キーワード A級戦犯合祀 が含まれる動画 : 9 件中 1 - 9 件目
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小林製薬は、ワクチン事業を断っていたのか?VID20240412064542
コントロールされた。歴史、社会の中で生きている日本人。秋・冬レプリコンワクチンにより日本人が、「平和の時に、討ち滅ぼされる」「匠を持て、偽りをその手に行い遂げられてしまう」レプリコンワクチンになると旧約聖書ダニエル書8章に記されています。
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第62回・儒教招魂社/靖国神社その②
靖国神社は、明治2年1869年、大村益次郎の献策のもと、明治天皇の勅許をうけて、東京九段の土地に東京招魂社として誕生し、明治12年1879年には社名を靖国神社と改め、中身は極めて儒教的な招魂社でありながら外装は神社の装いを採ることとなり、以後、戦前戦後を通じて戦没者の魂を招魂し、天皇の参拝を以って慰霊するという形式を続けていたが、この形式は戦後の1978年に第6代宮司の松平永芳がA級戦犯を合祀するまでは国内外からの干渉や非難批判を浴びる事なく粛々と続いていた。戦後の靖国神社は、いかにわだかまりなく天皇の参拝を続けることが出来るようになるかに焦点を置き、A級戦犯合祀には極めて慎重な姿勢を採ってきた。しかし、第5代宮司筑波藤麿が 1978年3月20日に急死すると、国内の要職にあった極右勢力は、右翼思想家の平泉たかしや元最高裁総裁の石田和外や元A級戦犯容疑者で参議院議員の青木一男らが強力に松平永芳を推し、結局同年に松平が第6代靖国神社宮司に就任することとなった。
松平は、特に、戦後、きゅうじょう事件と言って、昭和天皇を殺害して幼い皇太子を擁立して戦争継続を行うというクーデター計画を立てた陸軍将校たちを門下生に持つ極右思想家の平泉きよしの強い影響を受けており、この松平の代より極東軍事裁判批判や東京裁判史観批判や大東亜戦争肯定論などが訴えられるようになった。
松平は、入江すけまさ侍従を通じて、昭和天皇の側近である徳川侍従長にA級戦犯の意志を伝えたが、昭和天皇は徳川侍従長を始め、複数の侍従たちにA級戦犯合祀への不満を述べており、それが徳川侍従長から入江侍従を通じて松平宮司に伝わったものの、昭和天皇の意志は無視したままA級戦犯の合祀は実行された。
この事は、入江氏の死後、入江侍従日記から伝えられていたのだが、靖国支持派はこれを徳川侍従長の陰謀と受け止めていたものの、2000年代になってから卜部侍従日記や小林忍侍従日記や富田メモが発掘されることにより、徳川侍従長陰謀説は否定されることとなった。
いずれにせよ、靖国問題とはこの松平永芳宮司によるA級戦犯合祀から始まっており、靖国神社の歴史は松平前と松平後で分けられ、そしてこのことが靖国問題は永遠に解決できない問題としてしまったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第61回・儒教招魂社・靖国神社その①
靖国神社のルーツを辿ると、江戸初期の水戸藩主・徳川光圀が唱える南朝正統論の中で、特に天皇の為に命を尽くして戦死した楠本正成を崇敬し、現在の神戸市中央区の湊川神社のルーツとなる楠木正成の招魂墓碑を建てたが、この水戸藩に伝わる楠木正成崇拝は、江戸中期以降、倒幕を目指す勤王の志士たちの間に広まり、幕末になると、この水戸藩の藩士たちと接触のあった長州藩士たちが下関戦争で戦死した長州藩士たちを下関桜山に招魂場を作り、儒教式で戦没者たちを祀ったところから始まる。
この動きは、慶応4年1968年に新政府が京都東山に幕末の勤王の志士たちの戦死者たちを祀った霊山官祭招魂社を創建し、この儒教的な招魂思想は明治2年1869年の東京招魂社の創建に繋がり、さらにこの儒教的招魂社が明治12年1879年に靖国神社と改称され、儒教的招魂社でありながら神社の体裁を整えて行くこととなる。
招魂とは、亡くなった人の魂を呼び寄せることで、儒教では、魂は不滅のものだり、死後もこの世
に存在すると信じられていた為、招魂の儀式は行われていた。儀式では、故人の墓の前で食べ物や飲物、香などを供え、亡くなった人の冥界での幸せを祈った。招魂の儀式は、故人の魂を慰め、冥界で幸せに暮らせるようにするために行われるが、同時に、生きてる者たちの心を慰める意味もあった。
故に、靖国神社の前身である東京招魂社の時代には、戦没者たちは忠魂霊と呼ばれ、天皇の為に戦争で戦い、その忠誠の下で戦死した忠臣たちの霊魂を招魂し、天皇が参拝して慰霊する、という形が採られていた。しかし、明治12年になり、靖国神社と改称され、神社の形式を採るようになると、儒教的な招魂思想はそのままで、外観や祭祀の在り方だけを変え、やがて、明治37年1904年の日露戦争の頃になると、それまで忠魂霊と呼ばれていた戦没者たちは英霊と呼ばれるようになった。この英霊という言葉は、水戸の儒学者・藤田東湖の中国宋代の忠臣文天祥(ぶんてんしょう)の詩から引用した英霊という言葉から来ており、やはり、儒教の思想がその底辺にあった。
そして、やがて靖国神社は、このように儒教的な招魂思想に神社という衣をかぶり、日清日露戦争、第一次大戦と進むにつれ、戦没者の数が急増する中、大きな発展を遂げることとなったのである。
いわゆるA級戦犯合祀・分祀問題。天皇陛下の御親拝。~大事なことなので何度でも説いて・問いたい「靖國神社」の話~|久野潤チャンネル
【動画の内容】
いわゆるA級戦犯合祀・分祀問題。天皇陛下の御親拝。~大事なことなので何度でも説いて・問いたい「靖國神社」の話~|久野潤チャンネル
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■久野潤(くのじゅん) 歴史学者/大阪観光大学講師
昭和55年大阪府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、京都大学大学院法学研究科国際公共政策専攻修了。専門分野は近現代日本の政治外交とその背景思想で、大阪国際大学・皇學館大學・名城大学の非常勤講師を経て、現在は大阪観光大学国際交流学部専任講師。学術研究以外にこれまで500社以上の神社と350名以上の戦争経験者を直接取材・調査し、著書や雑誌記事を執筆。
令和2年の『日本書紀』編纂1300年にあたっては、『決定版 日本書紀入門』(竹田恒泰との対談、ビジネス社)出版のほか、『夕刊フジ』で「国難を乗り越える日本書紀」を連載。
昭和天皇「靖國」ご親拝中断の真実 『高森ウィンドウズ』#225
昭和天皇実録の公表によって昭和時代の歴史の基礎資料が出そろい、研究が進むことが期待される。今回は、昭和50年を最後に昭和天皇の靖国神社ご親拝がなくなった理由について考察する。いわゆる「富田メモ」などによって、「A級戦犯合祀」を不快に思われたためという理由が「定説」だと言う学者もいるが、これは史料の裏付けがあることなのか?20分拡大版!
首相の靖国参拝 A級戦犯合祀発覚から7年中国は何も指摘せず
首相の靖国参拝 A級戦犯合祀発覚から7年中国は何も指摘せず
2014.01.21 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20140121_237084.html
昭和天皇が”合祀に不快感”←これは巧妙な情報操作なんです!|いわゆる「富田メモ」について
「日本人にとって靖国神社とは何か?」~竹田恒泰の靖国神社論|竹田恒泰CH特番
※この動画は、2013年08月09日に生放送した特番となります。
内容は、生放送時の情報に基づいたものになります。
日本国のために戦い、英霊となった先人達を祀る靖国神社。
毎年、8月15日をむかえる度に、隣国からの圧力を受けてしまう現在の状況。
そもそも、私たち日本人にとって、「靖国神社」には、どんな意味があるのでしょうか?
「私の靖国論を聞いたら、ショックを受けると思います・・・」
と公言する、竹田恒泰独自の「靖国神社論」。
こんな靖国論は、これまで聞いたことがないっ!?
ぜひ、ご自身の目と耳でお確かめ下さい。
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・【無料】「日本人にとって靖国神社とは何か?」(序論 その1)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377759986
・【無料】「日本人にとって靖国神社とは何か?」(序論 その2)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377760018
・【無料】「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その1)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377160164
・「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その2)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377160205
・「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その3)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377160300
・「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その4)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377160352
・「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その5)
http://www.nicovideo.jp/watch/1377160400
小泉首相「参拝は適切」3つの理由を強調
2006年8月15日 小泉首相は15日午前8時前、靖国神社を参拝した。参拝後、小泉首相は記者団に対し、参拝に対する『近隣諸国の批判』『A級戦犯合祀(ごうし)問題』『憲法違反かどうか』の3つの批判を挙げ、それぞれに反論し、「8月15日を避けても、いつも批判反発、いつ行っても同じ。ならば今日は適切な日ではないかと」と主張した。
上杉隆、靖国神社の参拝問題とA級戦犯合祀問題について語る
『小島慶子 キラ☆キラ』第361回(2010年8月17日放送)より。スイカジャーナリスト・上杉隆は毎年8月15日には靖国神社へ参拝しに行くそうです。その理由とは・・・?