「甘すぎ」たり、フェード処理がもの凄く「雑すぎる」楽曲が含まれることを
予めご承知おき願います。
◆オリジナル楽曲に極力沿ったアレンジとなっておりますが、大人の事情で演奏者の都合に合わせて
改変している楽曲が一部ございます。こちらについても予めご承知おき願います。
【2007年】『髪も服もすべてが燃えた』『振り返っていたら命はなかった』1500℃の溶けた鉄の塊を浴びた作業員たち 32人が溶鉄に飲み込まれる 『遼寧省特殊鋼工場事故』【ゆっくり解説】
#00:00 OP
#00:07 視聴上の注意
#00:33 本編開始
#00:41 特殊鋼製造業者
#1:50 夜勤明けのAさんを襲った事故
#2:58 1500℃以上の溶けた鉄
#4:10 引継ぎ中だった32人は逃げられず・・・
#5:33 「振り返ってたら命はなかった」
#6:55 その後の調査
#8:20 溶鉄に閉じ込められた被災者と事故原因
今回紹介するのは、中国で発生した労災事例です。
中華人民共和国東北部に位置する、遼寧省には一つの工場がありました。
この工場は1980年代から、特殊鋼という金属を生産しており、この日も昼夜をとわず、大量の金属が溶かされ、混ぜられていました。
作業員男性の「Aさん」はこの日の午前八時ごろ。前日からの夜勤を終え、日勤の作業員への引継ぎを行うため、工場内の会議室に入っていましたが、突然「ゴォォン!」という大きな音が鳴り、それを聞いたAさんは慌てて音とは反対側に跳ぶように走りました。
なんと、工場内のレーンに吊り下げられていた、30tもの溶けた鉄を入れる容器、取鍋がレーン脱落し、中身の溶鉄が流出してしまっていたのです。
Aさんは全力で外へと逃げましたが、それでも背中に飛び散った溶鉄が降りかかり、髪の毛や衣服は熱波で溶けてしまったといいます。
不幸中の幸いか、Aさんは命からがら逃げだすことが出来ましたが、会議室に居た30名あまりの作業員たちは、流出した溶鉄をまともに浴びてしまい・・・・
アメリカ ドラゴンボール 全米制覇の道【ゆっくり解説】(日本アニメの歴史)
次回作 →
前回の動画 → sm43438231
1984年に作者の鳥山明さんが少年ジャンプにて
「ドラゴンボール」の連載が始まると、日本では大ヒットを記録して
世界を含めて2億6000万部の累計発行部数を誇ります。
アメリカでは1998年にドラゴンボールZが
カートゥーン ネットワークの放送をきっかけに人気に火が付き
その勢いは全世界に広がり、2000年初頭はドラゴンボールブームとなりました。
ドラゴンボールの海外進出への試みは、1980年代から始まっており
アメリカにも何度か進出の試みがありましたが、当初は苦戦が続いていました。
今回はドラゴンボールが、アメリカで人気なるまでの経緯と
世界的なブームに至るまでの歴史を紹介したいと思います。
■ゆっくり 漫画アニメ研究部
https://www.nicovideo.jp/mylist/73122541
■参考動画
・RantNavv Talks Anime
https://www.youtube.com/watch?v=hfsC-2ZqXUY
・ドラゴンボールZ アメリカでの覇権への道
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32904897
■使用素材(BGM)
・ドラゴンなアニメOP風、パロディ
https://audiostock.jp/audio/1533238
・ヒーロー見参!変身!必殺技!解決法発見!
https://audiostock.jp/audio/96848
・進入!急襲!最前線の作戦会議
https://commons.nicovideo.jp/works/nc199344
・アジアン、中華風、壮大、メロディアス
https://audiostock.jp/audio/474986
・アニメ劇伴風/ロボット/作戦/戦闘/重厚
https://audiostock.jp/audio/1492599
・映画のOPの様な緊迫感のあるオーケストラ
https://audiostock.jp/audio/872585
・フリーBGM・音楽素材 MusMus 「ヴァニラ」
https://musmus.main.jp/music_img1_05.html
■その他のシリーズ
週刊マンガ雑誌の歴史シリーズ(ゆっくり解説)
https://www.nicovideo.jp/mylist/71067972
【音MADメドレー】音MAD 1980's
音MADに巻き込まれた1980年代に活躍した音楽アーティストや楽曲をメドレーにしてみました!
初めて作るニコニコメドレーですが、ぜひ聴いていってください!
(「おとまっど ないんてぃーんえいてぃーず」と読みます)
スプレッドシート→ https://docs.google.com/spreadsheets/d/1VVEAR3FYxcQCrVVP1-WYCaVlh4FVxd_iHQveAThGsyw/edit#gid=0
ニコメドスタダ勢へ........時間が無いからといって辞退したくせにメドレーが完成した事をお詫びします
<マル激・後半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
前半はこちら→so43776101
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
後半はこちら→so43776271
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「青い山脈」矢野顕子バージョン ピアノ演奏 (録り直し:2024年05月12日)
高校生だった1980年からずっと弾き続けています(学生~社会人時代の約40年間ブランク有り)。
アルバム「ごはんができたよ」の発売に当てて、FM東京だったかNHKFMだったかで放送された矢野顕子のソロピアノのスタジオライブをラジカセでエアチェックしたクロムカセットテープを擦り切れるまで聴いて(擦り切れなかったけどね(・∀・)b)、なんとか似たように演奏できないか弾いていた矢先に受験勉強が始まってピアノからも音楽からも遠ざかってはや40年以上が経ちましたが、だいたいこんな感じだったのではないかと思います。
拍子の記憶があやふやだったので、アルバム「ごはんができたよ」収録のバージョンの拍子を参考にしました。
アッコちゃんのアルバム「ごはんができたよ」のLPレコードは、1980年の発売と同時にお小遣いをはたいて買いました。今も宝物です!
※昨日(2024年05月11日)にアップした動画より良かったので、この動画に差し替えました。
YMO「千のナイフ」をCASIO CT-X3000で演奏してみた
高橋幸宏氏、坂本龍一氏の追悼として制作していた、YMO「千のナイフ」のカバー曲がようやく完成しました。音源は昨年購入したCASIO CT-X3000です。
最近の若者はYMOなんて知らないでしょうね。1980年代の80'sサウンド、当時は時代の最先端だったテクノサウンドも今では昭和の懐メロです。w
映像の鳥凧はYMOとは関係のないプロモーション用です。
#YMO #1980s #CASIO #CTX3000 #坂本龍一 #高橋幸宏
<マル激・後半>今こそ日本を立て直すための「プランB」を実現しよう/吉見俊哉氏(国学院大学観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授)
日本では戦後一貫して自民党が「プランA」の担い手だった。そして自民党政治が限界を迎えた今、日本を立て直すための「プランB」を実現するための好機が訪れているのではないか。
衆院の補選で自民党が3連敗した。裏金スキャンダルの影響が指摘されるが、そもそも今回の裏金問題は日本における過去十数年の政治の実態が、党の支持基盤が細る一方の自民党が億単位の裏金を駆使して辛うじて選挙に勝利し権力を維持してきた歴史だったことを露わにしていると見るべきだろう。ゴールデンウィーク明けから本格化する政治資金規正法改正案の審議でも、自民党は何があっても億単位のおカネを選挙や政治活動に自由に使える裏金を作れる仕組みや、内訳を一切明らかにしなくてもいい、事実上の政党の「官房機密費」の役割を果たしている政策活動費だけは、決して手放そうとしない。裏金なくして自民党政治は成り立たないからだ。
今回の補選の結果が自民党政治の終焉を意味するのか、あるいはこれまでのように自民党に一時的に「お灸をすえる」程度のもので終わるのかは、未知数だ。しかし、仮に何らかの方法で自民党が党勢を回復させたとしても、それだけでは日本が抱える大問題には何の解決策にもならない。
日本がかつて戦後の焼け野原からの奇跡的な復興を果たし、ほんの短い間とは言え世界に冠たる経済大国になることを可能にした「プランA」に代わる「プランB」を打ち出せない限り、30年を超える日本の低迷は今後も続くことが不可避だ。ある意味で、日本のプランAと自民党政治は表裏一体の関係にあった。だから、自民党政治が続く限り日本はプランAからプランBへの転換は困難だった。しかし、自民党政治が限界を露呈している今、プランAと決別し政治、経済、社会のあらゆる分野における国の運営を新しいプランに基づくものに転換するチャンスが訪れている。
しかし、日本にとってのプランBとは何なのかを考えるためには、まずそもそも日本が今まだその線上に乗っているプランAとは何だったのか、そしてなぜある時期までプランAは機能し、いつ頃からどのような理由でプランAは機能しなくなったのか。そして、何よりもなぜ日本はここまでプランBを打ち出すことができないのかを、まずは厳しく検証しなければならない。
その検証と反省の上に立ち、21世紀の日本にとってのプランBとはどのようなものでなければならないのか、そしてそれを実現するために、われわれは何をどう変えなければならないのかなどを考える必要があるだろう。
はっきりしていることは、プランAが一時期非常にうまく機能し、世界から「エコノミック・ミラクル」とまで称賛されるような復興と高度経済成長を果たせた最大の理由は、空前の人口ボーナスと内政と経済活動に集中することが許される特殊な国際情勢があったからだ。そして、その前提がほぼすべて崩れている今、プランAがうまくいかないのは当たり前のことだった。
社会学者でまちづくりの専門家でもある吉見俊哉・国学院大学教授は、戦後復興のプランAは1980年代の中曽根民活あたりから始まった新自由主義路線により、プランA1からプランA2へと表面的には姿を変えたが、いずれもその核心は量的な成長・拡大を志向した途上国モデルに過ぎなかったと言う。それを前提に吉見氏は、プランBの核心は自ずと成長・拡大モデルを捨てることになると指摘する。そしてその象徴として吉見氏は東京一極集中を挙げる。すべてを東京に集中させれば効率はよくなるが、満員電車や住宅事情や空洞化した人間関係を見るまでもなく、その分、人々の生活から豊かさや人間性は失われる。そして、その東京の出生率が極端に低いため、東京に人が集まれば集まるほど人口減少に拍車がかかる。効率を追求する中で、社会全体を高速化しなければならないという強迫観念から脱却することが、プランBの中で重要なウエイトを占めることになると吉見氏は言う。
また、日本にとってのプランBは、プランAのように霞が関のエリート官僚が勝手に作成し、それを上意下達していくものでは機能しない。社会が複雑化し、利害関係が複雑に絡み合う今日、意思決定の方向性を上意下達型から内発型にしない限り、プランBがどんなに立派な内容であったとしても、それが心情的に市民から受け入れられることはないだろう。つまりプランBはその中身の妥当性も問われるが、同時にその決め方や政策が実行される際のベクトルが重要な要素を占めることになる。
そうして考えていくと、まだまだお上意識が強く、変に国や社会の意思決定に参加するよりも、「任せてブーたれる」方が楽だと考える人が多数を占める今日の日本で、プランBを策定し実行することは決して容易ではないかもしれない。しかし、それなくして日本の再興があり得ない以上、どこかでわれわれは必ずその問題と向き合わなければならなくなる。そして、それが早ければ早いほど、痛みが少なくて済むことは言うまでもない。
日本はなぜプランBを打ち出せないのか、そもそもプランAとは何だったのか、プランAを支えていた前提条件とは何か、それがなくなった今、日本に必要なプランBとはどのようなものなのかなどについて、国学院大学観光まちづくり学部教授の吉見俊哉氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43745961
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<マル激・前半>今こそ日本を立て直すための「プランB」を実現しよう/吉見俊哉氏(国学院大学観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授)
日本では戦後一貫して自民党が「プランA」の担い手だった。そして自民党政治が限界を迎えた今、日本を立て直すための「プランB」を実現するための好機が訪れているのではないか。
衆院の補選で自民党が3連敗した。裏金スキャンダルの影響が指摘されるが、そもそも今回の裏金問題は日本における過去十数年の政治の実態が、党の支持基盤が細る一方の自民党が億単位の裏金を駆使して辛うじて選挙に勝利し権力を維持してきた歴史だったことを露わにしていると見るべきだろう。ゴールデンウィーク明けから本格化する政治資金規正法改正案の審議でも、自民党は何があっても億単位のおカネを選挙や政治活動に自由に使える裏金を作れる仕組みや、内訳を一切明らかにしなくてもいい、事実上の政党の「官房機密費」の役割を果たしている政策活動費だけは、決して手放そうとしない。裏金なくして自民党政治は成り立たないからだ。
今回の補選の結果が自民党政治の終焉を意味するのか、あるいはこれまでのように自民党に一時的に「お灸をすえる」程度のもので終わるのかは、未知数だ。しかし、仮に何らかの方法で自民党が党勢を回復させたとしても、それだけでは日本が抱える大問題には何の解決策にもならない。
日本がかつて戦後の焼け野原からの奇跡的な復興を果たし、ほんの短い間とは言え世界に冠たる経済大国になることを可能にした「プランA」に代わる「プランB」を打ち出せない限り、30年を超える日本の低迷は今後も続くことが不可避だ。ある意味で、日本のプランAと自民党政治は表裏一体の関係にあった。だから、自民党政治が続く限り日本はプランAからプランBへの転換は困難だった。しかし、自民党政治が限界を露呈している今、プランAと決別し政治、経済、社会のあらゆる分野における国の運営を新しいプランに基づくものに転換するチャンスが訪れている。
しかし、日本にとってのプランBとは何なのかを考えるためには、まずそもそも日本が今まだその線上に乗っているプランAとは何だったのか、そしてなぜある時期までプランAは機能し、いつ頃からどのような理由でプランAは機能しなくなったのか。そして、何よりもなぜ日本はここまでプランBを打ち出すことができないのかを、まずは厳しく検証しなければならない。
その検証と反省の上に立ち、21世紀の日本にとってのプランBとはどのようなものでなければならないのか、そしてそれを実現するために、われわれは何をどう変えなければならないのかなどを考える必要があるだろう。
はっきりしていることは、プランAが一時期非常にうまく機能し、世界から「エコノミック・ミラクル」とまで称賛されるような復興と高度経済成長を果たせた最大の理由は、空前の人口ボーナスと内政と経済活動に集中することが許される特殊な国際情勢があったからだ。そして、その前提がほぼすべて崩れている今、プランAがうまくいかないのは当たり前のことだった。
社会学者でまちづくりの専門家でもある吉見俊哉・国学院大学教授は、戦後復興のプランAは1980年代の中曽根民活あたりから始まった新自由主義路線により、プランA1からプランA2へと表面的には姿を変えたが、いずれもその核心は量的な成長・拡大を志向した途上国モデルに過ぎなかったと言う。それを前提に吉見氏は、プランBの核心は自ずと成長・拡大モデルを捨てることになると指摘する。そしてその象徴として吉見氏は東京一極集中を挙げる。すべてを東京に集中させれば効率はよくなるが、満員電車や住宅事情や空洞化した人間関係を見るまでもなく、その分、人々の生活から豊かさや人間性は失われる。そして、その東京の出生率が極端に低いため、東京に人が集まれば集まるほど人口減少に拍車がかかる。効率を追求する中で、社会全体を高速化しなければならないという強迫観念から脱却することが、プランBの中で重要なウエイトを占めることになると吉見氏は言う。
また、日本にとってのプランBは、プランAのように霞が関のエリート官僚が勝手に作成し、それを上意下達していくものでは機能しない。社会が複雑化し、利害関係が複雑に絡み合う今日、意思決定の方向性を上意下達型から内発型にしない限り、プランBがどんなに立派な内容であったとしても、それが心情的に市民から受け入れられることはないだろう。つまりプランBはその中身の妥当性も問われるが、同時にその決め方や政策が実行される際のベクトルが重要な要素を占めることになる。
そうして考えていくと、まだまだお上意識が強く、変に国や社会の意思決定に参加するよりも、「任せてブーたれる」方が楽だと考える人が多数を占める今日の日本で、プランBを策定し実行することは決して容易ではないかもしれない。しかし、それなくして日本の再興があり得ない以上、どこかでわれわれは必ずその問題と向き合わなければならなくなる。そして、それが早ければ早いほど、痛みが少なくて済むことは言うまでもない。
日本はなぜプランBを打ち出せないのか、そもそもプランAとは何だったのか、プランAを支えていた前提条件とは何か、それがなくなった今、日本に必要なプランBとはどのようなものなのかなどについて、国学院大学観光まちづくり学部教授の吉見俊哉氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43746114
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
松田聖子 超多忙の聖子ちゃんカジュアルな普段着で登場 ガラスの林檎
ガラスの林檎
作詞:松本隆
作曲:細野晴臣
編曲:細野晴臣・大村雅朗
1983年8月1日発売
「ガラスの林檎」は、『第9回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』ゴールデングランプリ受賞曲(1983年10月25日)。大賞クラスの受賞は、前年の『第11回FNS歌謡祭』グランプリ「野ばらのエチュード」以来2度目。オリコン発表の売上枚数は85.7万枚←オリコン発表でこの数字は、かなり誤差がある。実際は両A面になったSWEET MEMORIESも含めば、ミリオンヒットは間違いない。
聖子ちゃんのシングルとしては「あなたに逢いたくて〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう」に次ぐ売り上げを記録し、1980年代にリリースしたシングルの中では最大のヒットとなっている。←これに関しても疑問が残る。正確に数字を取れば、青い珊瑚礁、ガラスの林檎&SWEET MEMORIESが上回っている可能性もある。
制作秘話
作曲の細野さんは、制作に当たり、ディレクターからサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』のような曲を作って欲しいと依頼された。
作詞の松本隆さんは、同年に聖子ちゃんに提供した楽曲『秘密の花園』『天国のキッス』とあわせて、「たまたま、ある種宗教的な世界、シュプリーム(至上)のもの(がテーマだった)」「花園とか天国とか林檎とか…そういうものは、性的であって、同時に聖なるものだと思う」と語っている。
松本さんと細野さんの共作の場合、通常は松本さんの詞先で制作されていたが、マンネリ化を懸念した細野さんが曲先で作ろうと提案していた。しかし、いざ作り始めると作業が行き詰まったため、結局、松本さんが、スタジオの廊下にあるソファーの上で急遽、詞を書き上げたという逸話を後に語っている。
歌番組での歌唱時、当初はイントロやAメロ部分も振付があったが、次第にほとんどなくなった。
本曲で1983年の『第25回日本レコード大賞』金賞、『FNS歌謡祭』最優秀歌唱賞など、多くの賞レース番組で各賞を受賞した。同年『第34回NHK紅白歌合戦』披露曲
ブラッドレーがアヴディウカ市近くでロシアのIFVを接近戦で待ち伏せ
重要な瞬間! アメリカのブラッドレー車両がアヴディウカ市近くでロシアのIFVを接近戦で待ち伏せ
ウクライナが東部前線でロシアの進軍を阻止しようと努めている中、新たな映像には、米国が供給したブラッドレー歩兵戦闘車が、荒廃したウクライナの都市アヴディウカ付近で数台のロシアの装甲車両と戦車を攻撃している様子が映っているようだ。
(ブラッドレー解説)1972年新しい歩兵戦闘車の開発計画を発表し、FMC社はこれに対してXM723を提示した。ソ連のKPV 14.5mm重機関銃に耐えられる装甲を備え、3名の乗員と8名の歩兵を輸送できた。XM723は当初、M139 20mm機関砲を備えた1名用砲塔を搭載していたが、1976年、これは、M242 25mm機関砲とBGM-71 TOW対戦車ミサイルを備えた2名用砲塔に換装され、この改正型はMICV TBAT-IIと呼ばれるようになった。また、車内では標準的なM16自動小銃では長すぎて扱いづらいことから、乗車戦闘専用の小銃として、M231 FPWの開発も進められた。
この時期、歩兵部隊が歩兵戦闘車を要請していたのと同様、騎兵部隊も新しい装甲偵察車を必要としていた。このことから、XM723と同時に、軽量の装甲偵察車の要求がなされ、M139 20mm機関砲を搭載したXM800装甲偵察車が開発された。しかし、XM800計画で提示された2つの案はいずれも期待外れで制式採用には至らなかったことから、1975年、装甲偵察車の計画はMICV計画と合流することとなった。
1977年、MICV TBAT-IIはXM2と改名され、その装甲偵察車型(アメリカ陸軍では「騎兵戦闘車(CFV))はXM3と呼ばれるようになった。1977年、議会は一時的に予算を差し止めたものの、陸軍は、コストと開発期間の不足を訴えてXM2/3計画の推進を主張し、1978年10月、議会は陸軍の主張を受け入れた。1979年12月、XM2/3は最終試験に合格して制式化され、1980年2月1日、量産が認可された。M2/3は、第二次大戦のヨーロッパ戦線で活躍したオマール・N・ブラッドレー元帥にちなんで、ブラッドレーと命名された。アメリカ軍での運用が開始された1981年以降、6,724両が生産された。
1980年に量産が認可されて以降、1994年までにIFV/CFVの2種で総数6,724両が生産された。アメリカの兵器製造委託企業ユナイテッド・ディフェンスが製造を請け負っていたが、2005年にユナイテッド・ディフェンスを買収したBAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツで製造と改修がなされている。なお、平均単価は317万USドルである。
松田聖子 32歳聖子ちゃんが歌う♡ 青い珊瑚礁
青い珊瑚礁
作詞:三浦徳子
作曲:小田裕一郎
編曲:大村雅朗
1980年7月1日にCBS・ソニーからリリースされた2枚目のシングル。1989年には8cmCDとして、2004年には紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCDとして再発された。また、2010年には、『Seiko Matsuda Single Collection 30th Anniversary Box 〜The voice of a Queen〜』に含まれる一枚として、2010年最新デジタル・リマスタリング高音質Blu-spec CD仕様で再発された。
CBS・ソニーの発表でミリオンセラーを記録。
グリコ・アイスクリーム『ヨーレル』CM曲。元々のタイトルは「青い太陽」(2021年11月3日NHK-FM、『今日は一日"松田聖子"三昧』より)。
松田聖子の名を世に広めた初期の代表曲で、過去の名曲を振り返る特番などでも頻繁に採り上げられる楽曲。
曲先で制作され、プロデューサーの若松宗雄さんが作曲者・小田裕一郎さんの自宅を訪ね作品のイメージを話すと、小田さんがギターを取り出し即興で冒頭のフレーズを歌い、それがそのまま採用されたという。スタジオ録音盤はないが、小田さんも自身のライブで当曲を披露することがあった。
聖子ちゃんの数多くの楽曲の作曲・編曲を手掛けた、大村雅朗さんが初めて編曲を担当している。
オリコン初登場は87位で、その後29位→22位→17位→12位→9位→7位→6位→3位と上昇し、発売から2ヶ月後の9月8日付チャートで2位を獲得(1位は長渕剛の『順子』)。翌週、翌々週も『順子』に阻まれ2位、その翌週は田原俊彦の2枚目のシングル『ハッとして!Good』に阻まれ2位止まりで、1位には届かなかった。
1999年英国ダイアナ妃追悼記念5ポンド金貨 【PF70 ULTRA CAMEO】
『モダンコインの最高傑作』1999年英国ダイアナ妃追悼記念5ポンド金貨 【PF70 ULTRA CAMEO】のご案内になります。
もちろん最高鑑定品(Top Pop)になります。
ダイアナ妃の最期は1997年8月のパリでの不慮の交通事故でした。
1999年、ダイアナ妃の死から2年の歳月が流れた時、英国ロイヤルミントによってダイアナ妃を追悼するこの非常に美しい金貨がリリースされました。
この5ポンド金貨は、生前のダイアナ妃の面影を描いた英国内で発行された唯一の記念金貨になります。
1999年単年発行ということもあり、市場での流通数が極端に少なく入手が困難なコインです。
ダイアナは、英国の貴族スペンサー伯爵家の三女として生まれました。
スポーツが万能で、話好きで活発なごく普通の女の子として育ったと言われています。
チャールズ皇太子との結婚式は1981年7月29日にロンドンのセントポール大聖堂で行われました。
英国は、1953年のエリザベス2世の戴冠式以来のお祭り騒ぎであったと言われています。
ダイアナ妃は日本にも3度来日しています。
日本では、その立ち振る舞いやファッションセンスで「ダイアナフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こりました。
テレビで当時の状況を見られた方もいるのではないのでしょうか。
私も、こんなに綺麗で美しい人がいることに驚いた記憶があります。
「ダイアナ 5ポンド金貨 PF70UC」は入手最難関です!
入手最難関レベルの個人的な順位は、
①「ダイアナ 5ポンド金貨 PF70UC」
➁「1980年ヤングエリザベスPF70UC」
③「1982年ヤングエリザベスPF70UC」です。
価格が高いのでより困難に感じてしまいます。
▼詳細は商品ページにてご確認ください。
1999年英国ダイアナ妃追悼記念5ポンド金貨 【PF70 ULTRA CAMEO】
https://www.antique-coin-sanctuary.com/resp/items/page/?id=45
5月の出張 My business trip in GW / Tokyo AI Sisters
TASの【泉岳寺OLシリーズ】5月の歌は 5月の出張 です。
日本には1980年代という”ピカピカの時代”がありました。
80年代初期のシティポップが流行り出した頃に、アイドル系グループが高中正義氏に作曲してもらったかのような曲でウェストコーストの爽快感でイッパイです!
5月の出張 lyrics & music by Marc Bora
私は出張 5月の羽田は家族で一杯
遊びに向かう家族で満員 私はお仕事
そちらはホリデイ こちらは仕事
アメリカへ行くのは初めて
長いフライト エコノミー
私の隣はハネムーナーよ
部長はカーテンの向こうで
バーボンとビールを飲み過ぎたのか
ここまで聞こえるグーグーと高鼾
西海岸のこの街は大谷君も住んでる
空が青い 木漏れ日 糸杉
5月の出張
なんだか ちょい照れ ただいま 見事
アメリカでいつぞや 神ゲー
私 ブライト 根こそぎ
早い者勝ちはダメ無駄よ
部長は商談 凄腕
マラソンディールも落ち着いたのか
ここまで認める 集中とキャパシティ
西海岸のこの街は大谷君も住んでる
空が青い 海から鴎が
ワンツーワンツースリーフォー
5月の出張 5月の出張
アメリカでいつぞや 神ゲー
私 プライド 根こそぎ
早い者勝ちはダメ無駄よ
部長は商談 凄腕
マラソンディールも落ち着いたのか
ここまで認める 集中とキャパシティ
西海岸のこの街は大谷君も住んでる
空が青い 涼しい海風
5月の出張 5月の出張
*****
[ゆっくり]Wiz.F.O-#0-10(終わり)
風呂俳朗様 制作の #0 [1980年作品] をプレイしていきます。
sm43722773←前 mylist/76646632
たくさんの再生、コメント、宣伝等、本当にありがとうございました<m(__)m>
動画内に入れ忘れたのですが「ノックスのナイフ」のSPは忍者に転職でした